吾輩は猫である

三毛子は死ぬ。黒は相手にならず、いささか寂寞せきばくの感はあるが、幸い人間に知己ちきが出来たのでさほど退屈とも思わぬ。せんだっては主人のもとへ吾輩の写真を送ってくれと手紙で依頼した男がある。この間は岡山の名産吉備団子きびだんごをわざわざ吾輩の名宛で届けてくれた人がある。だんだん人間から同情を寄せらるるに従って、おのれが猫である事はようやく忘却してくる。猫よりはいつのにか人間の方へ接近して来たような心持になって、同族を糾合きゅうごうして二本足の先生と雌雄しゆうを決しようなどとう量見は昨今のところ毛頭もうとうない。それのみか折々は吾輩もまた人間世界の一人だと思う折さえあるくらいに進化したのはたのもしい。あえて同族を軽蔑けいべつする次第ではない。ただ性情の近きところに向って一身の安きを置くはいきおいのしからしむるところで、これを変心とか、軽薄とか、裏切りとか評せられてはちと迷惑する。かような言語をろうして人を罵詈ばりするものに限って融通のかぬ貧乏性の男が多いようだ。こう猫の習癖を脱化して見ると三毛子や黒の事ばかり荷厄介にしている訳には行かん。やはり人間同等の気位きぐらいで彼等の思想、言行を評隲ひょうしつしたくなる。これも無理はあるまい。ただそのくらいな見識を有している吾輩をやはり一般猫児びょうじの毛のえたものくらいに思って、主人が吾輩に一言いちごんの挨拶もなく、吉備団子きびだんごをわが物顔に喰い尽したのは残念の次第である。写真もまだって送らぬ容子ようすだ。これも不平と云えば不平だが、主人は主人、吾輩は吾輩で、相互の見解が自然ことなるのは致し方もあるまい。吾輩はどこまでも人間になりすましているのだから、交際をせぬ猫の動作は、どうしてもちょいと筆にのぼりにくい。迷亭、寒月諸先生の評判だけで御免こうむる事に致そう。

(以下省略)

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