アイドルは偶像であり、虚像だ。人間に裏表の顔があるようにアイドルだってサービスの一環で画面に表皮を提供している。


だからこそサービスであるはずのものが自分の許容範囲を超えたら苦しくなるのだが。


「HAYATO?」


七海の憧れの存在であり、私の嫉妬の対象である男は今、モニターの中で七海に抱き締められている。やはりサタンに洗脳されていたようで、電球のように明るい笑顔を顔面に貼り付けて先程まで七海を口説いていたが熱烈なファンの一喝で一瞬目を覚ました隙に前回と同じ愛島と七海のコンビ魔法によって紫色の五線譜を胸から解き放った後、倒れた。


「トキヤが」


その様子をモニター越しに見守っていた私達は一ノ瀬自身によるHAYATOの弟説完全否定と、HAYATOの衣装をまとって林檎の木の下に立っていた一ノ瀬の姿に衝撃を受け、三人揃って固まっていた。
朝のニュースやポスター、七海の携帯からたまに流れてくるHAYATOの歌声は日頃の一ノ瀬と正反対の位置にあって彼の演技力に感心すると同時にいまだに頭のなかで一ノ瀬とHAYATOが一致しない、何とも食べ合わせの悪い状態を生んでいる。


「・・・おーはやっほー」


この世に生まれて嬉しいといわんばかりの溌剌とした表情と、どんな仕事もこなす根性、他人を突き放さないおおらかな心を持ち音楽を愛する虚像のとある定型文を口ずさんでみる。HAYATOのように明るくない上はきはきともしていないがレコーディングルーム内に与えたダメージはそれなりにあったらしく、一十木と日向先生は吹き出して堪えるように口元を片手で覆った。


静かな爆笑の後、七海と愛島が倒れたままの一ノ瀬を連れてやってきたので私達三人は極めてシリアスな顔を作り、彼らを迎える。HAYATOの格好をしている一ノ瀬に一十木の腹筋が崩壊しかけるが背中を私と日向先生が同時につまむことで何とか乗り切った。


眠っているHAYATO改め一ノ瀬トキヤはとても穏やかな顔をしていた。長年ついていた嘘から解放されたからかもしれない。嘘はつかれた方を傷つけるがつく方にも精神的負担をかける諸刃の刃だ。
歌を歌いたくて芸能界に入ったのにアイドルの皮を被せられて、彼の皮であるはずのHAYATOが一ノ瀬を飲み込もうとしていたのだろう。馬鹿な人間だと思う。なんでもかんでも意地を張って抱え込むからそんなことになるのだ。捨てる捨てないの覚悟ぐらいはっきり決めるべきである。人の両腕は全てを抱えられる程屈強に出来ていない。


七海と愛島を部屋に帰し、私達は己の作業に戻る。二週間なんてあっという間に過ぎてしまうのだから、ゆったりしている暇なんてない。


それでも自分のルームメイトの健康が気になるのか、一十木は空いた時間が出来る度に私の隣にやってきた。


日向先生に頼んで持ってきてもらった蛸の肉を柔らかくするべく棒で叩く。今日の夕食はたこ焼きだ。本当はカブトガニ鍋をしようと思っていたのだが日向先生に怒られたので諦めた。私が食べる前に絶滅されては困るのでいつかまた別の日に挑戦しようと思っている。


蛸の吸盤と格闘している私の横で、一十木は一ノ瀬の頬を片手でつまんだ。白い肉が餅のように一十木の指からはみ出している。手の空いている日向先生に叩きに叩きあげた蛸と包丁を手渡し、一ノ瀬の顔面を私も見つめた。寝顔だけは愛らしい奴である。一十木と目が合う。


「本当に起きるの?これ」

「SEITEN☆OHA♪YAHHO歌ったら起きるんじゃない?」


くねくねとしながら一十木は歌い始めた。


「真に受けるとは思わなかった」


叩きに叩きあげたはずの蛸が日向先生の顔面を襲っている。しぶとい奴め。アルトリコーダーでとどめを刺してやろうとした瞬間、日向先生の拳が蛸を粉砕した。私は押し黙ってアルトリコーダーをテーブルの上に置く。
このまま何もしないのもつまらないので私も最近習得し、渋谷に太鼓判を頂いたHAYATOの物真似を披露してやることにした。彼の決めポーズを最初に取る。


