皆様、御集まり頂きありがとうございます。さて今から私が話すのは、ある傾城のはなし。どうぞ聞いて行かれませ。

此処から遠く離れた所の花街で、そりゃまあ別嬪な花魁さんがおったそうですわ。松寿、って名の天神でさ。物凄い美人なのに大夫にはなっていない。
なぜだかわかります?
…笑わないんでさァ。
いつでも愛想のない姿を見て、俺こそが笑わせてみせるんだ、と挑んだ男は星の数。まァ、どいつも駄目だったんですがね。

そんなある日、松寿が笑った、という噂があがりまして。客は誰だ、と皆様おおわらわ。
そりゃあ、自分が笑わせられなかった松寿を笑わせた奴が気になりますな。
調べてみりゃ、そいつぁ弥三郎って名の、近くの呉服屋の長男でした。いかついし、目の色も髪の色もどっかおかしい。
はて、こいつが松寿を笑わせたというのは本当か?疑問に思って調べてみりゃあ、そこには笑う松寿の姿。
こいつぁ本当だ。次の日から花街を噂が飛び交いました。

ある時、松寿を見初めた金持ちの旦那が身請け話を持ち出しました。しかし、松寿は首を縦には振りません。
何故か、と問うと一言だけ答えます。
幻を追うためだ、と。
遊女の恋は幻だ。それがわかりながらも、松寿は夢を選んだんでさ。
金持ちの旦那は、去りました。

弥三郎の家は羽振りはそこそこだが、とても遊女を身請けするほどの金はねぇ。月に一度の逢瀬が関の山でした。
そんな月に一度の逢瀬の日。
花街に火の手が上がりました。世を疎んだある遊女が店に火をかけたんでさ。
冬の乾燥した木はよく燃える。次々に火は燃え広がり、花街を覆います。
松寿と弥三郎は逃げました。誰も見咎めはいたしません。赤い門をくぐり抜け、遠くへ遠くへ逃げました。

それ以来、二人の姿を見た奴はいませんな。どっかで野垂れ死んだやもしれません。はたまたどっかで呑気に暮らしているやもしれません。
どちらにせよ、二人は幸せだったでしょう。
さて、これにて私の拙い話は終わりでさ。明日は私の嫁さんが唄うんで、是非いらっしゃい。
ああ、美人かって?
そりゃあもう。
傾城美人を表したような嫁さんでさ。言っておきますが、あげませんよ?
それでは、皆様お気をつけてお帰り下さいませ。

「…元親」
布にくるんだ三味線を抱いた妻が呟く。
「どうした、元就」
小さな肩を抱けば、幸せそうに笑う。あの頃とは違う、貧相な衣。
綺麗な着物も立派な家もない。
それでも、幸せだけはあった。
読み人知らず。

------
似非江戸時代な瀬戸内。旅芸人の夫婦のお話。