神涙図書室 | ナノ




  ひだまり



また、上手くいかなかった。
また、兄さんと上手く話せなかった。

どうして………僕は。

ただ『お疲れさま』って言いたかっただけだったのに。
その『お疲れさま』さえ、簡単に言えないなんて。

ため息を吐いた、授業終わりの教室。席に座って、ただじっと考え事をしていた。
訓練が終わった兄を見掛けて、『お疲れさま』のたった一言、声を掛けようと近づいたのに。結局いつもの憎まれ口になってしまった昨日。
そんな僕を、怒るでも呆れるでもなく、ただ一瞥して通りすぎた兄さん。

全てが、悲しくて、悔しくて。
なんだか、この世の終わりみたいな気分で1日を過ごしてた。

「どーーんっ!」

「んなっ…!?」

突然、場違いに明るい声と共に、後ろからタックルをくらった。

「あはははーっ」

そのまましがみついて笑うそいつの姿を、なんとか捉える。

「…っスイレン……」

「クーちゃん!」

名前を呼ばれ、嬉しそうに笑う同い年の女の子、スイレン。
その呆れるくらい晴れやかな笑顔に、なんかもう、ため息すら出なかった。

スイレンとは、たまたま同い年という事で集められた、特別実習で知り合った。

武術科のスイレン、エフィ。
魔術科の僕とレラウェリィ。
この4人で組んで、隣町までの御使いをこなしてきた。

魔術科に義兄のいるらしいスイレンは、しょっちゅう魔術科校舎に顔を出す。
その時にたまたま会えば、言葉を交わすくらいの仲にはなった。
けど、こんな風にわざわざ教室に来たりする事はなかったのに。

「何か用?」

「用?」

苛立ち気味に聞いてみたら、キョトンとした顔が返ってきただけだった。

「僕に用があって来たんじゃないの?」

「んーと、そこをね、歩いてたの」

つい……と廊下側を指差す。
「そしたら、クーちゃんが見えた」

「で?」

「おしまい」

………………………

「つまり用は無いの?」

「うんっ」

にぱーっと楽しそうに笑う。
いやいや。何が楽しい。
本日何度目かになるため息を吐いた。

「でも、クーちゃん"悲しい"の顔してたよ?」

「……は…?」

笑いながら、スイレンは言う。僕をまっすぐ見て、笑った。

「スイレンは"悲しい"を知らないけど、"悲しい"の顔をするサツキちゃんや、友達はいるよ」

そんな、顔してた。そう言って、僕の手を取る。

「"悲しい"の時は、1人は"寂しい"になるんだって。スイレンがいると、サツキちゃんは"悲しい"が、嬉しくなるって言ってたよ。だからクーちゃんも……」

「…さわるなよっ」

繋がれていたスイレンの手を払う。
違うんだ。この子は違う。僕とは違う。だって僕は、悲しいとか悔しいとかそんなのばっかりで。
だけどこの子は、悲しいとか悔しいとかを"知らない"者。
嬉しいとか、楽しいしか"与えられなかった"者。

「…っだから何な訳?僕が悲しいから慰めてくれるとでも言うの?悲しいが何かも知らないくせに?そんな……ECのくせにさ、わかったフリしないでくれるっ!?」

歯止めがきかなくなった言葉を全部吐き出してから、ハッとなって、スイレンを見た。僕が乱暴に払った手を、しばし見つめていたスイレン。
目の前で怒る僕に、驚くでもなく、怖がるでもない、不思議な視線を送っている。

けど、ほら。

「スイレン、何か間違えたんだね」

キミはまた笑うんだ。

「バイバイ、クーちゃん。またね」

笑って、またねって言えるんだ。

「………何でだよ」

「……うん?」

制服の裾を、ギュッと握り締める。帰りかけたスイレンに声を掛けると、振り向いて僕を見た。

「僕、酷い事言っただろ。少しは怒らない訳」

「…うーん」

薄く笑ったままで、考える仕草をしてみせるが、

「わかんないや。スイレンには"無い"みたいっ」

すぐにお手上げの意を示した。

「……羨ましいな」

「うらやましい?」

「…僕は、悲しいとか、悔しいとか、辛いとか、果ては怒ってばっかりだから」

俯いて、床を見る。
そんな自分に、ほら、また悔しいとか、苛立たしいとか。

ポンっと、不意に頭に重みを感じた。そのまま、唐突に頭が撫でられる。

「…ちょっと?」


「スイレン、わかんないけど……"悲しい"はダメだよ。"悲しい"を続けたらきっと、ダメだよ」

でも、と、頭を撫でる手を止めた。

「"悲しい"がわかんないスイレンも、ダメな子なんだよねっ」

笑って、いた。
そう言いながらスイレンは、笑っていた……けど。
僕が見た、一瞬の表情は、悲しそうな、笑顔だった。
もちろん、そんな訳無いんだろうけど。

「……………ごめん」

"ECのくせに"
なんて、配慮の足らない言葉だったんだろう。
彼女らも、ちゃんと、悩む事だってあるのだろう。

「で、でも別に"ありがとう"とは言わないからな。気が紛れたとか、そんな事別に無いし、はっきり言って、余計悩みが増えた感じだしっ」

「うーん…?クーちゃんの言う事は難しいね。スイレン、役にたたなかった?」

「え…!?いや、でも、話してる間は兄さんの事、忘れてたし…」

「じゃあ、嬉しいっ?スイレンの事、好き?」

「な…っんでそうなるんだよっ!」

バンザーイ!と走り去るスイレンを追い掛けて走る。
と、急に振り返って、嬉しそうに笑った。
「サツキちゃんに報告するんだっ」

「何を!」

「スイレン、大好きなお友達が増えたよって!」

「はぁ?別にっ…と、友達とかじゃないしっ」

「あれ?」

心底不思議そうに僕を見る。

「…今から……なっても良いけどさ」

「うんっ、友達!」

「仕方なくだからなっ!別に友達とか欲しくないしっ。いない訳じゃないしっ!」

聞いているのかいないのか、笑い続けてる。
その時は、確かに悲しいとか悔しいとかは忘れてて、確かに楽しいような、そんな、久しぶりの感覚。

「………また、声掛けてくれても良いから」

今はまだ素直な言葉は出てこないけど。そんな僕にでも、心から楽しそうに笑う姿を見て、その時の僕は、笑ってたのかもしれないけど…。

END



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