光秀&信長が偽物っぽい

事あるごとに信長公に挑む私を帰蝶は怒る。
「貴女も女なんだから、身体を大切にしなさい」
「性別など、とうに捨てましたよ」
殴られた。
「そう簡単に捨てられたら、貴女が苦労する必要ないでしょう」
男に比べて細い身体に、筋肉の付きにくい腕。それらを克服するために修練を積んだのは知られていたらしい。
ほら出来た。そう言って帰蝶が私の腕を放す。きちんと包帯が巻かれていた。
「もっと身体を大切にしなさい」
もう一度念を押された。いつものように聞き流した。

信長公との関係を例えるならば、兄弟が一番近いだろう。妹ではなく馬鹿な弟と、頭が切れる兄。帰蝶は私達を見て、喧嘩するほどなんとやら、と言う。あながち間違ってはいないかもしれない。
そして信長公に対して私が抱いている感情は、あえて言うなら敬愛だろうか。絶対的強さを体現したかのような、その在り方にひどく憧れたのを覚えている。
「光秀」
信長公が私の名を呼ぶ。返事をすると笑った。
「雪を見た事があるか」
雪。知識でなら知っている。白く、冷たい、氷の欠片。
「ありません」
答えれば、そうか、と言われた。見たいか、と聞かれたから、はいと言った。
「毛利を落としたならば、次は北を攻める。その際は任せる」雪はお前に似合う。
らしくもない世辞に驚いた。

毛利攻めの前に信長公に会うために、本能寺へと出向いた。面会を済ませたらそのまま中国へ向かうつもりだったから、部下を連れたまま。部下は本能寺から少し離れた場所に残した。
「しからば、毛利を落として御覧にいれましょう」
一礼して辞そうとする。ぱちりと木の爆ぜる音が聞こえた。それに、ばたばたと軽い足音が二つ。
「上総介様!!」
「信長様!!」
帰蝶と蘭丸が部屋に飛び込んでくる。武器をしっかと握り締めて。
「火を放たれました!!」
「囲まれています!!」
そして次の言葉に驚愕する。
「敵は、明智軍です!!」
兵達は本能寺から離れた場所に残したはずだ。
「ど…して、ですか」
息が苦しい。木が燃えている所為だ。そうに違いない。
自らが火に巻かれて死ぬ事よりも、帰蝶と蘭丸と信長公が死ぬかもしれないという恐怖が勝る。
「私、何も言ってないのに」
脳裏に利三の顔が浮かぶ。存分に信長様との別れを惜しんで来てくだされ。あの言葉の本意は。
「光秀!!」
信長公の一喝。次いで右の頬を張られた。痛みに意識が向く。
「今更悔やむな」
鋭いまでに真っ直ぐな言葉。それに励まされて、顔をあげる。傍らに置いていた大鎌の柄を掴む。
「はい」
答えて、帰蝶と蘭丸を見る。帰蝶は凜と、蘭丸は決然と見返してくれた。
「光秀、その二人を連れて逃げよ」
「は…?」
何と言ったのだ、信長公は。逃げろ、と? 戦うのではなく?
「命令である」
はっきり突き付けられた指示に息を呑む。命令ならば、私は逆らえない。
「…嫌だっ。蘭丸は信長様と一緒にいます!!」
蘭丸の声が大きく響く。その瞳から、ぼろぼろと涙が零れる。
「命令ぞ」
「それでもっ」
信長公がこちらに目を向けてきた。珍しく困ったような光がその目に浮かんでいる。
「丸」
当て身を食らわせて、静かにさせた。まだ幼い身体を担ぎ上げる。やはり重いが、なんとかなるだろう。
もう片方の手を、延ばす。
「帰蝶」
「行かないわ」
ぱしりと叩かれた。鋭い意志が篭った瞳がこちらを捉える。
「私は上総介様の傍らで、生涯を終えたいのです。どうか」
濃めをお側に。
帰蝶が信長公を振り仰ぐ。信長公が低く笑い声をあげた。
「地獄にまでついて来ると申すか」
「はい」
信長公の言葉に婉然と微笑んで答える帰蝶。煤に汚れてさえも、美しい笑顔。
「光秀」
「丸を頼むぞ」
頷くしかできなかった。

山を越えた辺りで蘭丸が目を覚ました。何があったのか思い出したらしい。ぽつりと呟いた。
「…何処に行くつもりだよ」
「深くは考えていないのですが、とりあえず離れます」
本能寺から、という言葉は意図的に言わない。
「北に」
蘭丸が肩に担がれたまま口を開く。
「北に、知り合いがいる」
「最北の村のあの子ですか」
いつき、という名の少女を思い浮かべる。確かに彼女の所なら、よほどの事がない限りは侍には会わない。
「そうですね。北に行きましょう」
「…光秀」
蘭丸が呻く。降ろせ、と。

追っ手を千棘で足止めをしたり、嵐矢で吹き飛ばしたりしながら進む。途中で追っ手から奪った馬は乗り潰してしまった。
それでもなんとか、最北の村まで辿り着いた。
「あれ、子鬼だか?」
見慣れた姿を見たからか、いつきが駆け寄ってきた。蘭丸は眠っているため、光秀がおぶっている。
「すいませんが、蘭丸をこの村で預かって頂けないでしょうか」
問えば、不思議がりながらも頷いた。背中の蘭丸を降ろして、いつきに手持ちの金子を渡す。
「何があったんだべ?」
「…謀反が」
ただそう答えれば、いつきは悲しそうな顔をした。蘭丸を頼みます、と言って背を向けようとすると、声がかけられた。
「ねーちゃんは、何処さ行くんだべ…?」
微笑む。

「死にに、行くのです」


の代わりに刀差し、戦乙女は露と消ゆ
-------
女の子光秀の話。
もう一話書いて終わるはず。