彼は害悪だ。身体に桜などという妖しき花弁をまといつかせ、恋などという不確かなものを広めようとしている。
そもそも、恋とは病だ。流行り病だ。流行り病とは桜の季節に猛威を奮うものだから、桜の花弁を纏っている彼は万年病を撒いている存在なのだろう。
「やすらい花よ」
あの花弁を全て踏み潰して、恋など夢幻ではないと教えてやらなければ。




髪が中程で絡まった。いくら櫛を通しても解ける気配はなく、仕方なしに髪紐をその辺りに巻いて誤魔化すことにする。
当然同じ髪紐を二本も持っている筈がなく、平時とは違う髪型に変わる。折角だから普段とは違う着物を引っ張り出し、帯も地味なものにすることにした。
梅雨の季であるから、当然のように外には雨が降り続いている。雨の折りには必ず使っている蛇の目傘の奥に、いつ買ったのかもよく覚えていない朱色の傘を見つけ、それを差すことにする。
外に出て、ふと思い至った。
傘も帯も着物も自分の趣味ではなく、かの梟の好みだ。じわりじわりと浸食されている自分に気付いて身震いする。
古い髪紐が切れて、落ちた。

紅姫竜胆


麝香の香りがする。あの人の匂い。
くらくらと酔わせるような深い香りは、いつの間にか自分の衣にまで染み込んでいて何故か不快と感じた。
まわらない頭で考える。いつからあの人といるのか。ここは何処なのか。自分は何者なのか。
「慶次」
まあいいか、と思う。
外の世界は自分には辛かったように思えるし、何よりも此処にいれば少なくともあの人には必要としてもらえるのだから。

薔薇 amnesia


視界の端でちらつく赤い焔に気が付き、慌てて身を翻した。髪の先が嫌な匂いを発して焦げたが、悔やんでもいられない。
彼と刀を交える感覚はいつまで経っても慣れる事はない。友人との戯れの血が湧きたつような感覚とも、賭け事の心の臓が脈打つような感覚とも違う。
脳は平静であるのに、心の臓が締め付けられるような感覚。次第に手足に血が通わなくなり、息が詰まっていく。
それでも。
「あんただけは」
許してはならない。許してはならない。
彼女の想いも、彼の未来も踏みにじった人間を、許すことはできない。
たとえその感情が偽りであっても気づいてはならない。

鬼灯

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