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「おはようございまーす…」

ガチャンとドアの閉まる音と共に、彼女の声が控えめに背後から響く。

はやる何かを抑えて、ゆっくりと振り返った。




「おはようございます」

くるりとイスを回転させてなまえの方に体を向けると、やけに顔が強張っているように見える。一瞬、やっぱり本当は来たくなかったのではないかという考えが脳裏によぎって、それを掻き消すように適当な言葉を探し口にした。

わかっている、自分の悪い癖だ。

「来てもらって早速なんですが、コーヒーを淹れてもらえませんか?」

「はいっわかりました!」

すぐに運ばれてきたそれは、ゆるゆると湯気を立ち上らせてコトン、と邪魔にならないよう脇に置かれた。ありがとうございますと一言だけ呟いて、ひとつ竜崎は溜め息をつく。

さぁどうしようか。目の前に高く高く積み上げられた資料が今日はやけに憎たらしい。そして背中から確かに感じる彼女の存在……気になる。ちらりとパソコンの画面に反射して映る彼女の横顔が目に入ってドキリとした。この感覚は未だに慣れない、コントロール出来ない。
どうすればいい。ゆらゆらと揺れて考えていた竜崎の動きが、次の瞬間にぴたりと完全に停止した。動きが止まった体とは反対に、さすが世界一の頭脳の持ち主。頭の中はある結論に達していた。
早く膨大な資料を片付けて彼女と話がしたい。この慣れない感情に少しだけ近づくためにも。とりあえず右手にあった資料を素早く手にとる。後はただ集中力とスピードで次々と資料を片付けていく。



ガタン

四時間ぶりに勢いよく振り返ると、何故かなまえはこちらを向いていて驚いたような顔をして目を逸らした。

「終わりました」

「……はい?」

「今日の分全て終わりました」

「そうですか…今日の…えぇ!ぜ、全部ですか!?」

「はい。全部、です」

本当は後少し残っているのだけれど。何しろこの男、嘘は得意なのだ。

「嘘…だってあんなに…」

「嘘ではありません。死ぬ気で終わらせました」

ふふんと鼻を鳴らして得意気な顔をしている竜崎。何故彼が嘘をついたのかと言うと、ただ単純な事。なまえと早く話がしたかった、ただそれだけ。まだ少し残った資料をちらりと横目に見て、どこかの老紳士の怒る顔が頭に浮かんだが資料と一緒にぐいっと頭から追い出した。

今日だけだ、ワタリ。


「それで実はなまえさ…」
「ちょっとすみません、」

一緒にケーキでも食べますかなんて言おうとした竜崎の言葉を遮るようにして、なまえは部屋を飛び出した。

何故だとか、どうしてだとかそんな事よりもただ、扉が閉まる瞬間に見えたなまえの涙が焼き付いて離れなかった。




「…ひ…っく…っ」

トイレの前まで行ったところでなまえの嗚咽が小さく聞こえて勝手に足が止まる。泣いている、と頭が理解した瞬間に何か全身からサーッと音を立てて引いてゆくのがわかって、思わずドアノブをぎゅっと握り締めた。


「なまえさん、開けて下さい」

ガチャガチャとドアノブを回しても開かない扉がもどかしくてたまらない。彼女の返事が返って来ないのがどうしようもなく不安でもう一度ドアを叩く。

「嫌です、開けません…」

やっと小さな声で返ってきた彼女の声は鼻声で、焦りだけが増していく。きっと自分が悪いのだ、さっき私は彼女に何を言った、どんな話をして彼女を傷つけた、


「開けて下さい」

ドンドンとドアを叩く速度が速くなる。

「嫌です」

「開けて下さい」

「嫌、です」

言い合いがトイレのドアを挟んだ外と中でしばらく続いた後、竜崎はドアノブからそっと手を離してドアに背中をもたれかけた。

「なまえさんは私の事が嫌いかもしれませんが」

ドア越しに2人背中を合わせて、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。



「私はなまえさんの事が好きです」

そう口にした瞬間、あぁそうだったのか、と妙に納得する自分に気付いた。ずっと深く根付いていたこの気持ちは、感情はこれか。今更気付いた、私は彼女の事を好きだったのだ、もうどうしようもないくらいに。

「何のために死ぬ気で今日の分の仕事を終わらせたと思ってるんですか」

はぁ、とついた溜め息をの向こうからガチャリとドアが開く音がして彼女が顔を覗かせた。

「……本当に?」

俯いて目をごしごしと擦るなまえを見て、自分の想いに気付いた竜崎は無性に目の前の彼女を、ただただ抱き締めてしまおうかと思った。大切な、この存在を。


「本当です、ですから」

「…私も、竜崎が好き、です」

ですから泣かないで下さい、そう言おうとした竜崎を遮るような小さい声でなまえの方から聞こえた言葉に彼は目を見開いて固まってしまった。


「よかった…私てっきり竜崎に嫌われたと思って…」

そう言ってぐすぐすとまた泣き出したなまえを前に竜崎はこれまで感じたことのないような胸の熱を感じていた。

彼女は今、私を、私の事がなにと言った?


そして竜崎が何か言おうと口を開けた時、背後から突然「あーっ!」と大声がした。
びくっとして声のした方を振り返る。


「なんでなまえちゃんがいるの!?」

その能天気な声が頭に響いた瞬間、みるみるうちに竜崎の顔が不機嫌になった。周りに黒いオーラまで漂っているように見えるのは、気のせいではないかもしれない。


「松田さんこそ何の用ですか…」

思いっきり嫌味を込めて言っても彼は悪びれる様子もなく、意気揚々と喋り出した。ますます竜崎の眉間にシワが寄る。


「僕は忘れ物を取りにきたんです。二人っきりで何してるんですかー?…ってなまえちゃん泣いてる!?どうしたの、あっ、まさか竜崎に泣かされたんじゃ…!」


一人でギャーギャーと騒ぎ出す松田。じとっとした目で睨んでみてもやっぱりその嫌味には気付かなくて、思わず大きな溜め息がもれる。


「松田のバカ」

そう囁いた言葉は、誰にも届くことなく松田の大声に掻き消された。





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