神様パロディ 戦場を風が駆ける。血の匂いや砂を吹き飛ばしながら。その風に身を晒した青年の背中に、伊達政宗は声を投げた。 「ようやくend だな。この戦も」 青年の足元には一つの亡骸。荒涼とした大地に惜しむことなく血を注いでいる。もとは銀色に似た色をしていた髪は黄塵の所為か、酷くくすんでいた。その亡骸の翡翠の瞳が閉じられる。閉ざしたのは、傍らに立った青年。 緩慢にさえ思える程にゆったりとした動きで、青年が振り返る。琥珀の瞳が政宗を捉えた。返り血を浴び、赤に染まった顔がこちらを見た。その表情に、政宗は息を呑む。 例えるならば、最大級の哀惜に多くの諦めと僅かな喜びを秘めた、そんな表情。 「おお、政宗か」 一瞬でいつもの通りの屈託のない笑顔を浮かべ、徳川家康は死骸に背を向けた。没しかけた陽光が、後光のように見える。 少し待っててくれないか。そう言って、また死骸を振り返る家康。その亡骸を見下ろし天を仰ぎ、息を吸う。 「天におわします、我等が父神様よ!」 吐き出した声が天に響く。ぶわりと風が吹いた。 「見ての通りにございます。此度の戦は、私の勝利と相成りました!」 殆ど沈んだ太陽が、荒れ果てた大地に最後の光を投げ掛ける。政宗はその眩しさに目をつむり、開いた時に呆気にとられた。地に臥していた男の身体が、跡形もなく消え失せている。 ぐるりと家康が肩を回した。大きな溜め息を吐いて。 「…問いならば聞くぞ?」 琥珀の瞳が陽光の金色で輝いた。 伊達政宗は頭を抱えた。 「…アンタが神様だって?」 「そうだ」 頭を抱える原因となった男はあっけらかんとした様子で酒を煽っている。お世辞にも神などとは思えない程に、人間くさい仕種で。 「ワシの真の名は、『天照』という」 「よりによって、天照大御神かよ…」 騙るなら、マシな名がいくらでもあるだろうに。太陽神を名乗るとは。 「まあ信じないのも無理はないな。 …政宗、何が知りたい?」 「どうして神様とやらが、こんな所にいやがる」 こんな、と言いながら地面を示す。神がいるのは高天原だろう、と言うと、家康が笑った。 「地上に暮らす神もいるさ。それについては、お前の偏見だ」 だけど、ワシが地上(ここ)にいる理由は。 家康が言葉を紡ぐ。 「父神様が、退屈しのぎの為にワシらを地上に落としたからだ」 「父神様?」 父神、とは何者か。神を産む存在とは人間ではないのか。政宗の胸の内に沸き上がった疑問を察したかのように家康が笑う。 「ワシは、父神様の左の眼から生まれた。父神様は、伊弉諾尊様だ」 いざなぎのみこと。吾一日に千五百(ちいほ)の産屋立てむ、と、伊弉冉尊(いざなみのみこと)に宣言した、神。 「父神様は一日に千五百の人間を産んだ。何十年も、何百年も」 だが千年を過ぎた頃、飽いてしまった。生まれ続ける人間に。 「そんな父神様が唯一興味をもったのが、戦だ」 殺し殺され、討ち討たれ。自らの保身の為に力を奮う浅ましさ。 「父神様は、未だに伊弉冉尊を愛しておられるからなあ」 つまるところ戦とは、生と死の象徴だ。伊弉冉尊を愛している伊弉諾尊が戦に惹かれるのは至極当然のように思われた。 「それで?」 政宗が先を促すと家康は苦笑いを返した。 「人の世の戦は興味深い。我が子らを落として、戦をさせればなお面白いのであろう、と父神様は思われた」 そこで、ワシらを落とした。 「人間の身体に、神の魂。それを持ってワシらは地上に来た」 そして。 「何度もワシらは戦った。小さな戦いの時もあったし、大きな戦だってあった。戦って戦って、ワシらのどちらかが負けるまで」 「Stop」 伊達政宗が制止をかける。 「『ワシら』って誰だ」 徳川家康の琥珀の瞳が丸くなった。