「おはやっほー、HAYATOくんの双子の弟、トキヤくん元気かにゃあ?今日は!嘘について話をするよー!!嘘、ね!優しい嘘なんてあってたまるかにゃ!!」


ウインクを飛ばし、顔全体の筋肉をねじ曲げる。ここまで頑張らねば明るく笑えない自分がもはや怖い。私の努力なんて知らずげらげら笑っている一十木と日向先生に投げキッスまでサービスしてやれば両者は突っ伏したまま動かなくなった。渋谷のアドバイスは的確だったようだ。今度七海にも見せよう。


私達がこの通り盛り上がっている間に、一ノ瀬が何と起き上がった。あまりにも早すぎる起床と私達を見る、二週間放置した生ゴミを目の当たりにしたような冷たい彼の目に一気に現実に引き戻される。
咳払いと共に全員が静かにソファーや椅子に座り、日向先生は蛸をさらに細かく切り分け始める。
一ノ瀬は私達と一切目を合わせないまま口を開いた。


「おはようございます」


嫌味なぐらいよく通る声だ。


「おはようトキヤ」

「よっ元気そうで何よりだ」

「良かったわね軟体動物B」

「起床早々不愉快な劇を見たような気がするのですが」

「幻覚よ」


そう、全ては幻覚だ。私が調子にのったことも何もかもが素敵な夢だったのだ。己に言い聞かし、たこ焼きの生地を混ぜる作業に入る。
私と日向先生が夕食の支度に励んでいる間に一十木は一ノ瀬にこれまでのあらすじを話そうとした。


「あっあのね!トキヤ、」

「結構です」


ぴしゃりと言い放たれ、落ち着きのないあの一十木が停止する。
一ノ瀬は嫌な思い出を噛み締めるかのように苦い顔をした。


「おぼろげに自分のしたことは、覚えています」

「そっ、そっか」


粉砕された蛸をつまみ食いしながら私の頭のなかにてサタンに洗脳されていた時代の一ノ瀬の腹立たしい発言が流される。ときめき対決などほざきだした頃はついに世界が崩壊するのかと覚悟した。私の発信器と小型カメラはかなり不愉快な形で役に立ってしまったらしい。
同じようなことを思い返しているのだろう、一十木は肩を小刻みに震わせ日向先生は一ノ瀬の目を見ないようにしている。


このまま彼を放っておくのもシリアスな空気を破壊するだけなので、一ノ瀬に彼の部屋から拝借してきた制服を差し出す。


「とりあえず着替えたら?滑稽よ今のお前」


音楽の危機をそんな紫色のきらきらした格好で防ぐのか私が問えば、一十木に限界が訪れた。
静かに、一ノ瀬が立ち上がり一十木を見下ろす。


一時間に渡る一十木への説教を終えた一ノ瀬が私の元に帰ってくる。


「私は何をすれば?」

「貴方はこれを」


と、一ノ瀬が持っていた楽譜、そしてアコースティックギターを手渡す。
これで校内のギターに加えアコースティックギターも鳴るようになったわけだ。まだまだ道のりは長そうだが焦ってはいけない。


「七海から一言あるけど、聞く?」

「結構です」

「そう」


聞いておいて損はないのにと思いつつ私は口を閉じる。
一ノ瀬は表情こそあまり変わらないが私を不思議なものでも見るような目をしてまだそこに立っている。


「・・・君は無事だったのですね」

「まあね」

「お節介かもしれませんが」


一呼吸おいて。


「聖川さんは大変なことになっていますよ」


一十木や一ノ瀬だけでもう正直お腹いっぱいなのだが。こいつがわざわざこんな忠告をしてくるところを見ると本当に惨状と化しているのだろう。


まあそう推測出来ても。


「ふーん」


私には関係のないことだ。


「じゃあ七海に聖川には気を付けろって言わないと」

「あなたは?」

「私は魔法使えないから何にも出来ない、見守るだけよ」

「そうですか」


完全な無表情になった一ノ瀬はブースの中に戻っていく。
その後ろ姿を目で追いつつ、彼も少し世話焼きなところがあるものだと思った。聖川ほどではないが。




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