あなたに出会うまでは
何故、と。今でも思わなくはない。
スラムの端、今日を生き延びる事だけを考えて生きてきた自分が、沢山の生徒を受け持つ教師になっているとは。
大半の生徒が、自分が今まで生き延びる為に使ってきた知識を、得ようとする。それは、かつての自分と同じように、今を生き抜くためだったり、なりたいものになるためのひとつの手段だったり。
それを『教わる』という環境にいなかった自分が、人に『教える』というのはなかなかに難しかった。自分にとって、必要な技術は勝手に会得するものであり、教わるものではなかったから。
そして、キツい言い方をする傾向がある自分には、ついてこれない生徒も多い。自分の感覚を人に伝えるというのは、こうも思った通りにいかないものなのか。
「ナルシュテム先生」
呼ばれた声に振り返ると、穏やかな笑顔。
「学院長」
「こんにちは。どうですか、少しは慣れましたか?」
「学院という環境には慣れた。だが……」
「教師という立場には慣れませんか」
言葉を探した自分に、お見通し、と言わんばかりの微笑。
「大丈夫、徐々に慣れます。生徒から教わる事も多いと思いますし」
「だと良いが」
「大丈夫ですよ」
では、と通り過ぎていく背中に、学院長、と呼び掛ける。不思議そうに、しかし暖かい雰囲気は変わらずに纏って、はい? と振り返る。
「これでも感謝している。あなたに出会わなければ、知らなかった生き方だ」
そう言った俺に、ふわりと微笑んで。
「出会いもまた、無数にある道のひとつ。そのひとつを選んで歩いているのはナルシュテム先生自身ですから。感謝は、ご自身の選択に」
頭を下げて、また歩き出す。ゆったりと歩いていく背中に、短く礼をする。
思い通りに行かない生活に、やりがいを感じている。そんな自分がいる事に気付いたのはつい最近。この生き方には、未だに何故、と疑問も抱く。が、嫌ではない。それ以上に、この生き方に出会えた事への感謝の気持ちもある。そんな感情を抱けるのもまた、此処で生活できたから。
「自分では、知ろうともしなかった世界だ」
この場所との出会いをくれたあの人に、感謝を。
願わくは、この場所があの人にとって、いつまでも安らげる場所であるように。あの人の帰る場所が、いつまでも沢山の人で満たされているように。
「繋いでいく、手伝いを」
あなたの手助けなら、しても良いと思えた。
...end...
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