部屋に傾いた日が差した頃元就は目を覚ました。片手で自分の体を支えて上半身を起こす。そして元親と目を合わせて、眉間にしわを寄せてみせた。
「何故、貴様がいる」
「ずいぶんな挨拶だな、元就。見舞いに決まってんだろ」
言いながら、傍らの菓子を持ち上げて示す。菓子を見せれば、彼の機嫌が良くなる事を見越した行動である。それでも、元就は眉をしかめたまま。
「…早く、帰れ」
流石の元親もむっとして見返した。
「理由は」
「言う必要はない」
「お前なぁ……!!」
思わずつかみ掛かりそうになるのを堪えながら、もう一度元就を見る。元就の目線はとっくに元親から外れている。
「こっちを見て、もう一回言ってみろ」
「帰れ」
「良いからこっち見ろ」
ぐいっと力ずくで彼の顔をこちらに向ける。寝たきりだった体は、ろくな抵抗も出来ないままこちらを向く。
一瞬だけ目が合った。
彼の瞳に揺らいでいたのは、
紛れも無い「悲しみ」と「寂しさ」と「絶望」。
しかしすぐに目を逸らされる。
「……帰れ」
「……理由は」
「言ったら帰るのか」
「かもな」
ふい、と元就がこちらにもう一度目を向けてきた。まっすぐに見つめ返せば、彼の顔に泣き笑いのような表情が浮かんだ。その表情のまま、元就は呟く。
「……謀反が起きる」
「いつ」
「今日だ」


ふと思い出した。そういえば郡山城で最初に会った男。
城内にも関わらず、武装をしていなかったか?
やけに仕立ての良い胸当てをしていた男の姿が脳裏を過ぎる。
「我に仕える者達は、隆元の所へ送った。家督はあやつに渡すつもりであったからな」
どの道このような身体では逃げられまい?自嘲気味に元就が言う。
「隆元は我を討った謀反人を討ち、毛利を継ぐ」
我の最期の策よ。薄く笑ってはいたものの、彼の瞳に浮かぶのは笑みとは程遠い感情。しかしそれが青白い肌と相まって凄みを漂わせていた。
「……後悔はねぇのか」
「無い」
きっぱりと言い切り、元就は決然と元親を見つめる。

「…と言いたい所だが」
元就の言葉は、元親の予想に反して続けられた。
「何故我の元を訪れたのだ。
貴様さえ来なければ、我は我の心を欺けたというのに」
元就の顔には紛れも無い生への執着が浮かんでいる。
「おい、元就」
お前は「生きたい」のか。問えば泣きそうな顔。

「生きたい」

生きたい。生きたい。
そう言って元就は顔を歪める。だけどそこに涙はなくて。

嗚呼こいつは泣かないのか。それとも泣けないのか。
そんな事を思った。急にこいつが憐れになって。言う。
「じゃあ、助けてやる」
驚く元就をみた。
無理だ。我は歩けぬ。戦えぬ。
元就はそう答える。だから、元親はこう答える。
「なら俺が担ぐ。俺が戦う」
だから、無理だ、なんて言って諦めるな。
そう言って担ぐ。軽い。
「逃げよう、元就。一緒に」
何から、とは言わない。薄々気付いていたから。
「何故、我を助けようとする」
元就の言葉に答えないまま、襖を開け放った。




気付いた時にはもう遅かった。
元就を担いで廊下に出た時、声が聞こえた。
アイツが逃げたぞ。
意味が分かった瞬間、元親は走り出していた。片腕でしがみつく軽い身体を、必死で抱き留める。そうしないと彼が落ちてしまいそうだったから。


だけど。
灼熱が身体を貫いて。視界が一瞬白く染まって。撃たれた。理解するより先に傷を確認する。やばい。小さな穴が下腹部に空いている。内蔵が間違いなくやられている。
「元親!!?」
肩の上から、元就の声がする。大丈夫だと強がろうとして、口を開く。でも、黒ずんだ血が言葉の代わりに溢れ出す。足元がふらついた。倒れる。ああ、元就がまだ肩の上だ。ふわふわとした頭で考えながら、元就の体躯を自分の体の前に抱え直す。仰向けに倒れる。受け身はとらない。とったら彼を支えられない。
逃げろ。言おうとして血を吐いた。でも唇の動きから察したのか、元就は無理だと答えた。無理だ。貴様がいなければ、無理だ。

真っ白な視界が、一瞬だけ赤くなる。そして何か軽いものが仰向けの自分の身体の上に。温かかったそれは段々と冷たくなって。嗚呼、元就を助けられなかった。
ごめんな。助けたかった。「好きだから」助けたかった。でも言葉にならなくて。
長曾我部元親は意識を閉ざした。





瀬戸内の海が凪いだ日だった。








(もしも生まれ変われたなら)
(もしもまた会えるなら)
(お前が泣ける所が良い)