あれから愛島の質問に答えもせず、ひたすら彼の存在を無かったことにした。たまに話しかけてこようとするのを私の部屋から必要なものを取りにいくという項目で阻んだり、購入したばかりの本を読むことでスルーしたり、愛島が猫に戻るまでそういった行動をひたすら繰り返す。本当は色んな話をしなければならないはずなのに、彼とは何も話をしたくなかった。
私がカブトガニの調理法についてかなり詳しくなった頃、結局ベッドの上でくたばったままの七海の足元で丸くなっている猫がいた。


猫の特権を活かして七海にまとわりつきやがって。


七海宅の浴室を借りる気が起きず、自分の部屋でシャワーを浴びてからまた七海の元へと戻ってきた。なるべく音を立てぬように手首に手錠をきちんと嵌めて床の上に寝転がる。さすがにベッドに乗り込む勇気はない。


朝起きて手錠を外しながら体を起こす。あの泥棒猫は七海の腕のなかに移動している。窓から落としてやろうかと思いつつも今は腐っても愛らしい猫であるため私は自制する。動物虐待は非道に定評のある私でもさすがに手を出せない。
愛島のせいで真っ赤になって気絶した七海は今は顔色も良く、呼吸も安定しているようだ。上から静かに見守りつつ私は安心した。


七海のために朝ご飯を調達してこよう。腹が空いては戦は出来ない。


購買は無事か無事でないかで私の心持ちはだいぶ変わる。人間としての基礎を支えているのは食事だ。制服に着替えて私は静かに部屋を出た。


校舎内は異様な雰囲気に包まれていた。夏休みが始まっているから人がいないのはいつものこととして、真夏にも関わらず秋の終わりのような全てを枯らすどこか肌寒い冷気が充満している。この学園は他校に比べかなり阿呆で毎日をテンション高く過ごさねば寿命が縮むといわんばかりに活気がある、残念な校風であるので今の状態はかなりの違和感を覚える。


びっくりするぐらい静かな空間をゆったり歩き、購買へたどり着いた。無事かどうかは別として、最低限機能しているらしい。レジには誰もいないが電気が点いていて、おにぎりなどが置いてある箇所も日常通り冷風が施されている。賞味期限も大丈夫だ。


サタンの癖に少々爪が甘いのではないかと思案しつつパンの元へと向かう。今日も変わらずポケモンパンを私は所望している。


圧巻とばかりにずらりと並んだパンの群れの前にスーツ姿の男性が立っていた。


「・・・・・・。」


私とSクラスの担任はお互いに違和感に満ちた視線を交わしつつ、ここはあえて私から近づいてみた。
結構身長差があるため向こうが見下ろす形になる。
見る限りまともな人類の目をしていると両者は判断した。


「正気・・・か?」

「ええ、今日も元気におはやっほーですよ」

「無表情で言われるとなんか・・・。」

「ポケモンパンは無事ですか?」

「ああ、ほれ」


私の手の上にいつも食しているポケモンパンが乗せられる。
この危機的状況の最中、さすが我らがツタージャである。本日も素敵な朝を迎えられそうだ。


「さすが任天堂」


詳しいことはよく知らないが大元を褒めておけば間違いはないだろう。お前そんなもの食ってんのかと冷ややかな視線をぶつけてくるSクラスの担任をスルーしてクリームパンとメロンパンと飲み物もしっかり確保しておく。


「お金は」

「レジにでも置いとけ」


適当にも程がある。小銭をレジに積んで、ビニール袋を腕にぶら下げた私とSクラスの担任こと日向先生は並んで購買を出た。


誰もいないのを良いことに歩きながらポケモンパンを食す。日向先生にやれはしたないだのごちゃごちゃ小言を言われる覚悟だったものの、腹が減っていたのかまさかの予想の斜め上で彼もコロッケパンを頬張りだした。


