「ん」


気絶したままぴくともしなかったので、ソファーの上に寝かせていた一十木の瞼がゆっくりと開かれる。赤くて大きな目は彼を見下ろす私の目線を受けて、だんだんはっきりとした意識を取り戻していく。


「あ、れ?」

「おはやっほー」

「え?ああおはやっほー」


身体を起こし、頭をがしがしとかきながら周囲を見渡している。


「何で苗字?てかここどこ?俺は何?」


混乱している一十木に、まずは彼の氏名が一十木音也であることを告げて私は説明に移った。ここ、ただいまの現在地はレコーディングルーム。七海と私の邂合の地ではないほうの。女子寮の下にある長年使用されていなかった場所ではあるが一応機材の点検などは為されていたようで最新の設備が整っている。学園長に従うふりをしつつ丁重な調査を続けてきた日向先生によると女子寮だけは愛島か七海のどちらかの特殊能力であるのか知らないがどんなことが起こってもサタンや手下の効力が通じず、安全地帯であるらしい。幸運にも程がある。そしてさらに地下から隠しレコーディングルームも発見されて万々歳であるというわけだ。七海の部屋に放置するのも厄介なので昨日早速、私と日向先生が責任持って一十木をここまで運んできた。


サタンに洗脳されていたとはいえ、一十木は立派なアグナの譜面の持ち主でありミューズとやらも秘めているらしい。彼の楽譜はギターによる演奏を欲しているそうで、今後彼にはここで練習して頂くことになる。


愛島のこと、現在私達を取り巻く環境、学園長の失態等々、かなり長い説明になったが何とか話し終えた私を見る一十木の目はこちらが悲しくなる程泳いでいた。


「・・・私の言ってることが信用出来ない?」

「ごめん、だってこんな」


こうなることは何となく察しがついていた。私だっていきなりこんな話をされたら百科事典で相手を殴打する自信がある。
私は椅子に座って今までのやり取りを見守っていたであろう日向先生を振り返り見た。


「先生」

「任せとけ」


日向先生の笑顔は輝いていた。


「一十木、来い」


日向先生が昨日機材の上に取り付けたモニターの電源がつけられる。
一十木はソファーから日向先生の背後に移動してそれを見上げた。暫く待っている間に昨日の屋上での一十木の全行動が放映され始める。


「なななななななうわああああ!!」


途切れ途切れに聞こえる一十木のとんでもない発言や、セミの一生をアイドルの人生に例えた大変有り難いお話に加え、しまいにはたぶらかすべく七海を抱擁している。
学園長が狂った日から学園長自らこつこつと設置していた防犯カメラの映像をちゃっかり日向先生は拝借してきたのである。私と日向先生は昨晩これを三回程見返して息子のエロ本を発見した母親の如く散々にやにやとさせて頂いた。


本人は頭を抱えて全身を震わせている。


「何だこれすっげー恥ずかしい!!てかこれ俺七海になんてことを!!」

「この件について七海から一言」

「えっ」

「一十木くん気にしないで、元気になったら楽譜の練習をしてください応援しています」

「うわー!!今すごい罪悪感抉られた!」


最終的にアルマジロのように丸くなった一十木の背中をここぞとばかりに軽く蹴飛ばした。


「とりあえず練習しなさい、お前に出来る贖罪はそれだけよ」

「うう人が優しくない・・・。」


当たり前だ。七海が優しい子である分、私は手加減をするつもりはない。
彼の背中を放置されていたアルトリコーダーでぺちぺち叩いていたらドアからひょっこりと七海が顔を現した。


「名前ちゃん」

「あら」


朝ご飯を差し入れにいこうと思っていたのに、出遅れてしまったようだ。
誰のものか知りもしないアルトリコーダーを一十木の背中に置いて七海の元へ駆け寄る。


「赤い軟体動物なら目をさましたよ」

「えっ」

「七海ー!!」


早速復活した一十木は七海に謝罪と色んな言い訳をごちゃごちゃ喋っている。その間七海は菩薩のように微笑んでいて、私には関係のないことだが彼らの謝罪会見が終了するのを大人しく待った。


終わった頃に私は口を開く。


「で、ここまでひとりで来てどうしたの?」

「あのね・・・。」


七海はポケットから便箋を取り出して私に差し出してきた。中を見て良いのか聞けば了承される。一十木と日向先生が見守る最中私はそれを開封し、読んだ。


清潔な真白い紙には几帳面な字面で風船のように軽い愛の言葉と見慣れた氏名が綴られている。
私は舌打ちをした。


「何このウザイ上にチャラいクソレターは。燃やせこんなもの」

「でもこれ一ノ瀬さんから・・・。」


一ノ瀬トキヤとはSクラスの生徒であり、一十木のルームメイトである。七海一行ともそれなりに仲が良くて私も何回か話したことがある。普段の彼は冷静そのもので非常にHAYATOそっくりの顔面をしている点(双子の弟だから仕方ないが)を除けば特に害のない軟体動物だ。


「トキヤが?」

「何やってんだうちのクラスのトップは」

「真夜中にしたためたラブレターは破滅をもたらすと社員がぼやいてたわそういや」


明らかにサタンに洗脳されて自分を見失っているとしか思えない寒い文面に軽蔑を込めた目線を送った後、私は真面目な顔で七海を見る。


「まさかここに行くの?」


伝説の林檎の木の下に来いと書いてあるが。
七海は頷いた。


「う、うん」

「ひとりで?」

「うん」

「どう考えても、あの泥棒猫を連れていった方がいいと思う」

「・・・・・・。」


珍しくあの七海が他所に目を向けてだんまりを決めている。


「それともどうしてもあの猫を連れていきたくない理由があるの?」

「・・・・・・。」


憶測で質問を作り上げてみたが無言のままである。
これ以上聞いても価値がなさそうなので私は封筒に手紙をしまった。


「そう」


七海には悪いが無言は肯定と取らせてもらう。


「じゃあ行けば?」


便箋を彼女の手に戻す。七海は目を丸くして私を見つめていて、私は渋谷を意識してあえてにこにこと微笑しながら彼女の肩に手をのせた。


「ただもしそれで危険なことになったら有無を言わさずすぐ猫に連絡するから」

「はい!」


七海は今の私に負けない笑顔を放ち、手紙をしっかり握り締めてレコーディングルームから出ていく。廊下を走っていく七海を姿が見えなくなるまで見送ってドアをしっかり閉めた私を一十木と日向先生の何とも言えない顔が迎え入れた。


「いいの?だってあれどう見ても罠・・・。」

「大丈夫」


心配そうな一十木にそう言い返し、彼の横を通り抜ける。


「七海に発信器その他つけた」


一十木の黒歴史を映している隣にもう1つあるモニターの電源を私は入れた。


七海には悪いが見守れと言われた出前私はその任務を全力で遂行するのみだ。ちょっとやそっとでは取れないように改良しているから暫くはあれで充分だろう。黒い画面の上に簡略化された教室や廊下と、七海の現在地が浮かびあがる。一十木の惨劇を放送していたモニターも七海の映像に切り替えておく。


「軟体動物B、七海にやらしいことをしてみなさい即クソレターと一緒に燃やしてやるわ」

「・・・・・・。」




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