神涙図書室 | ナノ




  歪な夢と感情と



 暗い夢が、全てを飲み込んでいく。波となり渦となり。どんなに幸せな夢も"見ている"と気づいた瞬間に、それは悪夢になる。

「――っ……!!」

 夢に飲み込まれる瞬間に、飛び起きる。呼吸が乱れて、汗が止まらない。なんとか落ち着いて、深く息を吐いた。無意識に、掛かっていたブランケットを握りしめた。

「目が覚めました?」

 涼やかな声に、ビクりとして声の方を振り返る。ソファに胡座をかき、こちらを眺めている、光を宿さない、冷たい瞳の、ムカつく笑顔。

「サイード……」

 整えた呼吸で、出来るだけうんざり聞こえるように名前を呟く。その程度のことでそのムカつく笑顔は変わらずに、大丈夫ですか? と心のこもっていない心配をする。

「ずいぶんうなされていましたよ」

 共同スペースで寝ちゃったのか、と辺りを見回す。本とソファと、机。どうやら、書物室。壁掛け時計を見ると時刻は真夜中で、サイードの他には誰も見当たらない。
 こんな時間に読書中だったのだろうか。両腕のない彼は、器用な足使いで本を机に置くと、そのままソファから立ちあがり、近くにあったタオルを、また器用に足で掬い、こちらに伸ばす。

「いつものことだから……」

 少しだけ睨むようにして、そのまま転んだら笑ってやろうかとバランスを取る彼を見つめるが、一向にバランスを崩す気配もなく、首を傾げるような仕草で此方を見下ろす。これ以上見下ろされるのが嫌で諦めて受け取る。満足そうに、ただ少しだけ嘲るような光を瞳に宿し、ソファに戻る。
 受け取ったタオルで汗を拭うと、一息つく。かすかに、ミントの香りがした。それに落ち着いて目線を上げると、此方を眺めているサイードと目が合う。なに? と言うように首を傾げる。

「難儀ですね」

「……なにが」

「誰よりも夢に焦がれる貴女が、悪夢しか見られないなんて」

「余計なお世話」

 もう一度タオルに顔を埋めて、サイードの顔を見ずに、ぼそりと呟く。

「それに、難儀だなんてサイードには言われたくない」

「と、言うと?」

 タオルから顔を上げると、思い当たらないのか本当に不思議そうな顔をしていた。それに気を良くして、少し笑うように言葉を続ける。可哀想なのは、そっちなんだ。

「サイードが望む夢には、エク姉がいるから。好きなんでしょ? 叶わない想いってやつ?」

 サイードは、またそれですか、とため息をつくように吐息を漏らす。

「だから、貴女は浅はかなんですよ。貴女が見せるのは望む夢。夢は夢です。現段階では現実と混同はできない」

「でも、エク姉が好きなのは事実なんでしょ?」

「事実ですよ?」

 気に入らない。そうやって簡単に認めて笑うことも、優しい声を出すのも。もっと苦しめば良いのに。そうしたら、きっと、サイードだって夢に逃げる。

「俺はね、エクもイサも好ましく思います。でもだからこそ、そこに俺はいらないんですよ」

 え? と、顔を上げる。
 
「どういうこと? イサは関係ないでしょ?」

 そう言うと、珍しく少しだけ、驚いたような表情を作った。しかしそれも一瞬で、うつむいて、そうか、と短く呟く。

「……そうですね。イサは、夢を見ないんでしたっけ」

「うん、どうやってもイサの夢は見えたことない」

 イサ。ウロボロスの幹部で、エク姉の理解者。1度彼の夢を覗こうと思って話をしたけど、彼はそもそも夢を見ないのかもしれない。見ていたとして、それを夢と認識しないから、ぼくは介入できない。望む夢を見せることもできないから、彼の望みはわからない。エク姉が好きなのかなとは思うんだけど、何だかそれも曖昧で、はっきりしない。それに、そうじゃなくても彼は、ぼくを受け入れてくれてない。受け入れてくれない人の夢には介入することはできない。

「……強いな、あの子は」

「え?」

「何でもありませんよ。さ、良い子は寝る時間です」

 誤魔化すように語りかけてくるサイード。うつむいて、嫌だよ、と呟く。

「もう、寝たくないから」

「そんなこといってるから隈が濃くなるんです」

「でも、もう、見たくないから……自分の夢。それよりサイードの夢が見たいな」

 だったら寝ても良い、と返すと、呆れたように首を振る。
 
「お断りしますよ。どんなに悪夢だろうと、自分の夢を見てください、まだ側にいますから」

 意外な台詞に、目を丸くする。

「……起こしてくれるの?」

「うるさいくらい、うなされたらね」

 違う。彼は知らない。悪夢にうなされるくらい構わない。ぼくが本当に恐いのは。

「……眠ったらさ、もう、悪夢のまま起きられないんじゃないかって……」

 そこまで言って、ハッとする。何を弱気になっているんだろう。こんなやつ相手に。

「なんでもない」

「……そうですか」

「おやすみ」

 頭からブランケットを被って、背を向ける。

「おやすみなさい。こういう時頭でも撫でてあげられれば安心できるんでしょうけど、生憎こんな身体なので。ああ、足で良ければ」

「嫌だよ」

「ですよね」

 クックッと、からかうように笑った後で、もう一度だけ、おやすみなさい、と呟く声。それに少しだけ安心する自分に首を振りながら、目を閉じる。息を吸い込む気配に、また何か嫌みでも言われるんだろうかと身構える。

「俺はね、貴女の事も結構好きなんですよ、エフィア」

 呟かれた言葉に、閉じていた目を見開く。
 続きを待つが、次の言葉が紡がれる気配はない。

「……あっそ」

 出来るだけ興味が無さそうに返せば、予想していたかのような、短い笑い声。

「女たらし」

 くるりと身体を転がして、軽蔑したようなジト目を返してやる。えー? と、仕草だけは困ったようにしながら、笑ってみせる。

「そういう意味には捕らえないでもらいたいですね」

「知ってる」

 そう返して、また背を向ける。
 それは勿論知ってる。でも、知らないでしょ、だからこそそれが、ちょっと嬉しかったなんて。

 だからね、どうして此処にいたのかとか、どうして掛けた覚えのないブランケットが掛かってるのかとか、どうして読書をするだけだったサイードがタオルを持ってたのかとか、そういうのは全部聞かないでおくの。これ以上、誰かを好きになんて、なりたくないんだから。

 どうせ、見るのは悪夢。囚われたら次に目覚める保証もない。でも、少しだけ、ほぐれた気持ちで眠りにつけた。

...fin





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