短編 | ナノ



「おいも」

「やめなさい」

ピシャリとたしなめられてムッと頬を膨らましてみたものの、妹子がそれに気づくはずもない。妹子は私の知らない遠い遠いお国の報告だか何だかの文書とずっとにらめっこしていて、私はだいぶ長い間その丸まった背中を眺めている。少しでもこちらを向いてほしくてふざけた名前で呼んでみたりする私の事を、妹子は子供だとか思ったかな。なんて思ったけど、今の妹子の頭にはきっと私の事なんて切れ端ほどもないということに気づいてたまらなくなった。
ねぇ、どうして同じ空間の中にいるのにこんなにも遠いのだろうね。それは妹子と私の身分の差にあるのかな。

記憶の霞むくらい小さい頃、私と妹子は偶然出会った。村から少し離れた小高い草原は妹子と私だけの秘密の遊び場で、待ち合わせなんて約束を交わさなくてもそこに行けばいつだって先に来ている妹子が笑って手を振ってくれた。一面の菜の花に囲まれながらいつも日が沈むまで手を繋いで笑っていた。
だけど大人になるということは残酷で、妹子と私には渡りきってはならない身分の差があるのだということを知った。本当は顔を上げて対等に喋ることなんて許されない。でも妹子がそのことに触れることはなかったから、私はそれに甘えて妹子が一人でいる時にだけ会いに来るようにした。私と会っていることで、妹子の立場が悪くなることだけは嫌だった。

「あともう少しで終わるから」

「うん」

妹子、優しいね。本当に貴方だけを慕っています。その想いはきっと私の命が尽きるまで消えることなく、在り続けるでしょう。でもそれを君に伝えることは許されない世だから、こんなにやりきれないんだろうね。


「妹子様、お入りしてよろしいでしょうか。太子様がお呼びです」

「え?あ…ちょっと待って!」

「承知致しました」

戸口から使いの者の声が聞こえて、私はすぐに裏の戸口からそっと出た。涙が出た。悲しいからじゃない。さっき妹子がちょっと待ってと言ったのは使いの者に対してではなくて、部屋から出て行こうとした私に向けての言葉だったから。すごく、嬉しかった。でもやっぱり、悲しかった。


「おーいーも!早く早く!」

裏口を出て見つからないように走ろうと思っていたのに、その大きな声に思わず振り返ってしまって、その人と目が合った。紫の装束に目がいく。…太子様だ、とても偉い人。

慌てて地面に手をついて顔を伏せる。悲しくて苦しくて地にへばりついて私は一体何をやってるんだろう。立ち上がり、振り向かずに全力で走った。私はもうここへ来てはいけないのだ。知っていたよ、本当は私が一番わかってたんだよ。
妹子、次に貴方に会うときは身分の差なんて気にしなくてもいい、皆の視線だって気にしないで堂々と手を繋いで歩ける、そんな世の中だったらいいな。なあんてね。夢物語だってわかってるんだ。








2010
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テーマ「人外ファンタジー」
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