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あの後竜崎は、何故かますます不機嫌になってしまって、ムスッとした顔でずっとソファーの上で丸くなっていた。松田さんも、何で竜崎と私が二人で居たのかとか、その場所がトイレだった事や泣いていた事に対して一つも教えてもらえなかったものだからとても不満そうで。
結局竜崎に追い立てられるようにして二人外に出されたけれど、ドアを閉めようとした時に竜崎に腕を掴まれて「ではまた明日」とだけ言われた。
ドアに隠れて顔が見えなかったけれど、彼の声はひどく優しいものだった。


松田さんと別れた後の帰り道、もう星が瞬き始めた空をぼんやりと見上げながら今日一日の出来事を思い返す。

『私はなまえさんの事が好きです』

あの時、あのドアの向こうで確かに竜崎はそう言った。きっと身勝手な行動をとってしまった私に愛想を尽かした、そう思っていたのに。
彼の表情、声、最後にギュッと掴まれた手を思い出しただけで、顔が熱くなる。あの言葉に時別な深い意味は絶対ないのだろうけど、きっとあれは部下を気遣う、上に立つものの計らい。

「とりあえず嫌われてはないって事だよね。よかった…」

はぁーと大きな溜め息をついてなまえは、さっきよりもっと暗くなった夜空見上げる。
その深い漆黒は、誰かさんの瞳の色に似ていた。




* * * * * * * *


あれから一日が経った。

昨日の事もあってなんとなく入り辛いかなと思っていたのだけれど、どうやらその心配は必要なかったらしい。
捜査本部のドアを開けると、なんとあのワタリさんと竜崎が喧嘩していた。

「ですから竜崎、私は仕事が全て片付かなかった事に怒っているのではありません」

「昨日の残りは、今日の分と一緒に終わらせるつもりでした」

「そう言う事を言っているのではないんです。私はただ貴方がそれを隠そうと嘘をついた事に対して怒っ…あ、」

なまえさん、とワタリがそこでやっとなまえが来たことに気がついて顔をこちらに向ける。追いかけるようにして竜崎の瞳がなまえと重なった後、すぐ逸らされた。

「おっ、おはようございます!」

故意にではないにしろ、二人の会話を立ち聞きしてしまって、なんだか気まずい。

「気付かなくてすみません、今日も一日宜しくお願いしますね」

そう言って微笑んだワタリさんは直ぐに部屋を出て行ってしまった。視線を、角砂糖のタワーを器用に積み上げている彼に戻す。
ワタリさんに咎められた竜崎は、なんだかいつもより少し背中が小さくなっていて、不謹慎にも可愛いだなんて思ってしまった。重症かもしれない。


「なまえさん」

「え、はい!」

「すいませんでした。昨日貴女に嘘をつきました」

「?」

「昨日、資料がまだ片付いてないものがあったんです。まぁ、その、嘘をついた理由は色々あるんですが」

背中を向けたまま、ぼそぼそと話す竜崎の声はどこか小さい。昨日の事?となまえは思考を巡らせた。確か昨日、膨大な事件の資料を有り得ない早さで片付けた彼は、得意気に「今日の分の仕事、全て終わりました」と言っていた。それを聞いて自分は、仕事が終わったんなら帰らなくちゃとか、竜崎とまだ一緒にいたいと思ったら悲しくなって、泣いて、部屋を飛び出して、駄々をこねて……、

考えているうちになまえの顔からだんだんと血の気が引いていく。私……最低だ!

随分と顔の白くなったなまえにずっと背を向けたままだった彼は、ゆっくり振り返って言葉を続けた。

「だから今日は昨日の積み残しがあるので、少し忙しくなるとは思っていましたが、予想外です」

「予想外…?」

「はい。今日ここに来られる人は、私と相沢さんとなまえさんだけです」

はっとして振り返ると既に資料の束を捲っていた相沢さんが、やぁ、と苦笑してソファーの向こうから顔を出した。

「どうしてですか!?」

少し声が上擦る。キラ事件を捜査しているのだから、もしかしてという嫌な考えが頭をよぎった。
焦るなまえとは反対に、なんだか竜崎は疲れきった様子でうなだれる。

「揃いも揃って、風邪です。皆さん松田菌にやられました」

「風邪…ですか(松田菌…)」

「最初に発症したたのが松田さんです。彼はここでウイルスを撒き散らして帰ったみたいですね。月くんに来てくれるようお願いしてみたのですが大学が忙しいみたいで…それより、貴女に移ってなくて良かった」

どろんとした竜崎の瞳となまえの瞳が合わさる。竜崎の最後の何気ない言葉に、どくんどくん、と鼓動が早くなる。

「お二人には、負担をかけてしまう事になりますがよろしくお願いします」

そう言って、資料の束をぐっと押し付けられる。結構重みのあるそれに、今日は帰れないかもと苦笑した。




──午後十時

本部には相変わらず、私と相沢さんと竜崎。
時計の秒針が丁度十二を指して、午後十時を告げた瞬間に竜崎が椅子をくるりと回転させてこちらに振り返った。

「一度仮眠をとって下さい」

そう言う竜崎の顔は酷く疲れきった様子だ。でもそれはここに居る私達も同じ事で、ソファーに沈み込んでいる相沢さんは、心なしかこの一日でやつれたようにも見える。

「…悪いな、空いてる部屋を借りるぞ」

相沢さんが部屋から出て行った後、なまえも慌てて立ち上がり、竜崎の背中に声をかける。

「あの、私も借りていいですか?」

すると竜崎の肩が僅かに上下しただけで、瞳がこちらを向くことはなかった。そういえば、彼は今日あまり視線を合わしてくれようとしない。どうしたんだろう、やっぱり嫌われたのかもしれない。

