十年後捏造


「兄上、アスタロトが死にました」
「そうだろうな。…これで残りは私達二人だけだ」
弟の言葉に応えながら、私は思慮を巡らせた。まさか此処までやってのけるとは。やはり目をつけた私に間違いはなかった。
ぴくりと弟の耳が揺れる。
「ああ。…呼ばれました」
弟が笑う。王が臣下を呼び出したのだ。これから下される命令がなんであろうと、王に心酔している臣下は喜び以外の感情は抱かない。
「それでは、行ってきます。兄上」
ぐずりと溶けた地面に弟の身体が沈む。王に会いに行くのだ。
「……これで、私一人」
我等が王の願いならば、消えることすら本望となる。だけれども私は、最後の仕上げをする義務がある。
携帯電話を開いて、メール機能を作動させた。





俺自身を含む祓魔師が七人、広い講堂に集まっていた。
「理事長、何のつもりなんやろうなあ」
言葉を零すと、隣にいた神木さんが、同感だわ、と頷いた。此処に集められた祓魔師達は皆、正十字学園理事長により緊急召集をかけられたのだ。
「それはですね」
ぽん、と軽い音と共に煙が吹き出す。煙が消えれば、理事長の姿。
「私がもうじき殺されるからです」
「……は?」
シュラ先生が呆気にとられた顔をする。自分の顔も似たようなものだろう。だって理事長は古い伝承に記されたくらいに強い悪魔だ。倒せる人間など見た事がない。
「そこで、敵討ちをお願いしようかと思いまして」
「守れって事やないんやな」
坊の言葉に理事長が笑う。嘲笑する。
あの方から身を守ろうなどなんとおこがましいことでしょう! と。
メフィスト・フェレスが哄笑する。
「私はあの方に逆らうつもりなんてありませんよ。ただ、あの方の望みを叶えるのみです!」
突如として笑い声を引き裂いて、青い刀が現れる。メフィスト・フェレスの左の胸から。
「……!?」
メフィスト・フェレス以外のその場にいた全員が目を見開く。悪魔の胸を突き刺した刃は炎を纏ってきらりと輝く。メフィストが微笑んだ。胸から刃を生やしたまま。
「お早い登場ですね、我等が王」
メフィストの後ろに青い影がある。その影は青い刃をメフィストに突き立てていた。
「…お前で最後だよ。メフィスト・フェレス」
「やはりそうですか。…お膳立てはしておきましたよ」
メフィストがそう後ろの青い影に言うと、青い刃が纏う炎が強くなった。
「そっか、ありがとな」
ごう、と炎がメフィストを包む。すぐに消えた青い炎の中から、一つの宝石が転がり落ちる。若草色の宝石。強い悪魔は、心臓の代わりに宝石を核にしている、とあるお伽話に書かれていたのを何とは無しに思い出した。ペリドットがころころと床を転がり、ぱりんと砕けた。
青い影が姿を現す。声を上げたのは杜山さんだった。
「……り…ん?」
青い影は五年前に虚無界に消えた、奥村燐の姿をしていた。






奥村燐は騎士團の決定により虚無界へ送られた。それが五年前の事である。奥村燐はあと一週間で二十歳の誕生日を迎えるはずだった。
若干背が伸びてはいるが、あちこちに共通点を見出だせた。例えば目つきの悪さだったり、猫っ毛の青みがかった髪だったり。
少し伸びた身長と髪の毛。長い黒の豪奢な外套。青の炎を纏って「奥村燐」は笑みを浮かべる。
「よう、久しぶりだな」
以前と変わりない笑みを。
「…兄さん、どうして物質界に」
奥村先生が疑問を投げ掛けると、「奥村燐」は笑ってみせた。頬を吊り上げた、悪魔の笑みで。
「どうして? 簡単だろ」
物質界(アッシャー)を滅ぼすため、だ。
ぞわりと背中が粟立った。悪魔だ。目の前に奥村燐の皮を被った悪魔がいる。胸元から震える手で錫杖を取り出し、構える。悪魔に向けて。杜山さん、神木さん、子猫丸を守るように残りのメンバーが前に出る。手騎士と詠唱騎士を守るフォーメーションだ。
「稲荷神に恐み恐み申す。為す所の願いとして成就せずということなし!」
「ニーちゃん、おいで!」
手騎士の二人がそれぞれに使い魔を喚び出す。くるりと煙を纏って二体の白狐と緑男が魔法陣から飛び出した。白狐が飛び掛かる。「奥村燐」は腕を横に振るうだけで、白狐を吹き飛ばした。
「なんだよ。再会の挨拶くらいさせてくれたっていいだろ」
ごう、と炎が溢れる。白狐が焼かれる寸前に姿を消した。神木さんが陣を壊したからだ。
「俺の名は奥村燐。青焔魔(サタン)の落胤。サタンを殺し、虚無界(ゲヘナ)の王を継いだ者」
悪魔が笑む。かちゃりと錫杖の先で環が鳴った。






