短編 | ナノ



ルパンjr.×エミリー(英国探偵ミステリア)
※NOT夢 ED後



ガタンドタタッ!!!
目の前の扉の向こう側から聞こえてきたその大きな音に、エミリーはびくっと肩を揺らして教室に踏み入れようとしていた足を止めた。何かあったのかしら…?ひとつ深呼吸してからそっと扉に手をかける。教室を見渡せば、隅の方でどうやったらこんな惨状になるのかと問い質したくなるほど盛大に散らかった、机と椅子の中に埋もれている明るい金髪が見えた。

「だ、大丈夫かルーピン!?」
「うぅ…だ、だいじょう…って、あいたァ!!」

ずれかけた赤い眼鏡を片手で押えながらよろよろと立ちあがろうとして、ルーピンは周りの机と椅子を巻き込みながらまた盛大な音を立ててすっ転んだ。おっちょこちょいな彼を心配する小さな人だかりが既に出来始めていて、エミリーも慌てて近くに駆け寄る。クラスメイトに支えられて今度こそ上半身を起こした彼と、不意に視線が合わさった。ルーピンの時は隠れていて見ることができない右側の瞳が、さらりと揺れた前髪の隙間から覗く。ドキンと大きく心臓が跳ねたのがわかった。そしてその眼鏡の奥の気弱そうな瞳を今日はどうしても直視することができなくて、思わず視線を逸らしてしまう。

「お、おはようございます…ミス・ホワイトリー?」
「…え、ええ!おはようルーピン」

意図せず出てしまった自分の裏返った声に、エミリーは耳の方が熱くなるのがわかった。
こうしてドジで気弱なルーピンを見るたびに、時々変な感覚に陥ることがある。そう、例えば昨晩あんな予告状を送りつけてきた“彼”と、今ここで困ったような泣きそうな顔をしている“彼”は、本当に同一人物なのだろうかと、そんなことを考えてしまうのだ。


**********
ベッドに入る前に日記を書こうと、エミリーはアリシアに淹れてもらったミルクティーを飲みながら、一冊の重厚感のある本革の背表紙の本に手を伸ばす。今日は何から書き始めようか。朝の支度の際にコルセットが少しキツくなっているような気がしたこと、昼はペンデルトンに頼んで材料を用意してもらい一緒にレモンの効いたクッキィを試作してみたこと。1日の出来事をぼんやりと振り返りながらぱらぱらとページをめくり、羽ペンをインクに浸そうとした瞬間、カタンと聞き逃してしまいそうなほど小さな物音が窓の方から聞こえた。
(なにかしら…?)
ページの間にそっと羽ペンを置き、おそるおそる窓際に近づく。部屋の明かりが外に零れないように、重たいカーテンを少しだけ引いて外の様子をそっと窺った。
「誰も、いないわ…」
気のせいだったのかもしれない。そう考えるとすっと肩の力が抜けるのがわかった。風の音だったのかしら。ぼんやりとそう考えて視線を落としたところで、窓枠の間に小さなカードが挟まっているのに気付いた。

「…明日の夜、ひとつの宝石を頂戴しに参上するよ、ってこれは…ルパン!?」

カサリと音を立てて床に落ちたカードからは、微かにムスクの香りがしたような気がした。慌てて窓の鍵を開けて押し開ける。本格的に夏が訪れる前の、ロンドンの冷えた夜の空気が、ぐっと肺に入り込んできて呼吸が上手く出来ない。
少し身を乗り出して辺りを見渡してみても、そこにはもう霧に霞んだ月がぼんやり見えるだけだった。


**********
(ほんとうに不思議よね…)
昨晩の事を思い出しながら、エミリーはひとつ大きな溜め息をついた。気弱でドジだけど優しくて穏やかなルーピン。大胆不敵でロンドンの街を騒がす大怪盗ルパン。自分にとって、その二人はどちらも大切な人には変わりないのだけれど、こうも完璧に違う性格の人物を目の前で飄々と演じ分けられると、二人は本当に別人なのではないかと錯覚してしまうことがある。彼の本当の姿はどっちなのだろうかと、考えてしまう時がある。
(はぁ、永遠の謎だわ…)

