地獄変パロ
あの方に、地獄絵図を描け、という命が下されました。
「このくらいの大きな屏風に幾千の人間の悶え苦しむ姿を描いてくれ」
ぬしになら出来るであろう。
主はそう言って、くつくつと笑われます。あの方、松永久秀殿は黙って頭を下げておられました。
松永殿の描かれる絵を見たことがありますでしょうか。ええ、それはもう素晴らしい絵なのでございます。中でも素晴らしいのが、傘を差した振り向き様の女人の絵でございましょう。そういえば、その女人の姿は慶次殿を模した姿ではないかと噂が流れましたな。いや今はどうでもよい話です。実は松永殿の絵で「普通の」絵は、その一つしかないのでございます。
飢えて死んだ母の腕を食む幼子。妻と思しき女の体を刀で切り裂き解体する男。どれもこれも猟奇的で悍ましい絵ばかりでございます。なのに目を背けることを赦さぬかのような荘厳さを秘めているのです。
だから主は松永殿に地獄絵図を注文なさったのでしょう。主はまだ見ぬ地獄絵図の姿を思ったのか、笑みを浮かべておりました。

松永殿を一言で表すなら、変人でしょうか。
絵のためならば何を犠牲にしようと構わないというように見受けられるような御仁です。この前、ある方から迦楼羅の絵を注文されたときには、その口から吐く焔を描くために、延々と蝋燭の炎を見いたと聞きます。絵の腕は優れていても、協調性というものが枯渇しておられたのです。
そんな松永殿が連れておられたのが、慶次殿でした。帰る家を無くしたところを松永殿に拾われたのだと聞きました。彼は松永殿に枯渇している協調性というものを存分に持ち合わせていました。明るい笑顔、気さくな態度、ざっくばらんな口調。そんな彼は皆から好かれております。松永殿への注文が増えたのも彼のおかげではないか、などとも言う人もいます。だけれど私は皆が慶次殿を見る目が、単純な好意だけではないのではないかと思ってしまうのです。疚しい目で見ているに違いないと思ってしまう連中が何人もいるのです。そしてそんな目をしているように見える一人に、私の主も入っていました。

ある夜の事でございます。私が主の屋敷の渡殿を歩いていた時でした。走ってきた慶次殿にぶつかったのは。彼の高く結われていた髪は解け、洒落た着物は乱れていました。その大きな瞳にはうっすらと膜が張っているように見えます。
「…ごめん、ちょっと通してくれ」
思わず道を空けてしまいました。泣き声に聞こえてしまったのです。彼の背を見送った後、その場に浅黄色の衣が落ちているのに気が付きました。慶次殿の気に入りの衣です。慌てて慶次殿を探しますがもう辺りにはいないようでした。今度会う時にお渡ししよう、とその衣を拾い上げました。思い返すと彼がいつも連れていた小猿の姿が見受けられませんでした。

「牛車を一つ焼いていただきたい」
松永殿が久方振りに主の前に顔を出して吐いたのはそんな言葉でした。なんでも地獄絵図に燃える牛車と、その中で苦しむ女房を描きたいそうなのです。その燃える牛車が描けないのだ、と松永殿は言われます。燃やしてもらえないならこの絵は描かない、と松永殿は言われます。主は慌てておられます。ですが私には主が心配しているのは絵ではなく、慶次殿に思えたのです。松永殿が絵を描いているであろう時間に、主が慶次殿を屋敷に招いていることは仕える者なら皆知っています。近頃慶次殿が来られる事が少なくなったとは言え、主が慶次殿に懸想しているのは明らかでした。ですから主は渋々ながらも首を縦に振ったのでございます。
その瞳がぎらぎらと燃えていたように見えたのは、私だけだったのでしょうか。

それはもう立派な牛車でございました。しかし中に誰かが座っています。主はそれを下女だ、と言われます。御簾の向こうなので顔は見えません。ですが私には下女には見えないのでありました。
松永殿が何かに気付いたかのように口を開きます。
松明の火が牛車に触れました。ぱちりと木が爆ぜる音がしました。
火は緩慢な動きで牛車を舐めていました。布を燃やし、御簾に触れます。御簾が燃え落ちた時、私は思わず声をあげました。
手足を縛られ、猿轡を嵌められながらも、もがいて火から逃れようとしているその人物は紛れも無い慶次殿にございました。
長い髪は女人のように解かれ華美な女房装束を着ています。その着物に火が触れます。華美な衣装がすぐに黒く炭化していきます。そんな光景を私は唖然として見ていました。
その身体を火が包む瞬間に、私は目を逸らしました。あまりに残虐なその光景を見ていられなくなったのです。そして松永殿に目を向けました。
松永殿は唖然とした様子でその光景を見ておられました。ゆっくりと伸ばされた松永殿の指が空を掴みます。慶次殿には届きません。その指を追った私の目は火に包まれた牛車に辿り着きます。
慶次殿は松永殿を見て、火に包まれながら、笑っていました。
あまりに純粋で美しい笑みに私は凍りつきました。松永殿も驚きをその顔に湛えておられました。

地獄絵図が出来た、と松永殿から知らせが来ました。松永殿が屋敷に来られ、屏風を披露なさいます。主が口をあんぐりと開きました。
幾人、いえ幾千の人間の悶え苦しむ姿が黒い闇に躍る焔の中に見受けられます。そして何より目をひくのが屏風の中央に描かれた、焔をあげる牛車でございました。長い髪を振り乱して、迫り来る火の手から逃れようとする女房装束の女性がその中にあります。
その女性には明らかに慶次殿の面影がありました。
地獄絵図の気にあてられたからでしょうか。部屋に戻りしばし呆然としていました。そんな私の耳に来客を告げる声が届きました。迎え入れてみると、松永殿でございました。肩には慶次殿がいつも連れていた小猿がいます。ききっ、と松永殿の肩で小猿が鳴きます。
「突然すまないな。此の屋敷からあれの匂いがするらしくてな」
はっとしました。あれ、と松永殿が呼ばれる人物は慶次殿に違いありません。慌ててあの浅黄色の衣を取り出しました。小猿がそれだ、というように鳴きました。松永殿が手を伸ばされたので、その黄色を手渡しました。
「何処に行かれるのですか」
思わず口をついて出た言葉に松永殿は逡巡してから答えて下さいます。あれの故郷の家族に会うつもりだ、と。

それ以来、私が松永殿の姿を見ることはありませんでした。

劫火。
吾が心を焦がす炎は消えはせぬ。八寒の地獄でさえもこの火はけして消せぬのだから。

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松慶で地獄変パロ。三人称ならぬ第三者視点。
11'08/15 タイトル改変