人に変わった理由とその存在の消失【加筆修正】
それは、不思議な感覚だった。知らなかったモノ、持たなかったモノを、唐突に、得た。
『感情』
ECとして生まれた自分が、人間としての感情を知った。それは、ある1人の女性を愛し、愛されたから。恋をして、愛を知り、ECとして生まれた命は、人間に変わった。
『ハク、ありがとう。私の前に、現れてくれて』
『あなたは……生きて』
それが、彼女の最期の言葉だった。自分を変えた彼女は、俺を残して消えてしまった。
その手に抱いていたぬくもりは、消えて。残ったのは、双眸から流れる涙と喪失感。愛を与えてくれた女性は、悲しみを残して消えてしまった。
こんな、結末ならば。何故1度、愛を、人のぬくもりを、人としての感情を、人の優しさを、愛しさを、知ってしまったのだろうか。何故人は、何かを感じて、何かを欲して、何かを得ていくのだろうか。
どうせいつかは、失ってしまうのに。どうせいつかは、尽きてしまうのに。
しかし、彼女が与えてくれた、この『感情』と言うものは、どんなに悲しみ、苦しんでも、また前を向けるように、できているらしい。不可思議で、理解に苦しむこの『心』は、彼女が与えてくれたモノ。彼女が残してくれたモノ。それは、俺が、彼女を愛した証し。
彼女の墓に、花を手向ける。
「ハク……! じゃなかった、今はハゼルだっけな」
不意に後ろから、声を掛けられた。
「ロゼ……?」
「おう……って、違う。今はもう、ジェイルだ」
「そうだったな」
『ハクメイ』
『ロゼルド』
俺と、彼女の兄は、生まれた時に授けられたその名を、彼女の名と共に、墓標へ刻んだ。『ハクメイ』と『ロゼルド』は、彼女と共に眠ったのだ。
「明日からいよいよ授業、か。なあ、信じられるか? リゼ、俺とこいつが教師になったんだぞ」
ジェイルは、墓に向かって話しかける。その、兄としての表情は、ひどく懐かしく胸を打つ。言葉を止めたジェイルの代わりに、口を開いた。
「お前と共に逝けなかった俺達を、拾う者がいたんだ」
「中央大陸の学院の学院長。情けでもなんでも、俺達に今は選ぶ道なんかないから、それで生きる事にしたよ。少し寂しいかもしんないけどさ、もう暫く待っててな」
リゼルダを失った世界に、生きる意味など無いと、一度は思ったが。
「人として、生きてみる事にした」
お前が与えてくれた、この『心』を持って。声には出さずにそう伝えると、ふわりと風が吹く。それが合図のように、さて、とジェイルが口を開いた。
「俺は、聖堂の方にも寄ってくかな」
そう言うと、ジェイルは立ち上がる。亡骸を確認できなかった彼らの兄、ルゼの碑は建てず、リゼの墓標にも名は刻まなかった。もし生きてたら怒られるだろ、とジェイルは笑ったが、彼の中で整理がついていることは明らかだ。それでも時折、リゼの墓標ではなく、聖堂で祈る姿は、記憶の中の彼らの兄と対話するような、晴れやかなものにも見えた。
「お前は?」
「もう少し、ここに」
入れ違いで知り合った自分は彼らの兄とは面識がなく、リゼルダの碑の前で思いを馳せるだけで十分だった。
「……そっか。じゃ、学院でな」
「あぁ」
ジェイルは聖堂へと歩き始め、それを見送りながら、霊園の景色を見る。ここへ来てすぐ、亡骸をしっかりと抱いた自分が案内されたのは、学院都市にある、死者の眠る霊園だった。亡骸のあったリゼルダは丁重に弔われ、その儀式を通じて、ある種の感情の整理をつける、人の営みの合理性を知った。
沢山の命が眠る霊園の片隅の、小さな墓標。そこには、彼女と共に、昨日までの自分『ハクメイ』と名を貰った自分が眠っている。これからは『ハゼル』として、また違う人生を歩む。今はただ、彼女を愛した、その記憶だけを抱いて。
"リゼルダ・フィアフラン
ハクメイ、ロゼルドと共に
ここに眠る……"
...fin...
19/11/18 加筆修正
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