最初に行動を起こしたのはシュラ先生だった。胸元の刺青から取り出した魔剣で切り掛かる。
「霧隠流魔剣技、蛇腹化…蛇牙」
それに対して「奥村燐」は青い瞳を向けただけだった。視界の端で炎が散る。
「燃えろ」
呟きが炎に力を与えた。青の炎が燃える。シュラ先生に襲い掛かる。
ばしゃん。水をぶちまける音が響く。神木さんが再度召喚した白狐が神酒を放ったようだ。火が消える。シュラ先生が刃を向ける。「奥村燐」が笑う。
刃は「奥村燐」の左肩を深く切り裂いた。血飛沫の代わりに炎が舞う。銃声が何発も響く。右腕と左腕に聖銀の銃弾が飛び込んだ。右腕は坊、左腕は奥村先生だろう。神酒と炎が生み出した水蒸気が晴れる頃を見計らって、俺は「奥村燐」に飛び掛かる。錫杖を相手の足に引っ掛けて、足払いをかける。「奥村燐」は案外簡単に仰向けに倒れた。
錫杖を心臓の上に突き付け、押し込む。皮膚を裂き、血管を穿ち、肉を押し退ける厭な感覚が腕に伝わる。それでも押し込んで、鼓動を刻む臓器を突き刺した。
「………っ」
悪魔は悲鳴をあげない。ただ空気を求めるかのように、口を開け、はくはくと息をするだけだ。
青焔魔の名を継いだ悪魔はきっとこの程度じゃあ殺せない。人間にとっては致命傷でも、悪魔には違うのだから。
「…カバラ」
俺が押し倒した「奥村燐」が何かを言う。呪言かと思ったが違うらしい。ユダヤ伝承の名だ。
「創造の書、一章。律(ミシュナ)十二」
はっとした。ユダヤ伝承、カバラを致死節とする悪魔は少なくはあるが存在する。もしかしたら。
何故「奥村燐」がそんな事を言ったのかを考えもしない。
「シュラせんせ、子猫さん、坊! カバラのミシュナ1の12や!」
詠唱騎士の三人に声を投げる。わかってくれたはずだ。三人の声に重ねるように俺も唱える。

「…第四番目に、火と水。それらは栄光の座、炎の天使、車輪(オファニム)、聖なる存在、奉仕の天使などに分けられ、刻み込まれている。そして、それらのうちの三つによって居住地がつくりあげられる。それはあたかも "彼の召使いである風、彼の支える炎" としるされているような状況である!」

四人の声が重なり、一つの旋律となる。「奥村燐」が笑う。無邪気に、陽気に。学生時代のように。
さらさらと「奥村燐」の身体が風化する。にこりと笑ったままで。
「みんな、」
奥村燐が言葉を紡ぐ。その壊れかけた身体から。
「最期に会えてよかった」
奥村燐が風に溶けて消える。俺の錫杖は、彼の瞳の色をした藍色の宝石を砕いていた。
杜山さんの嗚咽だけがやけに大きく聞こえた。






「なあ。もし俺があっちに、ゲヘナに行く事になったら、サタン、ぶっ倒して、お前の兄ちゃんとか、子猫丸の父ちゃんとかの、敵討ちしてやるからな」
ふと思い出した。五年前の言葉。
「んで。八候王とかもぶっ倒して、物質界(こっちの世界)に悪魔が来ないようにしてやるよ」
ああ、そうだ。そう言った次の日に奥村燐は虚無界へと姿を消したのだ。
(奥村君。相変わらず優しかったんやな)
宣言通りに青焔魔を倒して、八候王を葬って。そして最期に、自分を殺して。
物質界から、悪魔はいなくなった。
たった一人を犠牲にして。




かげろふ

(陽炎、蜉蝣、影ろふ)







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初青エク!!志摩燐が大好き。

個人的にメフィストのイメージストーンはペリドットです。アマイモンはエメラルド。
燐はタンザナイト。綺麗。因みに雪男はマラカイト。
途中のお伽話については、宝石じゃなくて石だったのを読んだ事がある気がします。うろ覚え。
何故よりによってカバラにしたのか。趣味です。新約聖書とかもあるけど、個人的にカバラの方が好き。セフィロトとか楽しい。(参考文献…箱崎総一著 カバラ)