行き着く先の感情は
「あらアズゥ、お元気そうで何よりですわね」
「エリシエ講師?」
後ろから聞こえた声に、振り返る前から予想がついたのだろう、名前を呼ぶほうが姿を確認するより少し早かった。
「良く分かりましたわね」
「アズゥなんて呼ぶ奴、限られてるからな」
セルジオ・アズゥヴェルデ・クレメンテ。それがセルジオの名前だった。アズゥとは、エリシエによってミドルネームから拾われた愛称。そのためキーファルトやべリストゥーラにはそれで認識され、そう呼ばれるようになった。
「また背が伸びたんじゃありません? あら、撫でようにも頭が遠くなりましたわね」
セルジオは、毎度お決まりの挨拶にため息をつきながらその手を払う。
「あのな、あんた俺をいくつだと思ってるんだ。撫でなくて良いし、身長はとっくに止まってる」
「そうでしたかしら?」
「分かった、とうとうボケたんだな」
「あらあらあら、良い度胸ですのね。女性に対する礼儀というものを教えて差し上げますから、少しそこに直りなさい?」
「そんな時間ないだろう。学院長に用じゃないのか」
「いえ、今回はパリスが長期的に学院を留守にしますので、代理ですわ。ですので、時間はたっぷりあるんですのよ?」
にっこりと優しい笑みを見せながらも、さあ、と不穏な気配を漂わせるエリシエ。
「ああ、また学院長自ら視察、交渉か。西で大きな戦があったからな。良くやる」
エリシエの不穏な空気を避けるため、学院長の話題を拾う事にするセルジオ。それは成功したらしく、エリシエはそうですわね、と会話を続けた。
「それだけ被害が大きいのです。住む場所や職を失った者もおりますし、戦災孤児も多いんですの。わたくしには学院でどこまで受け入れられるか判断できかねましたので、パリスにお願いしたんですわ。彼なら、学院から関連団体まで顔が利きますもの」
「なあ、何度も訊くが、あの人がそこまでする理由は何なんだ?」
その質問に、エリシェラントは、ふう、と息を吐く。
「まだパリスを信用してはいただけませんのね?」
「理解出来ない」
「あらあら、大きくなって歳を重ねても、そこだけは子供なんですのね。そろそろ、相手を認める事も覚えませんと」
「あのな」
ふふ、と笑っていたエリシエが、少し真面目な顔をする。
「何度も申し上げていますけれど、居場所のためです。居場所がないのは寂しいものですわ。それは、誰でも。そんな人の為にも、もちろん自分達の為にも、居場所を守り、育てたいんですの。わたくし達の願いは、それだけですわ」
「そんなのは」
答えになっていない、と言おうとして、遮られる。
「答えですのよ。わたくし達にとっては」
「救いきれない者だっている」
「それが、救える者を救わない理由にはなりません。それが正しいか正しくないかは、分かりませんけれど」
セルジオが言葉に詰まると、柔らかく微笑む。
「それに、あなただって、ここが居場所になっているのではなくて?」
10年以上はいますものねー、と笑う。
「まあ、いずれは……出ていく事になると思うが」
「それでも、居場所は帰る場所となって存在しますのよ。だから、守らなくては」
「俺の場合、1度出ていく事になれば戻れないだろう。だから」
その先を言うのを少し躊躇うような一瞬の沈黙。
「居心地が良すぎるのは、困る……」
躊躇いながらも、セルジオの口から呟かれた台詞。エリシエは、まあ、と楽しそうに笑った。
「嫌ですわ、アズゥ。わたくし、年甲斐もなくキュンとしてしまいました」
「何でだよ」
「だって、急に可愛い事を言うものですから」
「は?」
「居心地が良くて困る、だなんて。わたくしには出ていきたくない、と聞こえましたわよ?」
そんなエリシエの言葉に、セルジオは不可解そうに腕を組む。
「どうしたらそうなる」
「無自覚なんですのね」
まだからかうように笑っているエリシエに、不満そうな視線を送るセルジオ。すると、2人に近付く影があった。
「おや、セルジオ先生もご一緒でしたか」
こんにちは、とのんびり告げられた声に、あら、とエリシエ。そこには、学院長であるパリスの姿があった。
「聞いてくださいなパリス、アズゥったら可愛いんですのよ」
「成人男性を捕まえて可愛いは失礼でしょう、エリス」
呆れ顔のパリスに、有無を言わせぬ笑顔。
「わたくし達から見たら、皆可愛いものですわ」
それもそうですね、とパリスは言葉を繋ぐ。
「セルジオ先生の可愛い部分は、私も興味があります」
「学院絡みなので、パリスも喜ぶと思いますわ」
「勝手に言っていろ」
セルジオは、そんな2人に背を向ける。長命族2人を相手にするには、分が悪い。
「また、お話ししましょうね」
「今度は私も混ぜてください」
後ろから聞こえた2つの声に反応は返さずに。セルジオは、エリシエの言葉を反芻した。
『出ていきたくない、と聞こえましたわよ?』
躊躇いながらも呟いた台詞をそう解釈されて、そうだったのか、と妙に冷静に納得する。
いつしか、悪くないと思っていた。
理解出来ない考えを持つ学院長に、気の合わない同期。最初こそ不満しか生まれなかったが、そこから学びとれるものの数と、感情。それは、セルジオにとって純粋に発見だった。
(だが、時期が来れば出ていく)
それは、ただひとつ決めている目標。
だからこそ。
「あまり、居心地が良いのは困る……か」
行き着く先の台詞に、どう取り繕っても、出ていきたくない、その気持ちが既にある事に、苛立つ。
いつの間にか、あんなに嫌っていた場所や考え方に毒されてきている。それに気づいて、苛立つ。
『行き着く先の感情は』end
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