神涙図書室 | ナノ




  確かめている恋 ★



 シウォンは、読んでいた本から顔を上げた。

 先ほどしゃがみこんでしまってから、未だにうずくまっているトゥーリの方を見る。泣き出しそうな声と、それでも泣くまいとしている気配。そっとしておこうかと、離れようとしたときに掴まれた腕を、無意識に擦る。
 引き留められるとは、思わなかった。不覚にも驚いた表情は、俯いた彼女には見られずに済んだが。用意していた行動は取れなくなって、かといって、どうしてやることもできず、放っておくこともできず、ただ、側にいる。

 しかし、そのまま帰るタイミングも、声を掛けるタイミングもまだ見つけられず、どうしたら、ここから元の調子に持っていけるかなぁと、ずっと考えているのだが。

 困ったお姫様だなぁ、と思ったところで、絵本の存在を思い出す。先程、彼女の手から滑り落ちた本。棚に戻したそれをもう一度引き抜いて、読み始めてみれば。王子様が苦難を乗り越えて、お姫様と結ばれる物語。

 改めてトゥーリを見ると、先程よりも、うずくまる姿勢に力がない。彼女としても、そろそろ、落ち着いたものの上げるに上げられない顔を、どうしようかと迷っている頃なのかもしれない。

「これ、可愛らしい絵本ですね」

 しんとした空間に発せられたシウォンの声に、ピクリ、と肩を震わせる。その姿を確認して、絵本を読み上げる。途中まで読み上げて、それにしても、と。ふと、思ったことを口に出す。

「王子様って根性ありますよね」

「え」

 思わず、といった様子で顔を上げたトゥーリ。目が合うと、どことなくだが、しまった、というような表情をしている。ようやく上げてくれた顔に、そんな表情。からかいたくなる気持ちをなんとか抑えて、話を続ける。

「そう思いません? 眠ってるお姫様がどんな人格かもわからないじゃないですか。そんな女性のために命賭けるんですもん。無理ですよ、俺ならね」

 絵本のページを捲りながらそう告げる。苦難を乗り越えた王子様は、見事姫を目覚めさせ、2人は結ばれる。シウォンに言わせれば、これはロマンチックな恋物語というよりも……。そんなふうに考えていると、トゥーリが声を上げ、思考は中断された。

「で、でも、やっぱりそれだけお姫様が魅力的なんじゃないですか? きっと、シウォン先生だって、そんな人が目の前に現れたら分かります……!」

 分かりますっていうか、その……分かってるのかもしれないですけど! と、必死になってそう言ってくるトゥーリ。ふーん、と口元に手をやり、考え込むように絵本を見つめる。

「やっぱり、女性はこういう恋物語が好きなんですかね」

 勉強になります、と告げてから。

「トト先生も好きですか? こういうの」

「え……」

「王子様とお姫様の、恋物語ですよ」

 問い詰めているつもりはないのだが、目の前の彼女は、何と答えるのが正解なのか、探すように目を彷徨わせる。シンプルに答えたら良いのに、きっと、無意識に相手にとっての正解まで考えて言葉を選ぶ。そしてきっと、相手の正解を選べなかった時に、自分を責めるのだろう。それならばそうまでして答えさせる必要もないので、すかさず言葉を繋げる。

「好きですか? 嫌いですか? あ、俺の事じゃありませんよ?」

「そ、それはわかってますから……!!」

 いつものような反応が返ってきたことに笑みを浮かべて。もう大丈夫そうかな、と、表情を窺う。

「あはは、じゃあ、これ以上機嫌を損ねないうちに、今度こそ退散しますかね」

 絵本を棚に戻して、出口に向かう。それを見て、慌てたように、あの! と声を上げるトゥーリ。はい? と振り返る。

「ありがとう、ございました……」

 ぎゅ、と、服の裾を握りしめて、絞り出すような声。側に居たことに対してだろうか、何も聞かないことに対してだろうか。

「良くできました」

 どういたしましてよりも先に、そんな言葉がするりと口を飛び出した。

「まあ、泣かせるまでもなく泣かれてしまっても面白くないですし。また、折を見て遊びに行きますね?」

 付け足すようなそんな台詞に、ぎょっとしたような顔で。

「来なくて良いです……!!」

「そうですか……残念です」

「え」

「冗談ですよ」

「……!?」

「あはは」

 何も返せず固まるトゥーリに、ひらりと、後ろ向きに手を振って、今度こそ図書館を後にする。

 知らない相手のために命を賭けた王子に共感はできないが、先ほど思いついた、納得できる解釈の仕方ならある。もし王子が、正義感や使命感ではなく、美しいと噂の姫を、自分が命を賭けて助けてみせたら、彼女はきっと自分を好きになるだろうと。極めて利己的な理由で命を賭けてみせたのだとすれば。

「……なんて事を口に出した日には、トト先生だけでなく、大半の女性を敵にまわすんですかね」

 代表して、とても憤慨してくれそうなトゥーリを想像し、少し笑みが浮かぶ。

 眠っている美人に恋をする気持ちは分からないけれど、恋をした人が眠りについてしまったとして。その人を起こすためなら、命を賭けることもあるのかもしれないし、その人が目を覚ますまで黙って側で待っていたりはするのかもしれないな、と。

 まだ確信は持てないけれど、いつかこの気持ちに、名前がついたなら。

...fin

Thanks...!
トゥーリ 魚住ななさま宅
魚住ななさまSS『掴みかけの恋』









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