音楽を作れる人間は、自分の世界を持っている。




「兄さんのバックバンド? 良いですよ」
奥村雪男は意外と簡単に承諾した。心構えをしていった勝呂達が拍子抜けしてしまうくらいに、簡単に。
「兄さんの協力なら、いくらでもやりますよ」
にこりと微笑んだ雪男は、ひどく優しい顔をしていた。
「なら取り敢えず、シングルの曲をレコーディングしちゃいましょうか」
出雲がメンバーにスコアを渡す。携帯電話のCMで燐が歌った曲である。志摩はもう持っているので渡されない。
「あの、僕もうこの曲弾けますよ?」
「俺もや」
二回聞けば覚える、と二人が言う。出雲が笑う。期待以上だ、と。
「じゃあ、バックバンドだけでレコーディングしちゃいましょ。燐は後で別に録音するわ」
レコーディングルームに三人が入る。楽器を機器に繋いで、準備万端になったところでドアが開いた。青い瞳が睨んでいる。
「兄さん」
雪男が咎めるように口を開いた。燐は仕種でスタッフにマイクを用意させている。
「俺も、一緒に録らせろ」
分厚いガラスの向こう側で、出雲が諦めろ、と肩をすくめた。
志摩のドラムが響いた。次いで燐が息を吸う音。
「―――!!」
男性の声にしては、少し高い声。ただ声量はあって、か細いわけではない。突き抜けるような、真っ直ぐな声がスタジオを揺らす。マイクなど要らないのではないかと錯覚させる、その声に誘導されるように、勝呂はベースを鳴らした。
短かったような、長かったような四分間の録音が終わる。OKです。スタッフの声が聞こえて、ようやく息をついた。雪男のギター。勝呂のベース。志摩のドラム。それらが全部、燐の声の為だけに鳴らされていた。
燐の為の音楽。その表現がしっくり馴染む。
突然、燐の身体が倒れた。慣れた事なのか、慌てもせずに雪男が支える。雪男の腕の中で、燐は瞳を閉じていた。
すいません。本気で歌った後はいつもこうなるんです。
つまり、自分達の作った音が燐の本気を引き出せたと考えても良いのだろうか。勝呂は出雲に尋ねてみようと思った。





朝の音。雀の鳴き声。木の葉が擦れる音。バイクの排気音。軽自動車のタイヤの音。子供の声。
「lalala...」
頭の中を過ぎった音をなぞれば、懐かしいのにタイトルが思い出せない。
「lalalala....」
思い出したタイトルは。
「"青葉の唄"か。お前昔からソレ好きだったよな」
振り返れば、灰色の髪。壮年の男が立っていた。
「親父」
よう、と気楽に答えたのは、燐の育て親にあたる、藤本獅郎である。
「お前、またぶっ倒れたんだって? 雪男に聞いたぞ」
恐らく、雪男がこの家まで運んでくれたのだろう。燐と獅郎が暮らすこの教会に。
そう思ったら、なんだか申し訳なくなってきた。
「…ごめん」
「あー、雪男も俺も謝られんの嫌いなの知ってんだろ。謝んな」
頭を乱暴に撫でられる。逃げようと頭を振ると笑われた。
「燐。何か歌ってくれよ」
「…何がいい?」
問うと、獅郎は数秒間だけ悩む。
「Om bra mai fu」
「わかった」
風の音と共に、旋律が流れていった。