「坊を守るんやぞ」
「矛兄は、お前達を守ったんや」
「この錫杖は、」
煩い。
お願いだから、黙ってくれませんか。
「志摩家の男なんや」
「お前も明蛇の一員やろ」
志摩。
明蛇。
矛兄。
坊。
そこに、俺を見る言葉は一つも存在してない。
確かに、俺は明蛇の一員であり、志摩家の五男であり、矛兄に守られて命を永らえ、座主血統の坊を守る使命を抱えている。
だけど、そこには俺の、志摩廉造の外殻しかなくて。俺の夢とか、心とか、そういうものは捨て置かれていて。
いつでも等閑にされていた。
だから俺は嘘を覚えた。
嘘で心を隠して、夢を覆ってしまえば、俺の中身は守れる。そう信じて、へらへら笑って、何事も受け流して。
そうしたら、いつの間にか自分がわからなくなっていた。
なんで歩いているのか。
なんで笑っているのか。
なんで生きているのか。
積み上げた嘘の壁は高くて分厚くて、乗り越えられないし壊せない。
「可哀相になあ」
自分がわからなくなった頃、柔兄に言われた。柔兄が言った言葉の真意が掴めなくて首を傾げると、柔兄は悲しそうに笑っていた。
「お前は、重いモン背負わされとるんや。きっと明蛇の誰よりも」
ひどく重い言葉だった。
志摩家の跡継ぎになってしまった柔兄が言うから、更に重い言葉だった。




子猫さんが危なければ、身を呈して守り。坊が傷付くならば、我が身を犠牲にしてでも守る。
それが俺の人生。
坊は、たった一人の次期座主候補で、祟り寺の汚名を返上しようと頑張っている。
子猫さんは、たった一人の三輪家の生き残りで、三輪の名を絶やさないように、また三輪の名前に負けないように生きている。
なら俺は?
何人もいる志摩家の男兄弟のなかの末。特に生き甲斐もなければ、目標もない。
なにもない。



「俺には何もないんですわ」
濡れた青い瞳が見上げてくるのを見返す。瞳孔に一点の紅を見付けて驚いた。そうか、俺はこの子の顔をまじまじと見たことすらなかったのか。
「確かに、兄弟姉妹がおりますし、友達もおります。でも、皆が見てはるのは、俺の外側だけなんですわ」
青い海に感情を投げ込む。一つ一つ投げる度に、海は揺らいで波紋を浮かべた。
「せやから、おんなじ。奥村君と、おんなじや」
海はついに塩水を零した。
奥村君はあまり泣くことがないのか、涙の止め方がわからないようだ。ああ、そんなに強く擦ったら腫れてしまう。
「知っとるよ。此処におるんは魔神の息子でもなんでもない、奥村燐君や」
奥村君の涙は、遂に彼の袖だけでは受け止められなくなって、地面に落ちた。一つ。二つ。
「…そんなに泣いたら、腫れてまうよ」
「いいよ」
嗚咽混じりの声が奥村君から吐き出される。もう拭うのは諦めたのか、涙は頬を伝い、顎から地面に滴っている。
「お前の分まで泣いてやるから、腫れてもいいんだ」
ぼろぼろと涙を零しながら、奥村君は笑う。青い海が静かに潮を流した。
「お前が笑えるまで、代わりに泣いてやるよ」
ああ、その涙の海で溺れたなら。優しい君の絶望に触れられるのでしょうか。
「だから俺を信じてくれよ」
「…信じますよ。信じてます」
涙に濡れた顔で、奥村君は笑う。俺の分まで涙を流しながら。
「だから俺にも半分、分けてくれまへんやろか」
俺の視界が歪む。奥村君の顔が歪んで、揺らめく。
ああ、泣いたのなんて何年ぶりだろうか。




涙で濡れた視界に確かに映っていた、絡まった小指。
約束だったんだ。
二人で悲しみを分け合って。
それでも悲しかったら、二人で涙を流して、弱い心を隠してしまおうって。
だから今、世界の悲しみを一身に背負ってしまっている、君に会いに行く。
悲しみを半分、分けて貰うために。







き虫はの海では溺れない

涙の海が色を変えた所。悔し涙が嬉し涙に変わった所で、待ってるから。
水平線から朝日が昇る頃にはきっと涙は乾いてる。






-------
スレ志摩は公式と聞いて。
イメージは「ナキムシピッポ/初音ミク」です。大好きな曲。初めてこの曲を聞いた時はリピート再生で30分以上ぼろぼろ泣きながら聞いてました。
「僕が笑って振り向いた時、ピッポの姿はもうどこにも見附かりませんでした。」
の一節が頭を離れません。