その人は、忍だったんだ、と名乗った。くすんだ橙の髪がふわりと風に靡く。不思議と痛々しい笑みを浮かべる人だった。
「…あちこち旅してるんだ」
その痛々しい笑みのまま、彼はそう言った。万屋のような仕事をしながら放浪している、という事らしい。

その人は椿を好いた。紅蓮に咲くその花を、嬉しそうに、悲しそうに見つめる姿を良く見た。
一度だけ、誰かの名前を呟いていた。誰かは知らない。

旅立つ時に、その人は笑っていた。死に場所を探してるの。笑うその人は、赤い鉢巻きをしていた。

名前は聞けず仕舞いだった。







久しぶりに長居した家だった。屋敷の息子は素直な良い子供だったな。そんな事を思いながら俺は歩を進める。
空は黒く朧月が揺らいでいる。綺麗だな、ふと思った。白黒のこの視界にも、その空は幽玄的に映る。
あの日からどんどん彩度が落ちたこの視界からは、色彩が失われた。椿の赤色もわからなくなってしまった。
いっそのこと真っ暗闇になってしまえば、と思う。あの日から嫌いになった雪の色は憎々しい程はっきり見えるようになってしまった。
何も見えなくなる事に恐怖はない。だって、足元のこいつらも見ないで済むから。まだ微かに息をしている元部下の肩を踏み付ける。名前はなんだっけ。
「…ごめんね。俺様、此処じゃ死ねないの」
小太刀を振り上げる。
嗚呼、血の赤も見えない。




あの日俺様は旦那を弔って、武田から消えた。抜け忍は始末されると分かってはいたけれど、旦那のいない武田には居たくないから。
それに、もう俺様の命はもう長くないから。
前から薬でごまかしていた躯はもう限界だ。血を吐く周期も短くなってきている。視界から色彩が消えたのも、無理が祟ったせいだろう。いつ死んでも可笑しくない命だ。本音を言えば、もう倒れてしまいたい。
でも、此処では死ねない。
佐助は震える足を無理矢理動かして、そこを目指した。




やっとのことでそこに辿り着いたのは、空が白み始めた頃。上田の地が見下ろせる丘の上、小さな塚の前に彼はいた。
「…旦那…ただいま」
赤い鉢巻きを解いて、その塚の前に置く。
笑うその口の端からは、血が零れている。
「…ようやく、旦那の所に逝けそうだよ」
こぽ、と大きな音の後、血を吐いて俯せに地面に倒れ込んだ。ひゅうひゅうと喉が鳴る。心臓が煩い。
「…また…会おうね」
それだけを言い残して、彼は命を絶った。
顔を出した日が、その小さな骸を赤く染めていた。




の幻
(それは、焔)



娥影:月の影。または鏡に映った美人。


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