戻ってきても、
「本当に、行ってしまうんですか?」
学院で暮らすと決めて、ついに旅立ちの日。
父親が新しく迎えた女性は、悲しそうに顔を歪めた。先日までは、家政婦として働いていた人。
「ええ。父の仕事が一段落したらお2人はここで暮らすんでしょう? 新婚を邪魔するような無粋な真似はできませんよ」
「そんな、オズくんだって家族じゃないですか。私達は気にしませんよ」
「あはは、僕の方が気にしますよ。ろくに家に居なかった父親と、長年お世話になった家政婦が、両親になって家にいるなんて」
「私はオズくんと家族になれて、嬉しいんですよ? お父様だって、今までの分きっと……」
“家族になれて”
それが、母親としての意味でなければ、どんなにか幸せだったんだろう。いままで彼女の向けてくれた愛情や優しさは、息子を思うようなそれだったのだと、理解する。
「残念ながら、両親と暮らせて喜べる年齢ではなくなってしまいました。むしろ肩身が狭いですよ。それなら、僕は僕の家族を探します」
まあ、と微笑んだ彼女は、そうですか、と頷いた。
この人より、大事だと思える人ができたなら。
「その時は戻ってきますよ」
「その時は、だなんて。その前にだって戻ってきても、良いんですよ? ここは貴方のおうちなんですから」
「あはは、そうですね」
きっと。
そんな時はきっと来ない。
戻ってきても、辛いだけ。
彼女が、かつては母が、選んだのは父だ。
そして僕も、困ったことに父が嫌いになれないのだ。
だからこそ彼女に潔く気持ちを伝える事も、新婚生活をかき回すような馬鹿げた真似も、父親に当たるような幼稚な考えも起こせない。
心に湧くのは、ああ、やっぱり、と。
諦めにも似た、納得。
「行くのか」
「え」
そんな事を考えていたら、目の前に現れた父親。
思いがけない出来事に目を丸くする。
「幽霊でも見たような顔だな。無理もないか」
その言葉に慌てて表情を作る。
「見送りですかー? 新婚でお仕事もお忙しいのに」
「今まで散々放っておいたから無理もないが。息子の出発くらい見送りに来るぞ、私は」
「そうでしたっけー?」
「……休みには、戻って来るのか」
「どうですかね、忙しいところみたいですし」
船の時間がありますから、と会釈して脇をすり抜ける。
父親が振り返った気配に、胸がざわざわとした。頼むからもう何も喋らないでくれ、と。願いも虚しく、息を吸い込む気配。
「身体には気を付けろ。オズワルド」
久しぶりに呼ばれた名前は、こんな響きだったろうか。
「貴方も、せいぜい長生きしたら良いですよ」
振り返らずにそう言いながら、手を振った。
いつか。本当にいつか。
戻ってきても、良いかと思ったその時に、この世にいないなんて事が、無いように。
今はまだ、戻ってきても、辛いだけ。
end
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