「お前以外に無事なやつは?」

「七海春歌と変な男がひとり、他は知りません」

「変な男?」

「変な男です。詳しい事情はよく知りませんが先生もよくご無事で」

「まーな・・・。」


歩きながら自分達が持ちうる情報を交換する。
日向先生曰く、私達以外にまともな人類はもうこの学園内にはいないそうだ。全員がとち狂っており、学園長や私のクラスの担任もすっかり得体の知れない人類と化し事務所は大変な荒れようだと日向先生は溜息をつく。どうやら愛島の言っていたことは正解だったようだ。(そうなると聖川達もサタンとやらの餌食になっているのだろう、最悪だ)そんななか、日向先生が何故無事なのか。日向先生の実家は神社であり、おじいさんが有能な霊能者だそうで彼からもらったお守りが守ってくれたのだと日向先生は焦げたお守りを私に見せた。


お前も何か護符でも持ってんのか?と聞いてくる日向先生に私は首を振るしかなかった。何故私は無事なのか自分でも検討つかない。


愛島から聞いた話を日向先生に伝える。普通の状況だったなら頭を叩かれてすぐに寝ろと言われるであろうファンタジーな話を日向先生は頷いてしっかり飲み込んでくれた。誰かの夢物語が現実になったからにはこれから凄惨な出来事が起こるであろう、二人してそう予想し男子寮と女子寮の境目にて立ち止まる。


「じゃあ私、こっちですので」


短い時間だったがちゃんとした大人がいるというのを確認出来て良かった。こんな不可解な環境で七海と私、そして愛島だけとなると不安どころの話ではない。日向先生がいることを早く七海に教えなければ。


「あー、待て」


早速七海の部屋まで走っていこうとした私を日向先生が呼び止めた。


日向先生は目を右上に向けている。


「お前ちょっと来い」

「七海が朝ごはんを待っていると・・・。」

「部屋には多分いねーよ」


どういうことだ。この時私は軽い敵意を日向先生に抱いた。


「屋上、行くぞ」


私の敵意を無視し単調な一言を発して先に進む彼の明確な目的はわからないが、私はとりあえず従うしかないと思いその場は黙って日向先生の背中を追う。



「・・・あっ」



屋上へと続く階段をあがり、プールと同じく開放され大きく開かれたドアの向こうを日向先生に促されて覗き込んでみた私は間抜けな声をあげた。


現場では七海が赤い軟体動物、一十木に抱き締められており、それをどうにか打破しようとしている愛島はあの透明な壁、結界で拘束されている。いうなれば一十木の独壇場だ。


詳細は不明としてこれはまずい。一十木は恐らくサタンに洗脳されている。何をしでかすかわからない。事故を未然に防ぐため急いで駆けつけようとした私を日向先生が妨害する。


「まあ落ち着けって」


先生とはいえ、気を使っている暇はない。七海の危機なのだ。日向先生の鳩尾目掛けてボディブローを放つ。しかしそれすらも阻まれ、策を無くした私の片手を取り羽交い締めにする。


「先輩にボディブローするか?普通」


この体勢に持ち込まれてしまったらちょっとやそっとでは抜け出せない。こうなれば極悪非道であるが日向先生の股間の鐘を鳴らしてやるべきか。後ろ蹴りはしたことがないのでうまくヒットするかはわからないが手段は選んでいられない。日向先生の命より七海の命の方が重い。


これで最期になるであろう日向先生の尊顔を見上げる。ほとんど関わりはなかったが月宮林檎と同じく、良い担任だったのだろう。素晴らしき人材を失うのは惜しい。だが私の愛のロードを邪魔した罰だ。


恐るべし計画が私の脳内にて履行されようとしているなか日向先生はじっと私を見ている。


「・・・お前」


遺言だ。私は地から離そうとしていた片足を止める。


「少し変わったな」


何を言い出すかと思えば。日向先生は私の片手を握る力を弱める。


「前に一回会ったの、覚えてるか?」

「おぼろげに」

「あの時のお前他人なんて目に入ってなくて、目の前にいる俺のことすら土人形でも眺めるみてーな目で見てきやがったから正直お前のこと不気味に思ってたけどよ」


日向先生とは入学前に遭遇したことがある。楽屋に学園長がやってきて向こうに圧倒的に有利な交渉を締結した後にこの学園についての書類をくれたのが日向先生だった。記述する程の会話も感心もなかったので本当にぼんやりとしか記憶に残っていない。
日向先生は少し微笑んだ。


