神涙図書室 | ナノ




  雨宿り



「雨ですね……」

 学院の課外活動で、院外に出てきていた。簡単な仕事や雑務は、学院から仕事として掲示される。配達や護衛、採取や魔物の討伐といった内容が主で、微額だが報酬も用意されているそれを、単位に関係しないとはいえ自発的に受ける生徒は多い。一応は課外授業、活動という名目だが、大体の生徒は『仕事』と称する。

 今回受けた仕事内容は、学院長から西の国のとある人への文書の配達。
 しかし学院から転送魔法陣で飛んだ先は、本降りの雨だった。隣で、今回パートナーとして共に同行しているクラウスが、不機嫌そうに空を見上げている。
 課外活動は必ず2人以上で受ける事が条件。内容によっては学部や人数指定があり、教師が同行したりもする。

「この雨では、文書が濡れるかもしれません。どこかで、雨宿りしませんか」

「仕方ないだろうな……」

 面倒そうに身体の向きを変えると、今日は休業らしい店の軒下へ向かう。こちらではずっと雨が降っていたのだろう、道行く人は少なく、がらんとした通り。

「なんだか、貴方といると、雨が多いような気がします」

 微笑気味に言えば、ちらりと視線をこちらへ寄越す。しかし何も言わずにまた、正面へと瞳を動かした。少し濡れた制服姿、剣を抱えて、ゆっくりと瞳を閉じる。その横顔に視線をやれば、少しだけ濡れた髪から、雫が落ちた。温かみを感じない横顔、白い肌。伝う雫が、一層冷たく見えた。

「私のいた世界は、あまり雨が降らない世界でした。ですから、こうして誰かと雨を見て、雨音を聞くのは、少しだけ、楽しく思います」

 沈黙に耐えかねた、と言う訳ではない。むしろ彼の作り出す静寂は落ち着いていて好ましい。ただ、こうしていられる今、何か言葉をかわしたいと、そう思って言葉を紡ぐ。

「クラウスには、何か雨の思い出はありますか……?」

 躊躇いがちに投げかけた質問。ゆっくりと開いた瞳は、ただ静かに雨を映して、またゆっくりと閉じた。
 答えを期待した訳ではなかった。答えてくれるような人だとは思っていない。けれども少しばかり気落ちして、静かに空を見つめた。どんよりと曇った空から落ち続ける雨粒。目の前を、傘を差して歩く親子が、楽しそうに通り過ぎて行った。

「昔……」

 その時、雨音にかき消えそうな小さな低い声が、ぼそりと呟くのが聞こえた。驚いて顔を上げれば、彼の瞳は開いていた。
「ずっと昔。学院に来る前だな……虹を見た事がある」

「虹、ですか?」

「明るい空から降る雨と、空に掛かるそれが……不思議だった」

 空を見上げた緑色の瞳。遠い昔、幼い少年だった頃のクラウス。当時少年は、何を思って空を、虹を見上げ続けたのだろうか。

「……それだけ、思い出した」

 ぼーっと横顔を眺めていた私と、そう言ってこちらを向いたクラウスの視線がかち合う。正面から見据えた緑色の瞳は、暗く陰りながらも、澄んだ輝きを放っている。しばし何も言わずに緑色の瞳を見つめていると、クラウスが僅かに首を傾けた。

「……え?あ、ありがとうございますっ」

 慌ててそう言うと、微笑んで視線を正面に向けた。それきり黙ってしまったクラウスだが、その沈黙が、妙に心地よかった。

「私、虹を見た事がないんです」

 そう呟いてみても、もう彼からは何の反応もなかった。

「いつか、見られたら嬉しいと、そう思います」

 貴方と一緒に。

 その台詞は飲み込んで、ただ空を見上げた。

 厚い曇に覆われた空。雨は、まだ止みそうにない。

...end...



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