キミがくれた音
「で……こっちが食堂で、こっちが講堂だから」
「あ、はい。案内ありがとうございました、えっと……」
「ヴェルジェ・ティスティエータ。言いにくければエルで良いけど」
また異世界からの来訪者が現れた。エルドラ・ヴェラージュ。無限にあると言われている世界の欠片が集まってできたこの世界には、今でも様々な世界から様々なものが流れつく。この神の涙学院は、そういった行き場のない者達さえも受け入れて、この世界で暮らすための知識を授ける。
今案内しているこの男子生徒も、先日仲間と共に異世界から此処、エルドラへと飛ばされてきた。
学年とクラスが同じになったため、教師に案内を頼まれ、一通り歩き終える。ただ、一通り案内したとはいえ広い敷地内は、1日で覚えきる事は不可能だろう。
「エルさんですか。よろしくお願いします」
人懐っこい笑みを浮かべた彼は手を差し出す。その手を軽く握り返すと、満足そうに頷いた。
「でも珍しいですね。ヴェルジェさん、でしたら、愛称は一般的にヴェルかルジーになりますよね」
まあ、この世界の常識はまだ解りませんが……そう控えめに付け足すと、頬を掻く。
「ルジーって呼ばれる事もあるけど、基本的にはエルかな」
「何か理由があるんですか?」
「理由……」
言われて改めて考えてみる。それは、昔の話。メルアス姫とその父王に拾われてから、王宮で過ごし、学ぶようになったばかりの頃。メルアス姫が当時5歳で、まだ幼い姫様だった頃の出来事。
………−−−
『ねぇ、あなたなまえはなんて言うんだったかしら?』
『ヴェルジェ』
『うぇる……?』
『ヴェルジェ、です』
『うぇる、えるじぇ……?』
『ヴェ。発音、難しい?』
『むずかしいわ……レディにあるまじき“しったい”だわ……』
『そこまでの事じゃないよ別に……』
『きめたわ!あなたは今日から“エル”よ!』
『は?』
『エル!ほら、すてき!これなら言えるもの!』
『……うん、僕を拾ったのは姫様だから。名前は、姫様のお好きなように』
『じゃあきまりだわっ。エルよ、エル!』
まだ、幼かったあの頃。全てを捨てた僕に、生きる理由と呼び名をくれた。それにどんなに救われたのか。今でもまだ“エル”と名乗るのは、その時の記憶が、自分の中に暖かな思い出として残っているから。
−−−………
「理由は……内緒かな」
「え?」
「内緒」
そう言って黙る僕に、キョトンとした顔を向ける。しかしすぐに笑顔に戻ると、「そうですか」と、静かに頷いた。
思い出は、胸の中。たとえキミが覚えてなくても、僕にとっては消えない思い出。
『エル!』
キミが呼ぶ声。
キミがくれた音。
...end...
2019/04/11 修正
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