元就と竹千代 設定

燦々と降り注ぐ陽射しが眩しい。目を細めて太陽を見る。快晴だ。
八月六日。八時十五分。
鐘が鳴る。
目を閉じた。

元就公に連れられて、ワシは広島に来た。二日ほどで県内のあちこちを歩いた。
今日連れて来られたのは、平和祈念公園。普段はテレビで見る風景が目の前にあった。
パイプ椅子が並んでいるスペースではなく、原爆ドームの前に元就公に連れて来てもらった。まだ早い時間にもかかわらず、もう何十人もの人がいる。
「…いつ来ても、痛ましい光景よ」
晒された鉄骨。地面に散らばる瓦礫。この下でも、人が死んだ。
元就公の袖を掴む。花束の色がやけに鮮やかだった。
目を開く。
向こう側に赤々と燃える火が見えた。啜り泣く人々の声。戦禍から七十年近く経つ。だが、この人達はずっと苦しんできたのだ。そう思うと胸が痛んだ。
「…鶴を渡さねばな」
元就公がワシの鞄を見て、言う。大きさの割に軽い鞄には千羽鶴が入っている。折り上げたのは、同じ鳥の名を持った少女だ。
「原爆の子」と刻まれた像の前に立つ。折り鶴を持った少女の像だ。
原爆の影響で病になり、元気になりたい、と願い続けた少女。千羽の鶴を折れば、願いが叶う。それを信じて折り鶴を作り、千羽を折る前に亡くなってしまった。
「………」
黙って祈りを捧げる。
どうか二度とこんな悲劇が起きませぬよう。

「…安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
ぽつりと元就公が呟いた。
原爆死者慰霊碑の言葉だ。爆撃直後に失われた十五万人だけではなく、その後に苦しみ死んだ人達にも向けられた言葉。
「……」
元就公の頬に涙が見えた気がしたが、ワシは見て見ぬ振りをした。

Never forget,please.

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1945年8月6日、8時15分。広島に原爆が投下されました。十五万人もの方が亡くなり、今も後遺症に苦しむ方がたくさんいます。
夕咲は広島生まれです。両親ともに広島出身です。だからこそ忘れてはならない、と思っています。広島に行った際は平和記念資料館を訪れてみて下さい。過去の過ちを知り進む事が今の私達に必要だと思うのです。

2011年8月6日。