某アイドルは記者に花束を貰った。みずみずしい大量の赤い薔薇で胸を飾り、カメラに微笑む。柔らかなその笑みを光の乱射が照らしレンズの中に焼き付けた。


「新曲良かったですよ」

「そうですか」

「あそこのダンスがこう・・・ぐいって行くのが最高ですね!」

「嬉しいです」


ダンスが、表情が、衣装が、他にも色んなコメントを某アイドルは記者から貰った。一番欲しい言葉は記者から貰えなかったが、記者にその言葉を言われるのは屈辱以外の何者でもないので某アイドルはただ笑みを顔面に貼り付けていた。早くこの時間が終わるのを切に願う。相槌の代わりに押されるシャッターは彼女の笑顔を量産する。


この部屋全面に飾りつけられているポスターには、白いドレスを着た彼女が印刷されていて一斉に某アイドルのことを見つめている。全員が全員同じ表情なので面白味もなく、せめて一人ぐらいタラコ唇になったりして私の心臓を跳ねさせてくれればいいのにと某アイドルは思った。
彼女の顔面を連写した記者が部屋を出ていく。先程風の噂で某人気アイドルが某人気作曲家との交際が発覚したことと、学生がプールで喉にナイフを刺して自殺した噂が記者の耳に入ったのを某アイドルは知っていた。情報は新鮮なうちに調理して皆に配らないと誰も食べてくれない。新鮮ならば何でも良いのだ、不味かろうが苦かろうが。普段そういう噂に興味の沸かない某アイドルは何故かその時だけは学生が死んだプールはさぞ真っ赤なのだろうと思った。林檎の皮のように、この胸にある薔薇のように、もしくは運命の赤い糸のように。


自分以外誰もいない部屋は静かなもので、何もない世界が某アイドルの肌を寂しいのか、そっと触る。ここには某アイドルしかいないので寂しい孤独な部屋を癒せるわけもなく、代わりに首を爪で掻いて即帰宅することにした。床に薔薇の花束を落とす。貰った時からどこに捨てようかずっと考えていたのだ。赤い花弁が地面にまで貼りつけられた彼女の顔面の上に散った。


上から見下ろしながら某アイドルは大切なことを忘れていたのを思い出した。この女には帰るべき家がないのである。昔親戚の家から逃げて、事務所を移転した自分には定住の地など用意されていなかった。
アイドルであるのに家がないとはどういうことなのか。悩む彼女に部屋が答えた。どこにもドアがない。記者が出るまでは確かにあったはずのドアは白い壁に同化して絵になっていた。


それを少し離れた場所から眺めて某アイドルは笑った。本心からの苦しい笑みだったのでポスターよりも歪で現実的な表情をしていた。そのまま下を見る。某アイドルの足元には透明なガラスがいつのまにか敷かれており、ここからどこかのプールが窺えるようになっている。澄んだ巨大な水槽の中央には首から赤い血を流してぷかぷかと浮いている学生らしきものがいて、某アイドルは小さく呻いた。


お祭りの金魚の末路に目を白黒とさせている彼女に周辺のポスター達はそれぞれ顔をねじ曲げた。


「あれはお前だよ」

「お前は死んだ」

「可哀想とか思うなよ」

「お前が殺したんだ」


責め立てる声に目を自分の両手と瞼で塞いで、某アイドルは死体の遥か上で体を丸める。


「知ってる。知ってるからもう言わないで」


学生を殺したのは某アイドルである。そうせねば某アイドルが恋する人の大切な人を殺しかねなかったので手をかけた。
某アイドルは必死に頭を振る。


「ごめんなさい、でもこうするしかなかったの、こうでもしないとお前はセシルを殺し七海を陵辱したでしょう」


あそこで唯一学生を止められるのは某アイドルだけだった。


「だから私じゃなきゃ駄目だったのよ」


膝下にあるガラスが揺れる。


「謝るぐらいなら助けてよ」


血液にまみれた手形が何個か付着した。


「殺すことはなかったはずだ」

「殺すしかなかったのよ」

「違う、殺したんじゃない」


膝下の振動が止まり、某アイドルにとって見覚えのある靴と足が彼女の前に出現した。


「死にたかったんだ」


確認するように某アイドルは手と瞼を視界から取り払った。某アイドルの前には喉に包帯を巻いた学生が立ちはだかり、彼女を酷く嫌悪する人類を見るような憎しみの塊を詰めた目で見下ろしている。


「お前死にたかったんでしょう見てられないからだから私を殺したんだ逃げたんだ」


某アイドルは頭を振る。


「弱虫」


頭を振る某アイドルの首に学生は片手を伸ばした。


「そんな弱虫は私と一緒に死んでしまえ」

「私みたいにみっともなく血を流して死んじゃえ」


白い首に圧力がかかっていく。なのに某アイドルは抵抗もせずずっと学生の顔を見ていた。その態度が学生の苛立ちを増幅させる。


「好きなやつの傍にいようともしない」

「好きなやつを守ろうともしない」

「好きなやつと向き合おうともしない弱虫の私なんか」


ポスターの中身はいつもの笑顔を口に称えて無言を守る。金魚の目をした某アイドルに痺れを切らし学生は彼女の喉に隠し持っていたナイフを刺した。狭く深く開いた切り口から真っ赤な血が噴き出して真っ白な部屋を赤く染める。滴り落ちてくる血液は学生の手に貼られた絆創膏を伝ってスカートを濡らした。


手を離す。某アイドルが倒れる。倒れてもなお血の海は某アイドルとポスターを受け止め、沈める。


「致死量だ」


某アイドルはそう呟いて、だくだくと零れていく体内にあったものを見つめる。


「自分で自分を殺しても何にもなんないもんだね。また、寂しい部屋に戻るだけだ」


某アイドルが死んだと思えば学生がやってきて、チャンスを掴んだだの何だの言った後に某アイドルが同じ手口で学生を殺し、終わりのない劇をもう三日も、白いドレスを着た女の子だけで埋め尽くされたこの部屋で続けている。


