ここは冥界。あの世とこの世の分かれ道になるこの場所で、私も延々と続く死者の列を作っている一人としてぼーっと自分の順番を待っていた。前に並んでいた人たちがめでたく天国行きを告げられたのを聞き届けて、私も少しだけ緊張する。次の方どうぞ、と整った顔立ちの鬼のお兄さんに促され一歩前へ出た。
「よ、よろしくお願いします」
さぁいよいよ閻魔大王とご対面!とばかりに深々下げていた頭を上げると、なんだかそこには私が思い描いていた閻魔大王の図とかけ離れすぎている人が座っていた。でもこの人が閻魔大王で間違いないはず……なんですよね?という困惑の視線をさっきの鬼のお兄さんに向けてみると、こくりと頷かれる。やっぱり間違いない、のだけれど頭にかぶったヘンテコな帽子には大王という文字がでかでかと書かれているし、さっきからにこにこと愛想が良さそうな顔をこちらに向けているしで、拍子抜けしてしまった。
「前に」
呼ばれてピシリと身体が強張る。閻魔大王は手元にある書類を見ることも無く、相変わらず愛想のいい顔をして私の生前の事項を述べていく。すごいなあ、もしかして閻魔大王には人間ひとりひとりの一生が見えているのかもしれない。頭にかぶっているあのヘンテコな帽子もだてに大王と書かれているわけじゃないんだと何とも罰当たりな事を考えて、思わず笑いそうになった。
「ということで君は地獄行きね」
「はい、……ってえええええ!」
「ええええ!!」
じ、じごく?なんで私が!と閻魔大王に訴えかけた声は、鬼のお兄さんの叫び声によって掻き消されてしまった。というよりなんで鬼のお兄さんが驚いてるの?ここは私が驚くところなんじゃないの?
「どうして私が地獄行きなんですか…?」
よろよろと、閻魔大王の方に進み出る。地獄行きなんて…いやだ。それに私の悪事なんてせいぜい夕飯をつまみぐいしたとかその程度のもので、それで地獄行きなんて言われたらたまったものじゃない。ハッ!もしかしてさっきヘンテコな帽子だなとか考えてたのがバレた?思考がダダ漏れ?閻魔大王にはダダ漏れなの!?
「大丈夫、地獄行きって言ったって何もキツイ仕事させるわけじゃないんだから」
「大王まさか…!駄目です!」
隣に立っている鬼のお兄さんの眉間にこれでもかというほど皺が寄った。もう嫌な予感しかしない。
「さっそく今日からここ地獄で働いてね、わからないことがあったら鬼男くんに聞くといいよ」
「嫌です!私は天国に行きたいんです!」
間髪いれずにそう突っ込んでみても、にこにことした表情は変えずにチョイチョイ私に手招きをした。近くに寄れということなのか。閻魔大王に逆らえるはずもなく、恐る恐る近づく。
「なんで嫌なの」
「なんでって、どうして私は天国じゃないんですか」
「だって君が地獄がいいって前に言ったよ」
「わっ、私は閻魔大王にそんなことを言った覚えもないですし、貴方と会った事さえありません!」
地獄は嫌だ嫌だととにかく喚いていたら、それまで頬杖をついてにこにこ笑っていた閻魔大王の瞳がすっと細くなった。深い血の赤をした色に思わず息をのむ。怖い。その瞳の色の深さにいいしれない何かを感じて、思わず鬼男さんに助けを求めようと振り返ったのに鬼男さんは「…こうなると思いました」と大きく溜め息をついて、もう何処まで続いているのかわからない死者の列の方に歩いて行ってしまった。
「ほんとに?」
「え、っと、」
「ほんとに会ったことない?名前」
ぞくりと体中の血液が泡立つ。知っている。私はこの人を知ってる。
人の良さそうな笑顔もヘンテコな帽子も、血より赤い瞳も全部知ってる。
「ずっと待ってた」
「えん、ま…?」
その名前はとても簡単な事のように全身を巡って、するりと私の口から零れ落ちた。輪廻も何もかも捨てて私は貴方の側にいたかった。次に会えた時はもう離れてやらないと私はここで誓った。時間も空間も何にも染まらない渦の中に生まれたかった。抱き合って骨になって死にたいと願うことさえ許されない世界は残酷だと思わないかと、いつの日か君が私にくれた言葉が鮮やかに今、色をつけて甦る。
「さっき会ったことはないって言ったね」
「あの、えっと…」
「閻魔大王の前でね、嘘をつくと舌を抜かれちゃうんだよ」
ねぇ貴方はここで、一体どれだけの時間私を待っていたの。
2010 嘘をつく人は、舌を抜いちゃうよ