短編 | ナノ



ぼうっとしながらだいぶ暗くなってきた帰り道を歩いていたら、前を歩いていた人がハンカチを落としたので、わたしは声をかけた。
そしたらその人はこの前のクラス替えで同じクラスになった伊賀崎くんだった。

「ハンカチ落としたよ」
「え、あぁ、ありがとう」

顔をみて「あっ、」と思わず声を出して反応してしまった瞬間、しまったと思った。知らない人だったらハンカチを渡してそのままさようなら。仲良しの子ならそっからぺちゃくちゃおしゃべりという選択肢があったけれど、伊賀崎くんとはクラスメイト。っていうか下の名前を知らない。初めて同じクラスになったし。確か富松が孫って呼んでた、気もする。だから多分、伊賀崎孫太郎とか孫作とかだと思う。うーん、どっちだろう。

そんな事を考えていたらじゃあね、と走り去っていくというタイミングを私は完璧に逃してしまった。今更走って逃げるのもおかしいよね。いや、でも一緒に帰るのもおかしくない…?意味もなく顔に引き攣った笑みを浮かべながら、伊賀崎くんと少し距離をあけて隣りを歩く。え、どうしよう、もの凄く気まずい。沈黙が痛すぎて、そろそろ耐えられなくなった時、駅の改札が見えた。あぁ助かった…!


「えっと、じゃあ伊賀崎くん!わたしの家こっちだから!ま、また明日!」
「あ…うん。僕もそっちだけど…」
「え……」







──ガタンゴトン。

揺れる電車の中で伊賀崎くんとわたしは、隣り同士に座っていた。いつもより遅い時間だから車内がやけにガラガラ。どうしてこんなことになったんだろう。頬杖をついて窓の外を眺めている伊賀崎くんの横顔をこっそり見て、溜め息がでる。わたし伊賀崎くんあんまり得意じゃないんだよなぁ。クールなイメージで近寄りがたいし。っていうか伊賀崎くん睫毛長いな…。


「ねぇ、名字さんっていつもこんな遅い時間に帰ってるの?」
「へ?ううん。いつもはもっと早いけど、今日はちょっと猫を…」
「猫?」
「学校に最近住み着いてる猫にご飯をあげてて…」
「あぁ、あの猫か」
「伊賀崎くんはいつもこの時間?」
「いや、今日は生物委員会で残ってたから遅くなった」

納得したのか伊賀崎くんはまた窓の方を向いた。ふう、ダメだわたし、しゃべるたびに変な汗をかいてたんじゃたまらない。しかしこうも緊張するものなのかなぁ?なんでだろう。


「…名字さんって動物好きなの?」
「うん好きだよ」
「へーえ、そうなんだ意外だな」

犬とか猫とか可愛いよね、と続けようと思ったけれど、伊賀崎くんが少し笑ったのに見とれてしまってそれは出来なかった。なんか、ちゃんと喋ったこともなかったのに、勝手に怖いとか近寄りがたいとか決めつけていた自分が嫌になる。ごめんね、伊賀崎くん。


「伊賀崎くんって駅どこ?」
「もう過ぎた」
「え!降りなくってよかったの!?」
「うん、ついでだからジュンコのご飯買っていこうと思って」
「……ジュンコ?猫?犬?」
「いや、蛇だよ」
「蛇!?」

さっきからわたしは驚いてばっかりだ。なんか、今日一日で伊賀崎くんのイメージが凄く変わってしまった。でもそれは嫌な風に変わったんじゃなくて、色んな事が知れて、ちょっと嬉しいなぁ、とか得したようなそんな気持ち。


「名字さんはどこで降りるの?」
「もう次の駅だと思うんだけど…」
「ふーん、そっか」


車内アナウンスがわたしが降りる駅の名前を告げる。伊賀崎くんとわたしの間に沈黙が漂ったけれど、それはさっきみたいに嫌な沈黙ではなかった。



「あの、わたしもジュンコちゃんのご飯買うの一緒について行っても、いいかな…?」

なんで自分でもこんな事を言ったのかわからない。ただ、もう少し伊賀崎くんと喋っていたかった。



「今誘おうと思ってた」

揺れる電車の中でわたしは嬉しいのと恥ずかしいのとで顔に熱が集まる。とりあえず明日学校に行って一番にすることは、伊賀崎くんの下の名前を調べること。





 
  
    






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