神涙図書室 | ナノ




  誰にも伸ばせない手



「お世話さんでした」

 スメラギが、そう言って保健室の扉を閉めた。先に廊下に出ていた自分に、お待たせ、と言うと、手を繋ぐ。いつもはすぐに離してしまう繋がれた手を、されるがままに引かれて、ぼんやりと歩く。

「なんやっけなぁ、名前忘れてもうたけど、お姫さんみたいやったなぁ」

 ふと、頭上から降ってきたのんびりと間延びするような訛った言葉。それに我にかえり、え? と顔を上げる。

「保健室でベッドにおった子。絵本のお姫さんみたいやったけぇ、見惚れてたんやないの?」

 見上げた先で、ん? と聞き返されて、何故だか顔が熱くなる。スメラギの黄色い瞳から目を逸らすと、自分は今手を繋がれているのだと改めて気づき、ハッとしてそれを離す。そうすると、残念そうに、名残惜しそうに少しばかり宙に浮いていた手は、行き場を探すようにしてしばらく、やれやれ、といったように、頬を掻いた。
 その様子を見て、なんだか少しだけこちらが悪いような気になって、下を向く。尋ねられていた言葉を思いだし、控えめに声を出す。

「別に……スメラギが……遅いから……。少し話してただけでしょ」

「そやった? オーキが怪我したーって聞いたけぇ、これでも急いで駆け付けたんやけどなぁ」

 スメラギがそう言う通り、あの子と話したのはほんの一瞬だった。先生がスメラギを呼びに行って、独りで取り残された保健室。座らせられていた丸いイスも落ち着かず、備え付けられているベッドは、空いているものと、使用中でカーテンが閉まっているものもあった。薬品の匂いや、普段入る事の無い空間に、少しだけ、不安を感じてキョロキョロとしていたら。近くのベッドの周りをぐるりと覆うようなカーテンが開いて、そこにいた女の子が、こんにちは、と笑った。こんにちは、と返したかどうかはわからない。続けて、どうしたの? と聞かれた言葉には、怪我をしちゃって……と答えたと思う。そう答えたすぐあとにはスメラギを連れた先生が戻ってきて、気恥ずかしくなって逃げるようにすぐに保健室の外に出た。名前を言う暇も聞く暇も無かった、そんな一瞬の事。

(もし次に会えたら……)

 そんな事を考えながら歩いていたら、スメラギがこちらを見ていて、目が合うと少しだけ不思議そうな顔をした。自分が黙り込んでしまったことに気づいて、別に、と口を開く。

「1人でもへーきだったのに……」

「保護者が学院におるんやもん、連絡くるんは当然やろ」

 ポンと頭に置かれた手を払うと、少しだけ腹立たしくて、声に刺を含ませた。

「……スメラギは保護者じゃないだろ」

「おーおー、まぁたそんなこと言うて。スメラギ、さみしーなー」

「……」

 立ち止まって泣き真似をし始めたのを確認したうえで無視すると、構って貰うのを諦めたらしく、そういえば、と隣に並ぶ。

「さっきの女の子な、ほんまもんのお姫さんなんやって」

「え……?」

「どっかの国の、お姫さんなんやって」

 詳しくは聞かんかったけど、と、何気なくスメラギが言った言葉。それを聞いて、ほんわりとしていた心が、ひんやりとした。

「そう、なんだ」

「可哀想やけど、身体弱いんかなぁ。よお保健室に付き添われてるん見掛けるけぇなー」

「そう……」

 歩くスピードも緩くなり、徐々にスメラギが先を歩く形になる。さっき見た、保健室の女の子を思い出す。ふんわり笑った顔は、緊張と不安感を解いてくれた。その笑顔と"お姫さま"という言葉が後に残った。童話のお姫さまは、優しい王子様に笑いかけているから。

(俺は……優しい王子さまじゃないから)

 もし今度会えたら、名前を聞いても良いのかな。怪我もしてないのに保健室に行くのはおかしいのかな。そうやって、さっきまで考えていたことが、しぼんでいくのをじんわりと感じる。胸が苦しいような、寂しいような。これは、なんだろう。

 伸ばした手は、いつも、届かない。

 それは、目の前を歩くこの人、スメラギだってきっとそうだ。ずっと一緒にいると言いながら、覗き込まれる黄色い瞳は、いつかくる別れを見てるようで。だって、俺はほんとの子じゃないから。

 きっと、あの子もそうなんだ。いつか離れなくちゃいけない。お姫さまはきっと、いつかくる王子さまに、その手を伸ばすんだ。

 だから、せめて。手も伸ばさないから。何も望まないから。見ているだけなら。

 ちくりと胸を刺すような。嬉しいような、苦しいような。暖かいような、冷たいような。そんな気持ちに蓋をする。いつか失うくらいなら、何も、掴まない方が、きっと、寂しくない。

 それ以来、保健室の前を通ることが多くなって、そこにその姿を見つけるだけで、ふんわりと、心が暖かくなるような、落ち着かないような。こっそり覗き込んでいるのをあの子や誰かに気づかれると、やっぱり、逃げてしまうけど。

 いつか。本当にいつか。声を掛けたり、掛けられたりするような、そんな、小さな勇気や奇跡が、起きたら良いのに。

...end...

Special Thanks!
保健室のお姫様⇒ノイン(魚住なな様宅)



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