それは、奇妙なまでに真白な女だった。

ある村落に立ち寄った時に見つけた女。雪白の髪に生白い肌。だけれど、真っ赤な血化粧。黒い二つの大鎌をその細い腕に携えて、ただその女は立っていた。足元に一つの骸を転がしたまま。
なぜ殺さなかったかはわからない。それが天下の謀反人である明智光秀と知りながら、城に連れ帰った。手と足に枷をつけたものの抵抗もなく、女はただ空を眺めていた。会話もするし、食事もする。ただ女は暇さえあれば空を眺めていた。
「…私は」
珍しく女から口を開いた。普段はこちらが話し掛けなければ、口を開くことはない。
「私は、信長公を殺してなどいないのです」
憐れなほどに小さな声で女は呟く。枷の擦れる音がやけに大きく聞こえた。
女が雪を見たいと言った。故郷には降らなかったそうだ。枷は外さぬまま、外に出ると女は目を見開いた。初めて見たのだから当然かもしれないが。闇を秘めた双眸が静かに白を納めた。
「さわれるのですか」
なるほど頓狂な事を言う。毒はない。そう言うと女はおそるおそる手を延ばした。
「冷たいのですね」
当然だろう。雪なのだから。言うと女は微かに笑った。さくりと裸足で雪を踏む。霜焼けになるぞ。と言えば、霜焼けを知りません。なってみるのも一興でしょう。と笑う。
さくりさくりと女が歩を進める度に、その姿が淡く薄れてゆく。手枷から伸びる赤い紐がやけに目につく。思わずその赤い紐を引いた。腕をこちらに引っ張られ、女が雪の上に倒れる。闇色の眼がやけに目立った。
「何をするのですか」
お前が雪に消えて見えなくなるかと思った。そう答えれば女が呟いた。
「消えるならば、本望です」
女の頬を雫が伝った。溶けた雪か涙か、わからなかった。
髪を切りたい、と女が請う。短刀を渡せば、長い白い髪を躊躇なく切り落とした。腰まであった髪が不恰好に背中で途切れている。さらさらと落ちた髪が雪を彷彿とさせた。
途端に感じる殺意。短刀を握り締めた女がこちらを向く。こちらが刀を抜くよりも数段速く、女は短刀を投げ付けてきた。こちらの斜め後ろに向けて。
短い悲鳴があがる。黒ずくめの衣装の男が倒れる。ひゅうひゅうと喉が鳴って、やがて静まった。
「自分の身は、自分で守って下さい」
女は呟いた。呆れたように。安心したように。幾日か後、来客の知らせが届いた。少女の元気な声が城に響く。
「まっさむねーっ。おすそ分けだべーっ」
それを迎えに門に向かうと、見慣れた少女の近くにもう一人。魔王の鬼子、森蘭丸だ。なぜいつきとこいつが一緒にいるのか。疑問に思いながら城に招く。鬼子が真っ先に問うてきたのは、明智光秀の行方を知らぬか、という内容だった。知っているが教える代わりに何故いつきと一緒にいるのか教えろ。そう言えば、二人はきょとんとした後話し出した。
なんでも本能寺の変から生き延びたものの、行く宛てがなかった所をいつきの村が迎えてくれたらしい。子鬼は耕すのは苦手だけんど、田植えは上手いんだべ。いつきが笑った。座敷牢へと案内すれば、鬼子は素直について来た。いつきは小十郎に会うため畑に行った。相も変わらず女は格子窓の向こうの空を見ている。鬼子がその名を呼ぶとようやく気が付いたかのように振り返った。鍵を開いた途端に鬼子が飛びつく。女は受け止めそこなって押し倒された。
「蘭丸…?何故此処にいるのですか?」
鬼子の下で女が呻く。鬼子は独眼竜に案内してもらった! と無邪気に答える。ただ鬼子が笑っていたのも束の間で、女の薄っぺらい肩に顔を埋めて泣き出した。ただただ女はその背を撫ぜる。魔王の子と恐れられても実際は幼い少年だ。この少年はこちらが想像出来ない程の沢山のものを失ったのだ。悲しみを共有出来る人間にようやく会えて気が緩んだのだろう。ぼろぼろと鬼子は泣き続けていた。
牢の壁に背を預けながら二人の会話をそれとなしに聞いていた。話しているのは大体が鬼子で、女は相槌を打つばかりだが。話が途切れてきた頃いつきが来た。ひっそりと耳の近くで囁く。子鬼をおらたちの村に預けたのは、死神のねーちゃんなんだべ。言い終えた時鬼子がこちらを見た。どうやら話は終わり、帰るらしい。土産に金平糖を与えると、二人で半分ずつに分けていた。女はそれを見て、ただただ微笑んでいた。
戦に女を連れて行った。小さな戦とは言え、やはり腹心は反発した。それを言いくるめて、戦場に女を立たせる。先駆けは当然の如く自分だ。自分の後ろは右目が固める。更にその右目の後ろに、女。
くるりと舞う。血がしぶく。大鎌が首を刎ねた。白い戦装束が赤く染まる。
美しさに敵も味方も息を忘れた。死神がもし本当にいたならば、この女と瓜二つであるに違いないと思わせた。
そのうちに戦が終わり、宴になだれ込む。あちこちから酒の匂いが漂った。酒盛りの席に白が見えないのに気付き、席を立つ。ふらふらと歩けば目当てのものは見付かった。何をしている、と女の背に問う。月見を、と女は答えた。二人で暫し月を眺める。「…恩は、返しました」
女が呟く。木々のざわめきが邪魔をした。さくりと雪を踏むような音が響く。女の首筋に短刀が飲み込まれた。真白の女が赤く染まる。
「…帰蝶、信長公……っ」
まだ地獄にいますか。
言い残して、女は死んだ。安らかな顔で。
白い口縁(くちべり)にその血で紅をさした。


死出に向かう羅刹女にはの化粧を
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しでにむかう
らせつにょには
ちのけわいを