「社長の言ってたとおり、七海のことになるとちゃんと人間らしい顔すんだな」


片手から日向先生の手が外される。解放された私はよろつきながらもちゃんと二本足で地面に立つことが出来た。


「・・・・・・。」


あんな話をされてしまい、すっかり日向先生の股間を蹴りあげる気力を無くしてしまった。拍子抜けにも程がある。
屋上を見る。
七海はまだ一十木の腕の中だ。今ならまだ間に合う。一十木を蹴飛ばして愛島を押し退けて七海を奪還出来る。それなのに私は動かないでじっと彼らを見つめていた。


私の隣に日向先生が立つ。


「七海のこと、そんなに大事か?」

「先生が思ってるより数十倍は」

「そうか、なら」


日向先生ははっきりと言った。


「お前は絶対今回の件で七海を身体張って守ろうとするな」


なるべく日向先生と目が合わないように目線を下げる。足元の影は床と同化している。


「お前じゃ足手まといになるだけだよ」

「足手まといって」

「あれを見ても?」


あれ。もう一度見つめた屋上では、いつのまにか透明な壁が消えていて復活した愛島が七海に手を伸ばしている。頭を抱えててふらついている一十木から七海は離れて愛島の手をしっかり握り締めた。二人の手が何が起こってもちぎれないとばかりに結ばれた後、愛島は一十木に手をかざす。


愛島と七海が不思議な呪文のような言葉を詠唱した。


雷や部屋についている光とは違う、この世界に蔓延る闇全てを消し去るような暖かい光が屋上ごと包み込む。
光が消えて、いつもと変わらない朝に戻るその時頭を抱えていた一十木の胸から明るい赤色で構成された五線譜が飛び出し、一枚の楽譜になった後一十木は倒れる。


「・・・守るんじゃなくて。見守ってやれ、何があっても」


まだ日向先生を見ることが出来ない。
一十木に七海が駆け寄る。


「あいつは今からとてつもない目にあう」

「きっととことん追い詰められることもある」

「渋谷がいない今、七海にはお前しかいない」

「余計なことしてお前までこんな意味わかんねーもんに取り込まれたら七海が病むぞ」


わかっていた。全部わかっていた。私は人間だ。人形でもないし魔法使いにもなれない。悲しいぐらいにただの人間である。
私が一番守りたい人は優秀な音楽の神に愛された女の子で、私がいなくても愛島という凄まじい王子様がいて、二人で協力して今ミューズの唄の一部を手に入れたのだ。


日向先生の言ったことは全て正論だ。


私があの時飛び出していったところで結界に邪魔されて余計な手間が増えるのみだったのだろう。


隣を見る。日向先生と目が合う。私は薄く笑った。ちゃんと笑えていたかどうかは知らない。


太陽の下に出る。屋上には朝特有の澄んだ風が吹いていて、私や七海の髪を弄んでいる。


「・・・七海」


声をかけたら愛島と七海が同時にこちらを見る。七海は疲れきった顔を安心したといわんばかりに綻ばせた。


「名前ちゃん」

「怪我は?」

「ないです・・・というか日向先生!?何でここに!」

「お前らをつけてた」


私の後ろにいる日向先生はさらりとそう言って倒れたままの一十木を拾い上げる。
無言の愛島の手の中には一十木から出てきた楽譜がしっかり握られていて、私は複雑な気分になった。


まだ今日は始まったばかりだ。太陽はこれから熱くなって、生きとし生ける者全てから水を奪う。
レジ袋の中身である、メロンパンがこちらをちらちらと見ている。私にはこの程度のことしか出来ないんだなと今更実感した。



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