「おはようございまーす…」
ガチャンと閉めた扉に背をもたれて一息ついてからそっと踏み入れた、見慣れたはずの捜査本部は何だかいつもと違って見えた。
「おはようございます」
くるり。竜崎がイスを回転させてこちらを向いた。どうやら彼はもうパソコンの前に座って仕事を始めていたらしい。
「来てもらって早速なんですが、コーヒーを淹れてもらえませんか?」
「はいっ、わかりました!」
コポコポといい音と湯気を立ち上らせたコーヒーを、とんっと彼の邪魔にならないように隅の方に置くと、下にある黒い塊が私の顔を見上げる。
「ありがとうございます」
緩く竜崎の口角が上がった、と思うとまた直ぐにパソコンに向き直ってしまった。これくらいでいちいちドキドキしてたら今日心臓もたないや…。
勢いに任せて一緒に手伝うと言ってしまった事を、今更ながら少し後悔していた。そう、よくよく考えれば今日はずっと竜崎と2人きりなのだ。それに加えて、叶わない恋心と格闘しながら一日を過ごさなければならない。
とりあえず自分の席に着いて深呼吸をしてみる。胸に手を当てて確認しなくたって、体の奥の方からどくどくとやけに早鐘を打つ心臓の音がわかってうるさい。仕事仕事!とぺちんと両手で自分に喝をいれて、手元の資料に手を伸ばした。
それでもやっぱり、すぐ近くにいる竜崎の存在が気になって、ちらちらと無意識に目は彼の後ろ姿を追っていた。
初めの一時間、竜崎は何か深く考え事をしているみたいだった。目の前のパソコンに目をやるわけでもなく、資料を手にするわけでもなく。きっと彼のことだから頭の中ではめまぐるしく様々な事が駆け巡っているに違いないけれど。時折ゆらゆら揺れるその後ろ姿が愛しいな、なんて思っていたら、ぴたりと数秒動きが完全に停止して、彼は右手にあった資料を素早く手にとった。それからはコーヒーにも、途中で持って行ったクッキーにも全く気付かないくらいに、それはもう今まで見たことがないと言ってもいいかもしれない。凄い集中力とスピードで次々と資料を片付けていく。
すごい……。三時間以上が経過していた。
その間、結局パソコンを打つ手も資料を捲るスピードも一向に止まることはなくて、あれほどあった資料の山積みが今ではすっかりどこかへ消えていた。
ガタン
「……!」
そんな風にぼーっと眺めていると、急に瞳を大きく見開いた竜崎がなんだかものすごい迫力で振り返ったものだからは慌てて目を逸らした。竜崎と目が合ったのは…えーと、確か四時間ぶり。
「終わりました」
「……はい?」
「今日の分、全て終わりました」
「そうですか…今日の…えぇ!ぜ、全部ですか!?」
「はい。全部、です」
全部のところを強調して言う竜崎の顔は、少し自慢気。いやいや、ちょっと待って!さっき確か今日の分の仕事は全部終わったって言ったよね…?
「嘘…だってあんなに…」
「嘘ではありません。死ぬ気で終わらせました」
ふふん、とまだ得意そうに言う竜崎を尊敬と愛しさの目で見ていたら、あることに気付いてしまった。仕事…終わったのなら、私は帰らなきゃいけない。そう思った瞬間、胸の奥がずんっと一気に重くなって締め付けられる。まだ、一緒にいたい。心が確かにそう叫んでいた。思いきって何もかも全て言ってしまえたらいいのに。どうしようもなく貴方が好きですって、大好きなんですって胸を張って言いたい、のに。
「それで実はなまえさ…」
「ちょっとすみません、」
なにか言おうとした竜崎の言葉を遮るようにして、部屋を飛び出した。竜崎と一緒に居られるだけでいいとか、もうそんな嘘では通せないくらいに気持ちは抑えきれなくなっていた。苦しい、辛すぎる。
バタンと扉が閉まる音が部屋にやけに響く。
1人残された彼は、ただずっと彼女が出て行った方向を眺めていた。