「…ねぇ、…ってば、聞いてるの?」
「え…?あっ!」
「さっきからずっと話しかけていたのだけれど。貴女今日はずっと上の空ね?」
「ごめんなさいマープル…ちょっと考え事をしていて」

オレンジに色を変えつつある柔らかな木漏れ日が木々の間から降り注ぐ放課後。芝生の上に広げられたクロスの上には、マープル御用達の紅茶とクッキーが用意されている。マープルはくるくると掻き混ぜていたティースプーンを置いて、で?と小さく首を傾げてエミリーに向き直った。

「ルーピンと何かあったの?」
「…ごほっけほっ!!」
「図星ね。上品でない咳き込み方よ、エミリー」

噴き出してしまいそうになった紅茶を、胸をトントン叩きながらなんとか喉の奥に流し込んでエミリーは大きく息を吐いた。涙目になってしまっている彼女を可愛らしいと思いながら、マープルは話の続きを促す。どうしてそう思うの…?小さな声でそう呟いた彼女の表情は、俯いていて生憎窺うことができなかったが、その反応からして彼女の中で何かあったことは確かなようだ。

「ルーピンに何か言われた?」
「違うわ。特に何かあったとかそういうことじゃないの…」
「そうね、ルーピンの方はいつもと変わらないから、貴女の方に何かあるのかしらと思ったのだけれど」
「ううん、何もないわマープル。なにも…」

そう言って制服の裾をキュッと握ったエミリーを見て、マープルはそれ以上追求することをやめた。なんとなく面白くない。お腹の辺りに物がつっかえているような気がした。エミリーにこんな悲しそうな顔をさせているあのおっちょこちょいに対して浮かんでくる悪態をごくりと飲み込み心の中に仕舞い込んで、代わりにバスケットの中から、ナプキンに包まれた手作りのとっておきのスコーンを取り出した。そっとエミリーの掌に乗せる。

「ありがとう、マープル」

柔らかな笑顔を浮かべたエミリーに満足したマープルは、学園の前に彼女の迎えの馬車が到着したのを確認して、一度だけこくりと頷き立ち上がった。


* * * * * * * * *
帰りの馬車の中でもお風呂に入っている時も、今日一日ずっとエミリーの頭の片隅にあり続けたのはルパンの事だった。マープルの言った通り今日のルーピンは普段通りのおっちょこちょいで気弱なルーピンだった。
そう、彼はいつもと変わらなすぎるのだ。
昨晩部屋に届いた小さなカードに書かれた内容を思い出し、エミリーは頬に熱が集まるのを感じて、ホワイトリー邸の長く続く廊下で一人ふるふると首を振る。ルパンがエミリーの部屋を"ちゃんとした形"で訪ねてくることは、今まで一度だってなかった。否、今回だってちゃんとしてるとは到底言えないけれど。それが昨日突然あんな予告状を送りつけてこられて、意識しないはずがない。ルパンがどういう気まぐれで何を盗みに来るのかなんて、結局のところどうしたってわかるはずないのだ。
(いつも私ばかり振り回されてしまって、なんだかずるいわ…)

今日一日で何度目かわからない大きな溜め息をこぼした後、エミリーは自室の扉をそっと押した。少し開いた扉の隙間から流れ込んできた空気がひんやりとしていて、違和感を感じ、足元に落としていた視線をあげる。その瞬間、呼吸が止まった気がした。
四角く切り取られた窓から差し込む満月の柔らかな光が、風に揺れる白いマントと彼の髪とキラキラと照らしていた。

「やぁ、こんばんは。僕の愛しのお姫様?」
「ルッ…ルパン!?」

扉に手をかけたまま固まってしまったエミリーとは対照的に、くすくすと楽しそうに笑ったルパンは、腰かけていた窓枠から降りて、エミリーを引き寄せてから後ろ手でそっと扉を閉めた。
そして人差し指をエミリーの唇に押し当てて、ウィンクをひとつしてみせる。

