>死にたい、と思った。
だからカッターナイフを取り出して、きちきちっと刃をあらわにして、手首につけて、横に引いた。手首とカッターナイフの間から、赤が零れる。
ぽたぽたぽた。血はフローリングの床に水溜まりをつくり、あたりに鉄の匂いを撒き散らす。血の匂いを嗅ぐと安心するのは何故だろう。
「あはは」
何だか可笑しくなってくる。必死で生にしがみつく為にリストカットをしている俺様が。ぽたり。また水滴が落ちた。
「佐助!!」
どうも俺様は、ぼうっとしていたらしい。気が付くと目の前には旦那がいて、二の腕をきっちり掴んでいる。
いたた、痛いってば。あんたって馬鹿力なんだから、加減を覚えてよね。頭の中には言葉が溢れてるのに、どうも言語変換が出来ない。
視線を腕に向けると、細い腕に無数の線が引かれている。赤い線。
「…また、殴られたのか」
どうして旦那が悲しそうにするのだろう。殴られたのは俺で、旦那じゃないのに。
父親から虐待を受けている。所謂DVってやつだ。事情を知ってるのは、幼なじみのかすがと小太郎と、旦那だけ。母親はとっくに死んだ。腹や背中には痣だらけで、とても人様に見せられたもんじゃない。色素が沈着してしまって、もう消えないのも幾つもある。汚い身体。もう消えたい。
今日みたいに父親に殴られた日は、手首にカッターナイフをあてる。体内から零れる赤に安心する俺は狂っているのだろう。
「佐助」
さすけさすけさすけ。
旦那が俺の名前を呼ぶ。俺を此処に繋ぎ止めるみたいに。
「なあに、旦那」
笑って尋ねる。赤は勢いをなくして、黒く固まりかけている。
「死ぬなよ」
死なないよ、と言ったら、二の腕を掴む力が強くなった。

家に帰ると佐助の靴が散らばっていた。佐助が来ているのか、と理解し、散らかったそれを並べる。きちんと端に並べて、その横にさっきまで履いていた靴を並べた。こんなふうに佐助が靴を並べないのは、大抵父親に殴られた後だ。逃げて逃げて、俺の家に辿り着いて、そして。
リビングへと続く扉を開けると血の匂いが漂っていた。カッターナイフを左手に持ったまま、ぼんやりと突っ立っている佐助が嫌でも目に入る。足元には赤い血溜まり。白く細いその身体から溢れ出した赤は、佐助の腕を濡らしフローリングを染め上げている。その鮮烈なまでの赤。
赤い血に埋もれた、白い肌の佐助。そのまま消えてしまいそうで、俺は腕を掴む。
佐助。名前を呼べば、佐助が焦点をようやく合わせてくれた。
二の腕を掴んで、血の流れを止める。冷たいその肌に戦く。まるで死人のようだ。
その細い腕に走るのは、目盛りのような赤い線。幾度も佐助が刻んだ、自傷行為の跡。
生に倦んだ佐助が、死に焦がれた末に、生に縋り付いた証。
俺には、何も出来ない。
「佐助」
さすけさすけさすけ。名前を呼ぶ。佐助を此処に、この世に留めるために。
「なあに、」
旦那。
とびきりの甘さを秘めた声。まるで、毒を潜めた花の蜜。
その毒は、甘さは、死への執着か。
「死ぬなよ」
なんとかそれだけの言葉を口から零す。
「死なないよ」
ほら、またお前は笑うのだ。自分の痛みを殺して。その身体に傷を刻んだままに。
それを嫌だと思うのに、何も出来ないこの身が憎い。

い蜜に溺れて、
い罪に汚される