埋もれ行く音は、きっと音楽への道標 「…燐、大丈夫?」 ワックスで燐の髪を整えながら、しえみは燐の顔を覗き込んだ。戸惑うように揺れている藍色の瞳を見て、苦笑する。昔から緊張しやすい少年ではあったが、流石にここまで緊張しているのを見るのは初めてだ。 「……どうしよう。…俺、ミスったりしちゃったら…」 かたかたと膝の上で握り締められた拳が震える。その拳にそっと自らの手を重ねて、落ち着かせるようにゆっくり声をかける。 「大丈夫だよ、燐。…本当に届けたい人のことだけ、考えればいいんだよ」 ふらふらと彷徨っていた視線がしえみとぶつかる。その藍色を見詰め返し、しえみは微笑んだ。 「…ありがとう、しえみ」 ふわりと微笑んだ。 「えー、suiteの皆さん、ありがとうございました」 「次の曲は今回初出演、RIN.の皆さんですね」 「RIN.の皆は、どういうきっかけで知り合ったの?」 「え、と。まず俺のバックバンドのドラム、って事で廉造に会ったんだよな?」 「あ、はい。そです。最初は燐君だけでデビューしよかってなってはったんですけど」 「兄さんが、一人で歌うなんて嫌だ、って駄々こねたんだよね」 「だって一緒に組むって思ってたから…!!」 「おい、話ズレとるで。んで俺が廉造の紹介で加わって」 「兄さんに誘われて、僕が最後に入ったかんじですね」 「じゃあ、四人で組んだのは最近の事なんですね」 「はいー。燐君がCD出す直前くらいからですわ」 「CDといえば、今回の曲はある人に向けたメッセージソングだと耳にしたんですが?」 「はい。顔合わせると素直に言えないから、曲にしたら言えるかなって」 「そうですか。その人に届くと良いですね」 「じゃあ RIN.の皆さん、曲の準備お願いします」 「…それでは、RIN.で 『appreciation』」 頻繁に人から単純だ、と言われた。自分でも思う。単純だ。 苛々している時でも。 泣いている時でも。 歌を歌えば、どんなに嫌なことでも忘れられる。 勝呂のベースの音が耳に届いた。志摩のドラムが鼓膜を叩く。雪男のギターがそれに旋律を重ねる。 息を吸う。 「終わりましたねー」 「珍しく緊張しとったな」 「だってテレビ出るん久しぶりなんですもん」 背筋を伸ばすため、志摩が大きく伸びをする。勝呂もその横で自らの肩を叩いた。柄にもなく緊張していたのは自分もだったようだ。 燐は緊張が解けた所為か、雪男にぐったりと寄り掛かっている。 「そうや、今回suiteが一緒に出演なんて聞いとらんかったな」 「……小猫さんの策略でしょうね」 勝呂の言葉に志摩がげんなりとした顔で答える。その策略の所為で嫌な人間と顔を合わせてしまった。 「れんぞーーう!!!」 げ、とあからさまに志摩が顔を歪める。後ろから気配を感じ、滑るように上体を倒す。先程まで頭蓋があった場所を、ゴツいブーツが通り過ぎていった。どうやら後ろ回し蹴りをされたらしい。 「甘いわ!!」 上体を倒した勢いのままに軸足を狙って足払いを放つが、飛び離れられた事によって不発に終わる。きっ、と金髪を睨みつけ、上体を起こす。 「…うおお、なんかカッコイイ」 「兄さん、真似しないでよ」 奥村双子の呑気な会話が緊張感をぶち壊すのを感じ取って、廉造は肩の力を抜いた。金髪も同じような仕種をしている。やはり兄弟か、と勝呂は心中で呟いた。 「腕上げたな、廉造」 「そりゃ、何年とやられ続けとるから、慣れてくるわ」 兄弟間の会話はそれで終わりらしい。勝呂は静かに結論を出した。やはり、この兄弟はわけがわからない。 「あの、どちら様ですか」 燐がようやく金髪に問い掛けた。金髪は初めて奥村双子の方を向く。そして破顔した。 「うわぁぁ。やっぱ、めちゃくちゃかわええなあ。はじめまして、燐君。この馬鹿の兄で、志摩金造いいます」 「誰が馬鹿や」 隣で文句を言う廉造にはさりげなく肘鉄を食らわせている。因みに鳩尾に。えげつな、と勝呂は呆れた。 「えっと、suiteのボーカルさんですよね」 「せや。よう知っとるな…って収録でさっきまで一緒やったから当然やな」 いつも弟が世話になっとります、なんて冗談混じりに言いながら、燐に近付く。燐の傍らの雪男が警戒心を表すくらいまで近寄って、相好を崩した。 「あんな、一つだけお願いがあるんや」 「はい?」 首を傾げる燐にそれを突き付けた。 「サインくださいな」 RIN. のデビューシングルと油性ペンを。 |