「大きな声は出さないで欲しいな、君の怖い執事が聞きつけてきたら大変だからね」
「あ、あなた、どうやって入ったの!?」
「残念だけど、それは言えないなぁ」

とてもいい笑顔でそう返されて、エミリーは声にならない声をあげる。とりあえず部屋の灯りだけでもつけようと、机の上に置いてあるランプに手を伸ばそうとして――するりとその指先が絡め取られた。
これはまずい、ぐっと近づいたムスクの香りにくらくらしながら、エミリーは頬に熱が上るのを感じた。この真っ赤になってしまった顔を見られないという点では、月明かりしかない薄暗い部屋で助かったのかもしれない。

「随分部屋に来るのが遅かったけど、君はいつもこんなに遅くまで起きているのかい?」
「ちっ、違うわ!今日はたまたまで、ちょっと色々考え事をしていたからで…えっと、その」
「ふぅん…考え事、ね?」

すっと細められた瞳の紫に、何もかも見透かされているような気がして、エミリーは降参したくなった。

「っルーピンの時と全然違うのね…」

真っ赤になりながら苦し紛れで絞り出した言葉にそんな深い意味は無かったのだけれど、ルパンは一瞬きょとんとした顔をして、それから少しだけ眉を寄せた。

「君はあの冴えないお友達の方が好きなの?」
「は?」

カチャリ、と小さな音がして次にルパンが顔を上げた時には、どこから出してきたのかと聞くのも野暮な赤い眼鏡がかけられていた。白いマントの中で唯一目立つ不釣り合いなその赤い眼鏡の奥は、昼間の彼とは違ってギラギラとしていて、誰に向けられたのかもわからない明らかな嫉妬の色が浮かんでいた。どうしてこんなに自分がドキドキしているのかわからない。ルパンであってルーピンの彼の瞳は、見た事がないほど艶っぽく煌めいていた。

「ねえ、そうなの?」

少し低くなったトーンと、掴まれた手に加わる力が強くなった事に危機を覚えたエミリーは、この状況からどうやって抜け出すかということに頭をフル回転させて、そういう意味じゃないけれど…と慌てて視線を逸らす。

「…まぁべつにいいけど」

意外とあっさりと引いてくれた彼の熱に、ほっと胸を撫で下ろす。

「ルパン、貴方何をしにきたの?突然あんな予告状を送りつけてきて…びっくりしたわ」
「さぁね、君は僕が何をしに来たと思う?」

話題を逸らしたつもりだったのに、ルパンはこの質問を待っていたとばかりに、じり、とただでさえ無いに等しい距離を詰めてきた。鼓動がいうことをきかないくらい激しくなる。何をしに来たって、予告状には宝石を盗みに来ると書かれていたものの、ルパンはそんな素振りもみせないし、第一この部屋に宝石なんてどこにもないのだ。

「…君は知らなくてもいいかな」
「ひゃっ…!?」

絡め取った指先にひとつキスを落としたルパンは、いつになく上機嫌といったふうで、瞳を細めてくすくすと笑う。背中には扉、両手はルパンにしっかりと掴まれていて元々この状況を抜け出せるはずなんてどこにもないのだけれど、今両手を自由にされたって逃げたりしないだろうな、とエミリーは上手く働かなくなった頭でぼんやり考えた。
ルパンはキャビネットの上に置かれた時計に視線をやって、ひとつ息を吐き出す。不思議に思ってエミリーもつられるように時計を見ると、日付けはもう少しで明日を迎えようとしていた。

「でも君があまりに可愛い反応を返してくれるから気が変わっちゃったな、本当はからかってすぐに帰るつもりだったんだけど」
「え…」
「僕がここに来たか理由を言ったら、君はおめでとうって言ってくれるかい?」
「おめでとうって、ルパンそれはどういう…」

「エミリー」

言葉を遮るようにして紡がれた声は、どこか不安そうに震えていた。紫の瞳がゆらゆらと揺れている。その熱っぽい瞳の中に気弱で優しい彼の影が見えたような気がして、こみあげてきたのはどうしようもないくらい愛しい気持ちだった。確かなことは、今目の前にいるロマンチストな彼も、おっちょこちょいで気弱な優しい彼も大好きだということ。
ルパンのさらさらとした髪の毛が頬をくすぐる。ゆっくりと近づいてくる気配に目を閉じながら、ロンドン塔が六月八日の訪れを告げる音を、遠くで聞いた気がした。






夜盗(Happy Birthday Rupin!)


130710 160303加筆修正
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