だけれど一瞬で細められる。そうか言っていなかったな。笑う。 「ワシと月読尊と素戔鳴尊の事だ」 つくよみのみこと。すさのおのみこと。夜の国の神と嵐の神。何れもが伊弉諾尊から生まれたと伝えられる神。月読尊は右の眼から。素戔鳴尊は鼻から。 「天照御神はお前だろ」 ならば月読尊と素戔鳴尊は。 「石田三成と、長曾我部元親だ」 びゅうと風が木々を揺らす音が響いた。 琥珀がゆらりと焔を弾いて光る。木が爆ぜてぱちりと鳴った。 「つまるところ、この戦は伊弉諾尊の暇潰しだと?」 「まあ、そうなるなあ」 眉間にしわを寄せれば、目の前の自称神は苦笑いを浮かべる。 「厭じゃねえのか」 「厭だがなあ。月読もワシも素戔鳴も、父神様には逆らえんし」 その瞳には諦観の色が浮かんでいる。もしかしたらあの凶王や鬼も同じ色をその瞳に浮かべていたのだろうか。 「…まあ今回は勝てたから、まだ良いのだがな」 「アンタ負けた事あんのか」 少し驚く。彼の高名な天照御神が負けた事があるのか。 「地上ではワシも人と同じだからな。……壇ノ浦の戦は知っているか?」 「Certainly. 源平の戦の最後の戦だろ」 琥珀が歪む。 「源頼朝は、月読だった」 吐き出すように太陽神を名乗る男は言う。武家政権のきっかけとなった戦でさえ、彼の伊弉諾尊の手の平の中だったと言うのか。 「素戔鳴は源義経で、ワシは言仁という名だった」 ときひと。安徳天皇の名だ。幼いままに入水した、あの。 「それ以外にも何回か負けている。数えたら何度になるか分からんくらいにはな」 また木が爆ぜる音がした。火の粉が散って、一瞬だけ光が増す。 「…他に神様とやらは、この戦に出てたのか」 ふと気になって尋ねてみる。琥珀の瞳が細められた。 「勿論だ」 風に微かな血の匂いが運ばれてきた。焚火が煽られて橙の火をあげる。 「彼の八咫鴉、雑賀孫市がいただろう」 八咫鴉の名を背負った女、あの者さえも神だと言うのか。 「あれは鴨武津身命だ」 かもたけつみのみこと。八咫鴉に化けて天皇を導いた神。 「あとは、真田幸村か」 視線の端に赤い焔がちらついた。 疑問に思っていた事がある。 何故徳川家康は真田幸村を恐れるのか。同じ虎の魂を持つ者を恐れているだけのようにも見えた。だがそれだけではないような気もしていた。 「あの男は迦具土神だった」 この戦いで散った命。紛う事なく、政宗が奪った命。それは神だったのか。 「迦具土神、というと火の神だったか」 「そうだ」 家康が口の端を持ち上げる。 「母殺しの罪を負った神だ。父神様が魂までは殺せなかった、火の神」 神殺しの神。かぐつち。 「だから、ワシはあやつを恐れていたのだ」 そのまばゆい焔で太陽すら焼いてしまうのではないかと。 「どうして、俺にその話をした」 問うと、家康が立ち上がる。焚火がふらりと揺れる。 「…戦は終わりだ。十年だか百年だかは分からんが、暫く戦はないだろう」 立ち上がった所為で、表情はみえない。 「だからせめて誰かに、ワシらの苦しみを知って欲しかったのさ」 一瞬だけ勢いを増した焔が表情をあらわにする。 「なあ、」 賀茂別雷命。 天照の呟いた名は政宗の知らぬものだった。 明らかなる月日の影をだに見ず ----- 天照御神:あまてらすおおみかみ。日の神。 月読尊:つくよみのみこと。月の神。 素戔鳴尊:すさのおのみこと。嵐の神。疫神。又は農神。 鴨武津身命:かもたけつみのみこと。東征する神武天皇を導いた。 迦具土神:かぐつちのかみ。誕生の際に母伊弉冉を殺した火の神。 賀茂別雷命:かもわけいかずちのみこと。雷神。竜神。 明らかなる月日の影をだに見ず:源氏物語、須磨の巻より。 |