短編 | ナノ




「あの部屋はNさまに与えられた世界…私は入っても何も思わないが…お前なら、なにか感じるかもな」

その言葉がわたしの脳内に響いた次の瞬間にはもう、目の前にダークトリニティはいなかった。やけに無機質な自分の足音だけが、コツコツと廊下に冷たく響きわたる。部屋の中を覗いてみたい気持ちと、見たくないという自分でもよくわからない感情が、ぐるぐるとお腹のずっと奥の方で渦を巻く。私はNのことをどんな風に思っているのか、自分でもよくわからなくなっていた。初めに合ったときに感じたのは、恐怖と怒りだけだったのに、彼と何度か話すうちに感じた、彼の時折見せるとても苦しそうな表情が、私までどうしようもなく切なくさせた。そのよくわからない自分の気持ちが何なのか、知りたいと思っているけれど、両親や友達からたくさんの幸せを与えられて育ってきた私には、彼の苦しみは大きすぎて近づくことすら出来ないのかもしれない。でも、それでも、少しでも近づけたら。そう願ったから、私は今ここに立ってる。
どうにかして気持ちを落ち着かせようと、大きく息を吸い込めば、冬でもないのに空気までどこかひんやりとしていた。冷たい、重い空気の匂い。震える手で、そっと扉に手をかけた。

(ここが、Nの、部屋…?)

もっと殺風景な部屋を想像していた私は、扉を開けた瞬間飛び込んできた、原色をひっくり返したような派手な部屋に驚いて立ちつくす。これは、なんていうか、彼の部屋っていうよりも、

「子供部屋、みたい…」

部屋に入った瞬間に肌で感じた異様な空気。バスケットゴールの中に突っ込まれた、乗り物の模型。傾いた絵画に突き刺さっているダーツの矢。使い込まれたバスケットボール。足元で、壊れたレールの上を走るおもちゃの電車が、ガガガと異様な音を立てている。

「なに…、これ…」
どうみても普通じゃなかった。
よくみると壁や床、そこらじゅうにポケモンが引っかき回したような傷がある。ひとつずつ、しゃがんで手にとって触れてみる。冷たい。悔しい、許せない。こんな場所で彼は長い時間を過ごしたのだろうかと思うと、どうしようもなくぽろぽろと涙のしずくが零れ落ちて、側に転がっていたバスケットボールを、ただただギュッと抱きしめた。


『Nは幼きころより人と離されポケモンと共に育ちました…悪意ある人に裏切られ虐げられ傷ついたポケモン。ゲーチスはあえてそうしたポケモンばかりNに近づけていたのです』

『トレーナーが戦うのはけっしてポケモンをきずつけるためではありません。Nも心の奥底ではそのことに気づいているのに、それを認めるにはあまりにも悲しい時間をこの城で過ごしたのです…』


「っ…、」

次々と頭をよぎる言葉たちが、ギュッと心臓を締め付ける。でもきっと、Nの苦しみ、悲しみはもっと深くて哀しくて暗闇の中にある。光の届かない、深海。放っておいたら、どこまでも沈んでいってしまう。
ごしごしと目をこすって立ち上がる。Nに…会いに行こう。会いたい。今すぐ会いたい。腕の中のバスケットボールに書かれた、ハルモニアという文字をそっと指でなぞった。私は、もう泣かないなんて言わないよ。Nが泣かないから、私がNの代わりに泣くの。その時はねぇ、だからどうか少しだけ、私にも君の痛みをわけてください。





 涙をください





110215
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