「七海?」


ノックをしたが何の声も返ってこないドアの前。
この時間に七海がいないなんてことがあるのだろうか?不思議に思いつつドアノブに手をかける。かちゃんと下がり、薄くドアが開く。鍵がかかっていない。光が漏れてくるそこを暫く見つめて考える、勝手に入るのも気が引けるが・・・七海なら許してくれそうだ。


「七海、遅くなってごめん」


念のため声をかけつつ三歩進んだ瞬間私の世界が凍りついた。

昨日と同じ、柔らかい光のついた部屋内部、床に倒れている七海の上に男が乗っている。HAYATOのポスターはこんな非常事態にも関わらず斜め上に意味不明な微笑を捧げている。
明らかに野郎に押し倒されている七海の真っ赤になった頬と潤んだ目に視線がかち合った瞬間私の理性を司る司令塔が爆発した。


殺気なんて常人には出せないだろうと思っていたがこの時の私からは確実に放出されていたと思う。脳味噌全体に熱い血液が行き渡る。噴火した脳味噌はともかく極めて冷静に持っていた箱を床に置き、購入したばかりのHAYATOのポスターをぎゅっと強く丸めて過去に大活躍した日本刀の如く片手に握り締め、私は駆け出していた。

七海を床に押し倒している男が走ってきた私を見て目を見開く、逃がしてやるものか、その憎たらしい額をポスターの丸い先端で渾身の力を込めて突いた。ぐらりと揺れ、男の身体が七海の上から落ちる。


解放された七海を背中で庇いつつ、倒れたままの男を見下ろした。


「名前ちゃん!」

「安心して七海。今のは日本の伝統芸能、牙突壱式よ」

「あの!私まだそんな酷いことされてないしそれに彼は」


近距離の相手を吹き飛ばし肉片に変える某Sの必殺技を次に放ってやろうとしたが、続けて七海の口から出てきた単語に私は固まることとなる。


「クップルなの」


タックルでもクッテルでもなくクップルといえば。昨晩七海に抱擁されていた猫ではないか。ではプールにいたアレは何だ。時間の無駄か。


「そう」


よくわからない。よくわからないことが重なり過ぎて何とか冷静に努めようとする自分がいるのに、物事に目をやればやる程目の前で起きている事件の存在が大きくてさらに私は混乱した。


「動物愛護団体に起訴される覚悟はもう出来た」

「名前ちゃーん!!」

「雄も男も違いはないってわけね」


怒りとその他がどろどろのスープのように私の頭のなかで混ざりあう。七海に襲いかかっていたとしか思えない野蛮なるクソ男が例え可愛い猫であろうが容赦はしない。七海も七海だ。そろそろ自分の愛らしさを自覚して危機管理能力を向上させるべきだ。隙まみれにも程がある。
今の七海にはわからないだろうが男は狼であり、常にいやらしいことを夢想しては鼻の下を伸ばしている非生産的な生物だ。私はポスターを振り上げる。七海がやらないなら私が引き受けよう。死なない程度に痛めつけてやる。


そんな私の決意を阻むように男も身体を起こし、手を私の目前にかざした。唐突の出来事に対策も取れず、そこから眩い光が舞い散って透明な壁が現れ、私を隔離した。


びくともしない壁に片手を押し付けると同時にただごとではないと爆発したはずの司令塔が呟く。
男は私をじっと見た。


「・・・魔法を使わずここまでの強さとは、アナタは春歌の騎士ですか?」

「仲の良い友人のひとりよ」


七海の騎士はもっぱら渋谷が担当している。きっぱりと言い返し、軽く壁を叩く。ゼリーのように揺れるだけで音はしない。


「何これ?」

「結界を張りました」


緑色の瞳と、艶やかな黒髪、優男風に仕立てた軟体動物というのは彼が何も言わなくともよく分かったがどうひっくり返っても陰陽師には見えない。
額を押さえながら男は立ち上がる。


「今のワタシではサタンを封じる前にアナタに殺されてしまう」




「話を、聞いて」




困ったように細められる瞳のなかに瞳孔を開いてアイドルに相応しくない表情をした私がいる。


「・・・わかった」


少し自分を見失いすぎたかもしれない。もし彼が本当に渋谷と私の留守を狙って七海を襲いにきた輩ならば、あの七海が頬を赤く染めるわけがない。世紀末だと叫ばんばかりに真っ青になっていたはずだ。
引き剥がしたまでは我ながら素晴らしい働きをしたがそれ以降の私の行動はあまり評価出来ない。


私はHAYATOのポスターを手放した。


「出してくれる?」


降参といわんばかりに両手もあげてやる。さすがにこんな魔法を見せつけられたらいくら路上生活で散々鍛えられた私とはいえ、これ以上殴りかかろうとは思えない。


「もういきなり襲いかかったりしないから」


宣言すれば壁はゆっくり消える。確認ついでに先程まで私を隔離していた箇所を指で押してみたがもう障害物と衝突しなかった。


男と七海を見る。


喉に小骨でも刺さったような、言いたいこと、私に教えたいことがあるような顔を両者共している。


「はあ」


なかなか言い出しそうにないので私は立ち上がり、放置していたとある箱を迎えに行った。
戻ってきた私と箱を見て七海と男の緊張感が少し緩和される。


「討論に糖分は必須って社長が言ってた」


甘いものはそんなに好きじゃない。だが今の私には食べなければいけない理由が出来た。



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