蝶々結び | ナノ


(あの日の、あの子に、会いたい)





昼も太陽の光の届きにくい薄暗い廊下を歩けばギシギシと古い木が軋む音がした。この廊下はいつ見ても薄気味悪いけれど、わたしはそんなことで悲鳴を上げたり怖がったりするような可愛らしい女の子じゃない。わたしだって、れっきとしたくのいちの卵。闇の中が、わたしたちの本当の生きる世界。町娘とは少しばかり違うのだから。
それよりももう夕方なのに廊下が少しジメジメとして蒸し暑い。まるで夏がもう、すぐそこまで来ているよと、教えてくれているみたいだと思った。

「おかえり。どうしたの?ぼーっとしちゃって」

自室の襖を開けると同室の沙羅ちゃんが、鏡の前に正座をして唇に紅をさしていた。おしろい特有の香りがほんのりと部屋に立ちこめていて、普段とは違う大人っぽい色気に同性ながらも思わずドキッとしてしまう。
それにしてもわたしってば、そんなにぼーっとした顔してたのかなあ。ふと、沙羅ちゃんの使っている鏡の中に映る自分と目があった。髪はぐしゃぐしゃ。装束はさっきの組み手の授業中に水溜まりに突っ込んでしまってドロドロ。この格好で校庭や廊下を歩いてきたのかと思ったら、なんだか急に自分が恥ずかしくなった。

「お化粧してどこかに出かけるの?」
「そうなの!シナ先生と一緒にお使いに。町に行くのが久しぶりでワクワクしちゃう!ついでに何か買ってこようか?」
「ううんありがとう。楽しんできてね」

目をきらきらと輝かせてそう言う沙羅ちゃんは本当に嬉しそう。私たちくのいちは用事や実習でもない限り町に行く機会があまり多くはないから、仕方のないことなのかもしれない。そういえばわたしも最近町に行ってない気がする。外に出ると言っても、実戦で裏山とか裏々山とか…まあそんな感じだし…うん。
沙羅ちゃんと一緒にお風呂に入りに行こうと思って二人分の着替えの用意を置いていた棚の中から、自分の分だけの荷物を取り出して早めにお風呂に入りに行くことにした。そうだなあ、久しぶりに図書室から借りていた本をゆっくり読むのもいいし、夜の散歩なんていうのも素敵かもしれない。よしよし、そのあとにとっておいた大好物のお団子を今日こそ食べよう。

「ねぇ、前から気になってたんだけど」
「?」

お風呂から上がった後に着る着替えをたたんでいた手を止めて振り返ると、沙羅ちゃんの視線はじっとわたしの机の上に注がれていた。

「それ、なまえの髪の毛結ってる紐のこと」
「これ?」
「そう。結構古そうだけど新しいの買ってきてあげようか?」

お風呂に入るために解いて机の上に置いていた髪紐を、もう一度手に取る。淡い桃色の髪紐。一年生の時から毎日ずっと使っているからか、確かにところどころ糸がほつれてしまっている。換え時、なのかなあ…。

「そういえばなまえ、それしか使ってるの見たことないけどそんなに大事なものなの?」
「うん、大事っていうかお守りみたいなものなのかも…」
「ふぅん。あ、もうこんな時間!お土産に金平糖買ってくるね!」
「いってらっしゃい」

バタバタと沙羅ちゃんが慌てて部屋から飛び出して、急に部屋は静かになった。お風呂の準備をしていた手を止めて、手の中の髪紐をそっと指でなぞってみる。本当はお守りなんかじゃない。わたしがずっとこの髪紐を使っているのには、理由がある。あの日、忘れもしない忍術学園の入学式で出会ったひとりの男の子。桜の木の上で出会った男の子。少し色を見せない不思議な目をしていて、だけど屈託なく笑った笑顔にわたしは釘づけになった。この髪紐をつけていたら、いつかわたしに気が付いてくれるんじゃないかと思っていた。わたしはもう一度あの男の子に逢えることを、心のどこかで期待していたのだ。

(やっぱりもう、会えないんだろうなあ)

本当はずっと気付いていたこと。だけど気付きたくなかったこと。五年間、探した。それでも会えなかった。同じ年だけど、少し大人びていた男の子だった。これからわたしたちは少しずつ大人になっていく。それだけはどうしても止めることのできない事実で、会えないかもしれないという焦燥感が、寄せては引く波のように、わたしの心の中から何かをさらっていっていまった。大きな波が、寄せて、引いて、私の心の中の何かをさらった。
窓から差し込む夕陽に目を細める。なんだかちょっぴり、せつない。このせつなさは、人を好きになる時の甘酸っぱさに似ている。わたしは、あの男の子に恋をしていたのかもしれないと初めて気付いた。





100829

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