宵闇に細くなった月が浮いている。それを見上げながら、幸村はほう、と息を吐いた。
ゆらりと白い息が揺れる。
「どーしたの、溜め息なんてついちゃって」
幸村らしくない、と茶化しながら現れたのは、天狗の慶次。後ろには、光秀と佐助の姿も見える。それらに薄く笑って、幸村は問うた。
「…蘭丸殿は眠られたか」
「ええ、先程」
光秀のその言葉に、幸村は息を漏らした。それは安堵か、落胆か。
「…蘭丸殿は、恐らく人間には戻れぬな」
「…だろうね」
ゆっくりと腰を下ろしながら、佐助が相槌を打つ。
「もうあそこまで侵食されてたら、悪霊にならないようにする事すら危うい」
どうしてあんな状態で生きてられるのか、って思うよ。
佐助はそう言って、溜め息をつく。
その横に光秀が座りながら、呟きを漏らした。
「蘭丸は霊力が強いですから」
霊力が強いということは、精神的な器が大きいということだ。精神的な器は、人ならざるモノを受け入れる。普通の人間の器なら許容できない妖怪の姿を、霊力の強い者なら受け止める事が出来る。
「つまり、狗神に取り殺されてないのは、霊力が高いから?」
「でしょうね」
頷いて肯定する光秀。
簡単に言えば、そういう事なのだろう。器が大きければ、沢山の物が入る。蘭丸の場合は、狗神が入った。狗神が大きくなろうとも、ある程度は納まる。
「だけど、それってさ」
良い事じゃないよね、と慶次が呟く。
「蘭丸に長く憑いていたせいで幸村の祓でも払えないほどに強い存在になってる。それに蘭丸は狗神に憑かれ過ぎたせいで、狗神が嗅覚に影響を齎してる」
慶次は苦々しく言う。
狗神が蘭丸に依存しているだけではないのだ。蘭丸も狗神の力を使役している。それはつまり両者がそれだけ近付いてしまっているという事。引きはがすのが、困難だという事。
「きっと蘭丸は人間には戻れない」
重々しい沈黙が四人の間に満ちた。





蘭丸は黒の中で目を覚ました。宛がわれた部屋は夜闇の中に沈んで、まるで一面の闇のよう。
(…火、つけよう)
なんだか目が覚めてしまった。そう思いながら、行灯の側にあるはずの火打石に手を伸ばす。程なくして、蘭丸の手に滑らかな火打ち石の感触。
鉄片と打ち合わせれば、火花が飛ぶ。火花は油に触れて、橙の光を生んだ。
それによって生まれた影が、ゆらゆらと壁に映る。
その影が、ぐらりと揺れた。



談義