神涙図書室 | ナノ




  太陽と道化師のプレリュード



 廊下に、風が入ってきた。魔術科から、職員棟に向かう道をのんびりと歩いていたライは、ち、と軽く舌打ちをする。抱えていた書類が飛ばないように、戸締まりも兼ねてそれを閉めて回ると、夕暮れ時に下りてくる太陽の光が、嫌でも目に入った。
 太陽は、光のふりをする人間を、すぐに暴く。

「あ、ライ先生!」

 ため息を吐きかけたところで、後ろから掛けられた場違いに明るい声に振り返る。少年っぽさをまだいくらか残すその顔に、見覚えは、あるような、ないような。向こうがこちらの名前を知っているのだから、何かしらの接点はあったのだろうが、思い出すことはできずに、素直に降参する。

「んん、えーと……ごめん、誰だっけ」

「武術科のアキツグです! 以前、ライ先生の実技を見学させてもらいました!」

 茶髪を揺らして笑った幼い顔が、眩い光を宿すことに、少しだけ後退する。

「あ、そう。で? 武術科のアキツグせんせーが魔術科で何してんの?」

「散歩してたら迷子です!」

「へぇー……」

 全力で言い放たれた言葉に、そうとしか返せずにいると、アキツグの視線は、ライが抱えていた書類に向けられた。

「ライ先生は、放課後も忙しいんですか?」

「まあね。書類の片付けとか。俺、立場的にあんまり講義とかする訳じゃないから、雑務的なものが回ってくんのよねー」

「大変なんですね」

 迷いなく笑うその姿は、太陽の下が、とても良く似合う。

(早く、沈まないかなぁ……)

 目をやる窓の外には、未だ夕暮れ時の太陽。
 夜さえ来てくれたら。闇が全てを隠してくれたら、全部投げ出して騒げば良い。愛や恋なんて幻想だ。そんなもの、太陽になれる、太陽に照らされる、ごく一部の人が手に入れられる奇跡みたいなもので。

「あ、そうだ」

 思い出したように上着のポケットを探りだすアキツグに、ん? と視線を戻す。

「これ、ライ先生にあげますね」

 はい、と。書類を持たない方の手に握らされたのは、まぬけな顔のてるてる坊主。

「なにゆえ?」

 知識でしか知らないそれと、思いがけず遭遇したことと、いきなりそれを手渡されたことに困惑したが、渡した相手は当然のように笑っていた。

「うーん、なんとなく! 明日元気にしておくれってことで」

「天気でしょ?」

 良く知らないけど、と付け足す。

「細かいことは良いんすよ。アキツグ印のてるてる坊主は効果てきめんですよ! セルジオ先生や、キシュワード先生、クラハ先生、レムレース先生にもあげたので、お揃いっすよ」

 何をもって効果てきめんなのかはわからないが、連なったその名前達とお揃いだというてるてる坊主に、呆れにも似た笑いが浮かぶ。よく、構いに行けるものだと。

「あ、ライ先生も笑った! てるてる坊主の勝利っ! じゃ、失礼します!」

 にっこりと笑った幼い顔は、本当に満足そうで。

「なんじゃそりゃ」

 まぬけな顔のてるてる坊主と、迷子だと言ったわりに、迷いのない足取りで走り去る後ろ姿を見比べた。わざわざ声をかけてくれたのだろうかと、変に勘ぐってしまうのは、自分が疑り深いだけなのだろうか。あの背中は、本当に特に何も考えてはいないのだろうか。

 そうしていたら、夕陽が、廊下を照らしはじめた光が先程までと変わってきて、太陽が沈みかけていることに気づく。この季節の陽が落ちるのは早い。もうすぐ、夜が来る。教師という皮を脱ぎ捨てて、酒を飲んで、女の子と他愛もないやりとり。もうすぐ、待ち望んだその時間がやってくる。愛なんか知らなくても、甘言や嘘、金を並べれば人の温もりなんか簡単に手に入るし、それで十分だ。

 太陽になんかなれなくても、月の光なんかなくても、闇に溶ければ、影はできない。
 影さえ照らすような光。今さらどう望んだところで、影は、光になれないから。

「やめやめ。さ、終わったらどこに遊びに行こっかなーっと」

 楽しければ、それで良い。面白おかしく生きる事こそ人生で。影は影なりに楽しく生きてるから、それで良い。多くは望めない。

 貰ってしまったてるてる坊主をポケットに突っ込んで、職員棟への道を急ぐ。ごく一部の人が手に入れる奇跡を、望ませるような光はまだ眩しい。


...fin




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