神涙図書室 | ナノ




  時の流れと青い空



 それは、今から時を3年ほど遡る。

「おや、クラハ先生」

 黒いローブ姿に映える、短く切り揃えられた紅い髪。角を曲がった先で見かけた後ろ姿に、呼び掛ける。ややあって振り返った表情のない顔が、ああ、と動きを見せた。

「カーナー先生、おはようございます。その節はお世話になりました」

 ふわりと微笑んだ顔は、未だどこか痛々しい。半年前、ここへ来たばかりの頃よりは笑顔が見られるようになったが、誰かが声を掛けなければ悩んでいるような、物憂い表情をしている事が多い。

 クラハ・ティジェ教師。彼女とは多少の面識がある。かつて生徒だった彼女が再びこの学院の門を叩いたとき、たまたま自分がその場に居合わせた。心身ともに憔悴しきった彼女に神聖術を施し、学院長の所へと連れていったという、そんな出来事。少しばかり気にかけるには十分な理由だったために、経緯は訊いて多少気を回したが、それ以上は立ち入らないようにしている。

 そんな風に思考していると、不思議そうな瞳がこちらを見ていた。ああ、おはようございます、と返すと、日が登ったばかりの空の雲間から、眩い光が射す。それを眩しく見上げた後に彼女を見ると、彼女は俯きがちにこちらを向いたまま。

「今日はまた随分早いですね」

 そう言うと、ええ、と僅かばかりに表情が曇る。

「これから、教会へ行こうかと思います。少々、夢を、見たもので……少し、祈ろうかと」

 歯切れの悪い言葉に、失った"彼"や"彼ら"の夢だったのだろうと、ただ、笑みを返した。

「神父は必要ですか? 元、が付きますけど」

 そう声を掛ければ、僅かばかり驚いたような色を映した瞳が、戸惑うように瞬かれる。

「ご迷惑で、無ければ」

「迷惑なら迷惑と言いますし、そもそも提案などしませんよ、私は」

 そうですか、とホッとしたような顔を作った彼女は、では、と顔を上げた。

「ご迷惑ついでに、懺悔も訊いて頂いてよろしいですか?」

「構いませんよ。そういうのは良くやっていました」

 それが、その後も彼女の懺悔を聞く縁となった。

 それから3年が経ち、現在。

「おはようございます、カーナー先生」

 呼び止められた声に振り返ると、すっかり長くなった紅い髪を揺らし、会釈をするクラハ先生の姿。その笑顔は、3年前とは違う。憂いと、哀しみは相変わらず。しかしそこに強さや柔かさ、全てを内包したような。こんな穏やかな表情を見せるようになったのかと、人の成長を思う。

「おはようございます、クラハ先生。早いですね」

「ええ、今日は早朝に霊園へ寄ってきました。夢を見たので、会いたいなと。気休めでしょうか?」

 当時とは違う、何か吹っ切れたような、そんな言葉。

「何だか、懐かしいですね。かつてもこんな会話をしたような」

 そう言うと少しだけ、恥ずかしそうに微笑む。

「そうですね、当時は色々とご迷惑を掛けました」

「迷惑なら迷惑と言っていますから大丈夫です」

「そうでしたね、本当に先生はそんな方でした」

 当時は安心したようにした彼女だが、なんだか呆れたような表情を作る。まあそれもまた、お互いを知ったがゆえだろうと前向きに捉えることにする。

「あの頃よりは、迷いが晴れたような顔をしていますね」

「そうでしょうか、迷いすぎて迷っていることを忘れたような、そんな感じでしょうか?」

「長達なら"それもまた道"と仰いますよ」

 少しばかり学院長に似せようとしながらそう言うと、ふっ、と困ったような、眉を下げた顔で自然に笑ってみせた。

 ああ、と頷く。きっとこれが、彼女の笑顔なのだろう。作ったように綺麗でもなく、憂いを含んだ微笑みでもなく、どこか少女のような。
 特にその事には触れず、ただ空を見上げた。

「今日も、良い天気ですね」

「本当に、空が青いです」

 そう言って空を眺めることができるようになった彼女に、厳しくも緩やかな時の流れを感じた。

...fin

2019/05/22 修正



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