箱の中身は苺タルトだった。タルト特有のしつこい甘さと、酸っぱい苺が口内で混ざりあい歪な食感を生み出す。それでもなおもちもち食べながら、私と七海はクップルこと愛島の話を聞いていた。


優男風の軟体動物であり少し色黒なこの男の正式名称は、愛島セシル。高級楽器を作り、それを売ることによって生計をたてている国、アグナパレスの王子様だそうだ。アグナパレスで作った楽器は音だけでなく奏者の心も表現する、そういうこともあってアグナパレスの楽器を所望する人間はうじゃうじゃいるものの基本的に一部を除いて鎖国気味な国なためあまり出回っていない。そんな大層な国の王子様が何故ここまでやってきたのか。母親が日本人であるためか従兄弟に疎まれ、呪いで猫の姿に変えられ、放逐されたと。ろくなものも口に出来ず雨水に打たれ弱っているところを七海に保護され、現在ここにいる。


そして本題。何故愛島セシルは猫から人間の姿に戻っているのか。七海に迫っていたのか。
キスをしたそうだ。キスとは日本語で訳すと接吻である。愛島セシルがまだクップル状態の時に七海と軽いキスをした。すると呪いが一時的に解けクップルは見事愛島セシルの姿を取り戻したそうである。
かといって愛島セシルの呪いが完全に解けたわけではない。一定の時間が経てば猫に戻る。


彼が元の姿に戻るには、七海とのキスが必要だ。


「で、何でキスしようと思ったの?」


砂糖の塊を飲み込んで、キスの真相を問えば彼は極めて真剣な顔をする。


「サタンが、復活したから」


急遽出てきたファンタジーな単語に私は閉口した。楽しい宴会場で己の分量もわきまえず勝手に酔っ払った挙句聞いてもいないのに未練がましい失恋話を三時間程聞かされるような気分である。冷たい目をしている私に気づいているのかいないのか、彼の瞳は意思固く、強い光を灯すのを止めようともしない。


「サタンはミューズの唄を無効にするため世界から音楽を消そうとしている強大な悪魔。猫の姿では到底太刀打ちできない」

「・・・そのサタンとやらはどこにいるの?」

「この学園の、学園長のなかにいます。音楽の神、ミューズを降臨させようとして失敗したのでしょう」


音楽の神、ミューズの降臨ときた。学園長も学園長だがこいつも一体何を言っているのだろう。いよいよ私は呆れた。妄想と現実の区別もついていないのだろうか。私はもう一つタルトを手に取って一口かじった。いつもと変わらずただ甘い。まるで今目の前で妄言を垂れ流すこの軟体動物のようだ。
こんな脳内ファンタジー状態である男と会話をすることは初めてなのでどう接したらいいのかわからない。適当に話を流した方が賢明なのだろうか。盗み見た七海は真面目な顔をして男を見ている。どうやら私だけがこの男の発言を疑っているらしい。
険しい表情をしているであろう私に愛島はゆったりと微笑んだ。


「安心、して」





「学園長はこうなるのも予測していたのか、この学園の周りに結界を張っています」


私は無言でタルトを頬張る。


「およそ持って二週間」



甘味が私の舌に鞭を打つ。


「二週間の内に学園長、いいえサタンを封印すれば世界から音楽は途絶えない」

「駄目だったら?」

「結界が消え、サタンが世に出る。そして音楽のない、愛のない世界になってしまう」

「被害妄想じゃないの?」


学園長がミューズと間違ってサタンを復活させ、体を乗っ取られ、異国から魔法を使う王子様がやってきて、もし二週間の内にサタンを封印出来なければ世界から音楽が消えるなど。こんな話があってたまるものか。心底信じられるような証拠もなくはいそうですかと受け入れが可能な程私は出来た人間ではない。
なお疑う私に愛島でなく七海が答えた。


「多分、本当のこと」


七海を見る。私が敬愛しているあの目は一切の濁りも浮かべていない。


「名前ちゃんは聞かなかった?何か大切なものがちぎれるような音」


大切なものがちぎれるような音と聞いて、閃光に満ち、校舎を揺らす程の落雷を思い出す。あの時はそんなに気にしていなかったがもしかしたらあの雷こそがこの学園内から音楽を消し去る要因だったのかもしれない。


「・・・普通に雷が落ちたのかと思ってた」


この季節、急に天候が悪化するのはもはや恒例行事だ。
本当に音楽が、七海の大事なものがこの学園内から消えてしまったとすれば。私は真相を確かめるべく軽く息を吸って歌おうとした。しかし頭のなかに浮かんでいる歌詞と旋律は声帯を揺らさず、私のなかでじっと留まっている。
さすがに青い顔をして喉を押さえている私に愛島は首を横に振った。


「アナタに歌は歌えない」

「は?」

「アナタに、ミューズの気配は感じられない」


その言葉に私自身が停止する。


「アナタは、見えない」


何かを目を凝らして探そうとするような、そんな瞳をしている彼の頭に咄嗟に落としていたHAYATOのポスターを投げつける。
この男はどうも私の嫌いな目をしている。


「いたっ」

「カタカナが多い、サタンだのミューズだの・・・。」


これ以上探られても困るので無理矢理話を変えた。HAYATOのポスターを魔法のステッキのように両手で握り締め、愛島はまた説明を始める。ミューズは昔、サタンを封じた強い女神であり、愛島はその子孫にあたる。先祖代々封印を守ってきてミューズの加護なくして繁栄はありえず、国は砂に沈むと彼の代まで口を酸っぱくして教えられているそうだ。
愛島が魔法を使えるのもアグナパレスがミューズの加護とやらを受けている、人間というよりは神に近い機能を携えた国であるからと何だか納得の出来ないことも聞いた。

