蝶々結び | ナノ


(夏がはじける音がした)





一生懸命に鳴く蝉の声がやけに五月蠅く感じるのは夏本番に差し掛かったのもあるけれど、夏休み休暇に入って忍たまやくのたま、先生方が帰省して学園にほとんど人が残っていないからだろう。「お土産期待しててねー!」と元気よく門をくぐって出て行った沙羅ちゃんを見送ってからそれほど経っていないはずなのに、もうずいぶん前のことのように感じる。夏の始まりはわくわくする気持ちになることが多いのに、今年はなんだかすでに寂しい。
それにしても休暇の間も図書室が開放されていて本当に助かった。二十日間も自室にずっと引きこもっているわけにもいかないから、鍛錬はまぁ適当に長屋の近くでやるとして…たんまりと出た宿題のくのたまの友は、図書室に通ってやってしまおう。

くのたまの友といくつかの本を抱えて図書室の襖を開ける。部屋の中はじりじりと太陽が照りつけていた外と違ってかなり涼しくて過ごしやすい。外の日差しはあんなに強いのに、高い本棚で遮られた室内はちょっと薄暗くて、本の隙間から差し込む日差しがとても心地いいからわたしのお気に入りだ。

「よいしょっと……え」

当然室内には誰もいないと思ってご機嫌に鼻歌を口ずさみながら何気なく机に本を置こうとして…一番奥の席にふわふわした髪の持ち主が机に突っ伏しているのが目に入る。嘘でしょ、どうして?

「鉢屋くん…!?」

自分が思うよりもずっと大きな声が出た。だって、どうして、鉢屋くんが?

「なんでここにいるの!?」

もし中在家先輩がいたら図書貸出カードが私の頬をかすめて飛んできただろう。図書室では私語厳禁とよくわかっているはずの元図書委員の私がそんなことを気にしていられないくらいの驚きだったのだ。
慌てふためくわたしとは正反対に、鉢屋くんはゆっくり起き上がってから伸びをして眠そうな半眼を手でこすった。

「図書室が一番涼しいからここにいる」
「そういうことじゃなくて…帰省しているんじゃなかったの?」
「今年はしないことにした」

それだけ言うと鉢屋くんは席を立ちあがって、どこへ行くのかと思えば私の前の席に座って眠たそうな表情で頬杖をついた。つられるように思わず私も着席する。

「それよりなぜ私だとわかったんだ?」
「え?」
「図書室といえば雷蔵だろう」

言われてハッとした。確かに図書室にいるふわふわ頭と言えば図書委員の雷蔵だ。けれどさっきの私は雷蔵か鉢屋くんどっちだろうなんて迷いすらしなかった。鉢屋くんだ、と思った。

「なんでって…勘…かな?あと雰囲気、とか?」
「なんだそれは」

そういってふっと鉢屋くんが笑った後、急に真顔になった。頬杖をついたままじっと真っすぐこちらを見ている。途端に図書室に男の子と二人だという状況整理を勝手にわたしの頭が始めようとするから、急いでその考えを頭の片隅に押しやった。すぐに顔に熱が集まってしまう癖をどうにかしたい。

「髪、結ってないんだな」

そこで初めて鉢屋くんの視線がわたしの髪に注がれているのに気付いた。この前の予算会議でのあの出来事を思い出す。なんだか言葉に詰まってすぐに返事をすることができなかった。
四年以上大事に使っていた桃色の髪結いの紐。焦げてボロボロになってしまったそれを見て「気に入っていたから」そんな適当な言葉ではごまかせないほどに鉢屋くんの前で狼狽えて泣いてしまった。もしかしたら理由を聞かれるかもしれないと思っていたけれど、あの日も鉢屋くんは多くを聞かずにただ長屋につくまで、私の涙が乾くまで、黙って隣をゆっくりと歩いてくれた。

「ところどころ千切れちゃってるからあれで髪は結えないし、休暇中だから結わなくてもいいかなぁって」

鎖骨下で切り揃えられた毛先を指先で触りながらへらっと笑ってみせる。
無理をして笑顔を作ったわけじゃなかった。あの時、髪結いの紐が無くなってしまったと思った時、焼け焦げてボロボロになったそれを見た時、確かに絶望という言葉がぴったりと当てはまるくらいに落ち込んで悲しかったのだけれど、自室に帰って机の引き出しにそっとそれを仕舞ってみると、なんだか同時に胸がスッとした。本当はもっとはやくに手放しておくべきだったのかもしれない。あの男の子にもう一度会いたくて、この繋がりしかないからと意地になって、ずっと追いかけていた存在するかもわからない亡霊の手をやっと離せた気がした。

「ふーん」

そういって興味をなくしたように私の髪から外れた視線が今度は机の上を彷徨って、私の手元からくのたまの友をスッと抜き取られる。

「休暇の初日から宿題に手を付けるやつなんて本当にいるんだな」

そういってぱらぱらと頁をめくる。ちょっと、忍たまがくのたまの友を見るのはだめなのでは…?

「こんなものは休暇明けの三日前にでも取り掛かれば充分間に合うだろう」
「間に合わなくって泣いてても助けてあげないからね」
「みょうじは私の成績を知らないのか?」
「ぐっ…」

ぐうの音も出ないとはこのこと。目の前でにやりと笑う彼の成績は非常に優秀だと何度か耳にしたことがある。面白い玩具でも見つけたかのようにあからさまに機嫌が良くなった鉢屋くんを見て、なんだか逆に嫌な予感がしてきたわたしは鉢屋くんの手の中にあるくのたまの友を取り返そうと手を伸ばした。


「わからない問題は私が教えてやってもいいぞ。ただし、条件付きだ」

伸ばした手はあえなく宙を掴んで、鉢屋くんを睨みつけた。わたしの凄んだ顔なんて全く効果がないのか、楽しそうに目の前でくのたまの友をひらひらと揺らす。
条件が何かなんてとてもじゃないけど恐ろしくて聞くことができない。


誰もいないのをいいことに本を返す返さないで賑やかな押し問答を繰り返した。
外では蝉がより一層元気に鳴いている。なんだか今年の夏はとても眩くて、夏の始まりはやっぱりわくわくした気持ちになった。








240825

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