神涙図書室 | ナノ




  届きはしない恋



 それは、恋と呼べるような綺麗なものではきっとなく。何か隙間を埋めるような、そんな感情だ。

 じゃあね、オリヴィア、と。笑い掛けてくるクラスメートに、同じように笑い返す。相手の感情を返すような、鏡でいることが楽だと気づいたのは、学生になってわりとすぐの事。感情を向けてくれる相手がいなくなると、自分の感情はなくなる。何をしたいのか、何を思っているのか。相手に合わせて口を動かすのは、とても楽だった。

 終わらない考え事の輪に嵌まる前に、思考を切り替えるべく備え付けの時計に目をやる。自分が選んだ1日の授業は終わったが、寮に戻るのも早いような中途半端な時間だった。ふと思い立って、鎌術の訓練室に足を向ける事にした。
 案の定、訓練室にその姿を見つけて、ゆっくりと近づいていく。人の気配に気づいたのか、ふいに、彼は目線をこちらに向けた。

 レイヨン・エイル。初めて彼を見掛けたときに、妙に心を動かされ、今までにないその感覚に、驚いた。鏡に徹していたはずの自分に、まだ、こんなに揺さぶられる心が残っていたのかと。気になって追いかけるうちに、色々な事を知っていく。彼が鎌術を専攻する武術科の生徒であること、心を持たないECであること、卒業後は軍人として生きること。

 不思議そうな目線を寄越したまま、特に言葉を発しない彼に笑い掛けた。

「こんにちは、レイヨンくん。訓練……じゃ、なさそうだね」

 あたりを見回し、そう声を掛ける。彼の専攻している術の人数比率は比較的少ない。訓練室には彼の他に生徒の姿は無く、彼も自主的に訓練をしているというよりは、ただ1人の空間に座り、ぼんやりとしているように見えた。

「隣、座っても良いかな?」

 更に声を掛けると、感情を映さない瞳は、少しだけ疑問の色を濃くした。

「俺に許可を取る必要性は感じないが」

 そっか、と少しの距離を空けて腰を下ろす。特に何を話すわけでもない。何も訊いてこないし、何も話さなくても許されるような、そんな空気。それは、息をするように相手の鏡になる自分が、唯一、何も語らず、演じず、ありのままでいて許されるような気がする空間。隣を見ると、少なくとも拒否はされていない。受容もされていないのだろうけれど。

 ありのままとは、なんなのだろうと思うときもある。自分が、今のこの姿をありのままなのだと、思いたいだけなのではないかと。自分すら見失っている自分が、唯一心を動かされたこの人の隣にいる今の自分なのだと、思いたいだけなのではと。真似る心を持たない彼の前にいるのが、ありのままの"オリヴィア"なのだと。

「オリヴィア」

「え……?」

 名前を呼ばれたことに驚き、俯いていた顔を上げた。

「何故オレに構う。お前がオレに構う利点は何もない」

 少しだけでも、不思議だ、というような色が滲んだ表情。じわりと、意図せず視界が滲むのを感じて、やっぱり、これが探している"自分の感情"なのだろうと胸が熱くなる。

 利点、あったよ、と。顔を隠すように、暖かみのない身体を、横から抱き締めた。

「名前、覚えてくれた」

 されるがままに身動ぎもしない相手は、次の言葉を待つように沈黙する。

「そして、呼んでくれた。ね、それだけで、十分なの」

 自分が思うより、幼い口調で自分は話すんだなぁと、なんだか他人事のように思えておかしい。発された言葉の続きがもうないと察してか、彼は息を吸い込む。

「理解不能。オレがお前の名前を覚えて呼び掛けたことは、幾度かの交流で必然的な事と言える」

「それでも、十分なんだよ」

 意図せずに、作らずに、感情を動かされるのは久しぶりだ。それも、ただ名前を呼ばれただけで涙が出るなんて、我ながらどうかしている。どうかしているとは思うのに、笑ってしまう。

 身体を離すと、動いた反動か目から涙が溢れた。それに気づかれないように、素早く腕を動かして、目を擦る。名前を覚えてくれた。ただそれだけのことで、涙が出るほど嬉しかった。感情が動かされた。これは、何だろうと考える間もなく、口が動いた。

「好きになって、良いかな?」

 呟くと、ゆっくり顔をこちらに向ける。何も映さない瞳は、こちらを見ていても、きっと、私を見ていない。問い掛けに対し、彼が自ら考えているのか、理解に足る知識を探しているのかはわからないが、しばらく沈黙した後で。

「オレは、そういった意図で造られていない」

「うん、だから、好きになるだけ」

「それはオレには判断できない。許可を取る必要性は感じないが、無意味な行動であるとは言える」

「でも、好きなんだもん」

「……」

 諦めたのか理解に至らないのか沈黙し、こちらを向いていた顔を、正面に向けた。表情を宿さない横顔すら、好ましく思えて笑ってしまう。

 好きになっても絶対に応えてはくれない貴方だから、貴方をずっと好きでいられる。好きだよって言い続ける事ができる。好きって言える自分の事を、見つけることができる。彼に彼自身の感情が無いから、永遠に自分の気持ちを送る場所にできる。

 つまるところ、一方通行のままでいさせてくれるから、そしてそのまま、私に限らず、誰のものにもならないだろうから、好きです、だなんて。

 それはひどく、自分勝手でわがままで、相手の事など考えてはいない、呆れた、幼い恋だった。

...fin



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