サタンを封印するにはアグナの譜面とやらで出来たミューズの唄が必要だそうだ。アグナの譜面はサタン復活と同時にこの学園内に散らばり、私以外の音楽的感性の優れた人間の中に眠っている。愛島はそれを集めて元の持ち主達の手によって演奏させ、歌わなければならない。


「そのミューズの力?ってのを持っていたら歌は歌えるわ、楽譜は作れるわ、サタンは封印出来るってことね」


何だかややこしいが、いうなればマクロス(ある社員が溺愛していたアニメのタイトルだ)とかその辺の雰囲気を意識しておけば良いのだろう。音楽で銀河を救えと言うわけだ。
ただ、


「私にはないんだ」

「名前ちゃんにはミューズがなくたって」

「フォローしなくていい」


サタン討伐、なかなか面白そうな展開だが私は不必要らしい。今回はアイドルどころかただの人間以下で私の出る幕はなさそうだ。


フォロー以降ぎゅっと口をつぐんでいる七海を見る。七海は音楽的感性に優れている。いつもいつも自信なさそうに、渋谷の隣にいるが彼女の実力は凄まじいものがある。変則的な線の上に彼女の特性であるのか、宝石のような瞬きが音符に込められていて、聞く度に私は胸をときめかせていた。さすが私の愛すべき人類である。
誇りに思っている暇はない、私は七海にはミューズとやらが宿っているのではないかと思った。


「七海は?」

「・・・私?」

「七海にはその、ミューズとか宿ってるの?」

「yes」


七海ではなく、愛島が強く頷く。


「彼女はワタシの魂の恋人です」

「恋人って」


いちいち噛みつきたくなる発言をする男だ。


「七海の了承もなしに勝手に決め付けないでくれる?そういうのかなりむかつくんだけど」

「ムカツク・・・?」

「都合の良いところでわからないのね」

「名前ちゃん落ち着いて」


困惑どころの話ではない愛島になお迫りとことん言葉責めしてやろうとすれば七海に腕を掴まれ、仕方なく私は引き下がった。
男というだけでも苛々するのにどこの口で七海の恋人などぬかすのか。七海が彼を好きだというならそれは認めざるをえないがいたずらに自称するのは許せない。これだから外人は、と愚痴を言いながら座る。
ひとまずは大人しくなった私に七海は胸を撫で下ろし、おずおずと愛島と目を合わせる。


「上手く言えないけど、学園長先生にサタンが取りついているのなら早く助けてあげなくちゃ」


七海はいつも他人を優先してばかりだ。


「それに音楽がなくなるなんて・・・それだけは絶対阻止しないと」


愛島が七海との距離を詰める。


「ワタシはミューズの末裔、ミューズの血がワタシに流れている」


彼が七海の手を取れば、七海はしっかり彼の顔を見上げた。


「サタンを倒すのは、ワタシの使命。・・・アナタは魂にミューズを秘めた稀有の存在。音楽の神に愛されし現代の奇跡、ワタシに音楽と愛をくれたヒト」


それまでは柔らかな光を称えていた緑色の目が決意を込めて七海を捉える。


「どうか、ワタシと共に戦って」


七海も七海で、こくんと頷いた。


たがその後、急に手をばたばたとさせ始める。


「あっ、でも私そんなに強くないですし!セシルさんの盾ぐらいにしかなれないけど!!」


七海は仏頂面で彼等のやり取りを見守っていた私に振り返りそっと笑った。


「名前ちゃん、とっても強いんですよ」


学園長先生に私が連れていかれちゃった時も皆で助けに来てくれたんですけど、名前ちゃんと四ノ宮さんだけが学園長先生と互角の戦いを繰り広げてたりして。
結局黄色い軟体動物に全治二週間の怪我を負わされ、学園長にも敗北し七海の無事以外特に何も得ることのなかった過去のイベントを七海が暴露しているのを聞く。もう無抵抗で野郎に虐められてたまるものかと精進していたのは素晴らしいとして、強さが必ずしも全てにおいて役に立つことはない。どんなに仲間内で一番強靭な顎を持った蟻だろうが車に轢かれたらお仕舞いだ。

それでも私は七海に微笑んだ。

もしかしたら、魔法を使えない私でも役に立てることが微小ながらあるかもしれない。七海が望むのなら私はずっと七海の傍にいて、彼女を全力で守ろうと思った。


「だから私と名前ちゃんでセシルさんのお手伝いを・・・。」

「アリガトウ、My sweet heart」


あの子のああいう、他人を心から信用して受け入れる精神は私も見習うべきか、私がそんなことを考えている間に愛島は七海を抱き寄せ彼女の顎に手をかけた。


「では、魂の契約を」


何をする気か、私の第六感が絶叫する前に愛島は七海に接吻をした。
とんでもない景色に私が微動だに出来ない間にも事は進み、


「契約は成立しました。ワタシたちは音楽の神のもとひとつとなった。ふたりで音を紡ぐ、それが魔法となるってああ!春歌!!しっかり!」


えげつないキスシーンの後、ぼーっとしていた七海はセシルの腕のなかで気絶した。
気絶した七海を優しく受け止めつつも焦っている彼はとりあえず七海を全女子永遠の憧れである人間運搬方法(またの名をお姫様抱っこと呼ぶ)で運び、部屋の中央にあるベッドの上にのせた。


まるで壊れやすいガラス製品でも扱うかのような彼の態度は先程私の目の前で一度ではなく二度も惨劇を起こした男に見えない、いずれにせよ七海の危機に全く動けなかった上この通り硬直している私を見て、愛島が言う。


「どうしてアナタはそんなに悲しそうな顔をしているのですか?」



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