「構いません。部屋ならたくさんありますから、好きな部屋を使って下さい」

「はい。えと、それから…、」
もごもごと語尾が小さくなるけれど、どうしても言っておきたかったので意を決して口を開く。

「竜崎もちゃんと休んで下さいね」

「...わかりました」

「嘘はダメですよ!ちゃんと約束しましたからね!」

なまえが意気込んで言うと、くるりと回転イスがこちらを向いた。大好きな深い黒の瞳が、久しぶりに私を映す。

「貴女にはかないませんね。この資料が終わったら、私もちゃんと休みます」

約束ですから、と竜崎の口角がゆるりと上がって、それがまた胸の奥をぎゅっとさせた。


再びパソコンに向き直った竜崎に背を向けて部屋を出る。そういえばここに泊まるのは初めての事。

(えーっと、どの部屋にしよう…)

ざっとこのフロアを見渡しただけで、迷ってしまうほどの数がある。しばらく廊下を歩いて、奥の端の方にある部屋に決めた。
中に入るとそこは、何というか本当に必要最低限のものしか置いていなくて、殺風景な部屋。
枕元にある小さな灯りだけをつけて、キレイに整えられたベッドに音を立ててダイブする。


竜崎はちゃんと約束を守ってくれるだろうか、そんな事をぼーっと考えていたら、いつの間にか瞼がゆっくりと降りてきた。
心地よいシーツの匂いに身を任せて、心地よい眠りの世界に落ちていった。



* * * * * * * *


(今、何時だろう…?)

ぼんやりとした頭でそんな事を思った。
疲れからか、瞼を開けることなく意識は夢と現実をさまよったままだ。

遠くでガチャリとドアが開いたような音が聞こえた気もするけれど、それも夢の中のことかもしれない。
うとうとと、気持ちのいい独特の浮遊感に身を任せていると、今度はペタペタと裸足で歩く音がした。音がゆっくりと近付いてきて、急に止まる。…と思ったら急にベッドが揺れて何かがもそもそと、動いている気配。さすがに変だと感じたなまえは、そこで初めて瞳を開けた。

「ん、うおっ!!」

「おはようございますなまえさん」

覚醒しきれていなかったなまえの頭が一瞬にして叩き起こされた。それもそのはず、目を開くとそこには竜崎の顔が超ドアップであったのだ。

「んっな、なに、で…!」

真っ赤になりながら、何で!?と聞きたかったのに言葉になってくれない。

「仕事を終えたら休むと約束したじゃないですか、それにここは私の部屋です」

「えっ、嘘!」

「本当です。まだ時間がありますから寝ましょう」

「えっ…ダメ!私、絶対無理です!」

もうこれ以上ないくらいに真っ赤になりながらなまえが叫ぶと、竜崎は少し不機嫌そうな顔になった。

「どうして無理なんですか」

「ど、どうしてって…!嫌なものは嫌です!」

私の心臓が持たないからに決まってるじゃないですか!
すると、今までいつもと変わらない無表情だった彼の顔が一瞬強張って、なまえから少し距離をとった。


「もしかして」

「え?」

「そういう意味じゃなかったんですか?」

「竜崎?」

ドサッと竜崎がベッドの端からずり落ちた。

「ええ!大丈夫ですか!?」

慌ててなまえがベッドの下を覗き込むと、竜崎がうつ伏せのままで何やら呟いている。


「勘違いしていました」

「勘違い?」

「はい、好きの意味です」

竜崎の口から好きと言う単語がでて、かぁっと顔が赤くなる。そして竜崎の言っている意味がわかった時、ますます心音が加速した。
もう、恥ずかしくて呼吸の仕方もわからない。体の芯がおかしいくらいに熱くって死んじゃいそうだ。


「ち、違いますっ!」

思いっきり首を横に振りながら反論すると、竜崎はやっぱりと言うように顔をあげた。


「いや、そっちの違うじゃなくて…」

伝えたい、伝えなくちゃいけない言葉がどうしても歯切れの悪い言葉になってしまう。



「好きですよ」

「……っ!」

いつの間にか、起き上がって同じベッド脇に膝をついた竜崎は、瞳逸らすことなくを真っ直ぐに見てゆっくりと囁いた。ベッドのスプリングがたてるギシリという音が、何処か遠くに聞こえる。


「貴女が、好きです」

もう一度ゆっくりと紡がれた、愛しすぎるその言葉。

「私も…好きです、竜崎」

あぁ、涙が出そう。


「抱き締めてもいいですか」

返事をする前に、痛いくらいに抱き締められる。抱き締めてもいいかを聞くなんて、いかにも彼らしいと思った。







「竜崎、遅くなって悪かった、大学で教授に捕まって…」

月がドアを開けると、そこには手を握りあった竜崎となまえがベッドの上で熟睡していた。まるで寄り添うように。


「…おいおい、一体どうなってるんだ…」

月は目を見開いて、ドアの前に立ち尽くす。
しばらくして音をたてないようにゆっくりとドアを閉めた。






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