「何回繰り返すの?これ?」

「何度でも。お前が気づくまで」


某アイドルの質問に学生は毅然とした表情でそう答えた。何回も何回も喉を刺されて毎度ずたずたになる肉と線はまた最初に戻せばすっかり治っている。
痛いのはいつも数分だけ。数分経てばどちらかがプールに浮かんでいてどちらかを刺しに向かうのだ。


某アイドルは今回も寝てしまおうと思った。目を閉じてしまえば痛みなど去る。体を仰向けにして、喉に突き刺さったナイフをいつものように優しく握った。冷たい銀色だったはずのナイフは赤い糸と液体でよく滑る。
学生は彼女をただ見ていた。つまらない作業は時が経つのを邪魔する。暇なので学生の喉に巻かれた包帯を某アイドルはよく見た。うっすら赤い糸が包帯に縫い付けられている。今まで気づかなかったそれに某アイドルの目は大きく見開かれた。


経緯も結末も、ずっと同じだった。同じように恋をしてそれが叶わなくて相手の恋人を殺そうとして自殺をする。当て付けでもあり八つ当たりでもあり保身でもある。弱い自分がもうこれ以上壊れないようにいつも某アイドルは学生を殺し学生は某アイドルを殺すのだ。


「・・・じゃあ」


某アイドルは今まで気づかなかった赤い糸に微笑んだ。


「これが最後だ」


突き刺すはずのナイフを喉から抜く。鋭い刃先が肉を擦り切ってまた新しい傷を作り血を減らす。


死ねたら楽だが彼女は簡単に死なないように作られているので出血大量ながら何とか意識を取り止め、血塗れの床に手をつく。美しくまとめられていた髪に固まりかけた血液がこびりついていてそれが非常に重たく感じた。


「あークソ、尋常じゃねーやふざけんなよアバズレ」


スイカを鼻の穴から産み出すような痛みに八つ当たりのごとく学生の足元に乱暴に投げたナイフが靴を汚した。
それに目もくれず学生は某アイドルの行動に目を丸くしていて、やっと小さな声を出す。


「動けるの?」

「動けるよ」

「刺したのに?」

「めちゃくちゃ痛いけど何か違うなーって違和感のが勝ってる」


強靭な台詞と共に顔をあげた某アイドルの瞳からは滝のような涙が零れ出していた。


「・・・めちゃくちゃ泣いてるじゃないの」

「かっこつけたごめん、洒落なんないぐらい痛い」

「馬鹿」


何も出来ないがせめて喉ぐらいは押さえてやろうとした学生に某アイドルは何とか首を横に振った。


「近寄らないで」


そして完全に立ち上がる。


「出口を教えてくれるだけでいい」


同じ顔で同じ背丈なのだが表情が違うとなんとまあ別人のようだなと学生は思った。
何があったのかわからないので少し戸惑いながら首の包帯をなぞる。小さな凸凹が彼女の指を押し返した。


「・・・絵」


包帯から離れて記者が出ていってからはただの絵になったドアを指差す。


「絵の前に立ったらわかる」


学生が見守るなか何とか歩き、ドアの前に立つとこれまた不潔な少女が某アイドルの前に現れた。
少女は死んだ目で某アイドルを品定めした後、舌打ちをする。


「ブス」

「ぶっ飛ばすぞ」


中身はさておきアイドルであることに誇りを持っていきていた某アイドルは子供相手にえげつない言葉を吐いた。暴言を無視した少女は血を垂れ流す某アイドルの喉を見つめたままずっと手に持っていたものを某アイドルの腹に押し付けた。


「あげる」


青林檎が臍の位置に食い込んでいる。某アイドルはそれを手に取って撫で回しながら首を傾げた。


「周り見ろ、今一番必要なのは針と糸だ」

「うるせえアバズレ、あとではけんしてやるからわめくな。とりあえずここをまっ直ぐあるいていったら外に出られる。お前の頑張り次第で五体満足で帰れるか帰られないか決まるから」


さらりとした説明の後、絵の前から少女が退くと立体的なドアノブが光沢を放っていた。それをしっかり握って回すと真っ暗なんてレベルではない空間が某アイドルを歓迎した。


「辿り着く前に死にそう」


正直な感想が口から出ていた。血は止まらない上、歩いていく以外に方法はなさそうだ。どこまで持つか自分との勝負である。


「・・・あら?」


部屋の外に出た瞬間、聞き覚えのある音楽がかすかに某アイドルの耳を引っ張った。


「・・・・・・。」


夜の向こうから彼女を呼んでいるかのように歌う声とピアノに某アイドルは何となく微笑んだ。タイトルも詳細も何も知らないがとても素敵な曲だ。


この歌を追いかけて歩いて行けばきっと大丈夫なのだろう。


「名前」


早速足を進めようとした某アイドルの名前を部屋に残った二人が同時に呼んだ。


某アイドルはそちらを見る。


包帯女と貧相な少女がドアから顔のみを出している様子はホラー映像に近い。低俗な恐怖映像に似合わず、二人は親指をぐっと某アイドルに付きだした。


「頑張って」

「他人事のように言いやがって・・・お前ら私が死んだら道連れよ」


うるせーお前ひとりで死ね。同一人物とは思えぬ酷い言い分を受け取り、某アイドルは舌打ちをしてから星も月もない空間を一人歩き始めた。
彼女が足を動かす度に喉から血が零れて床に真っ赤な線を作り出す。


傷口が熱くて燃え尽きてしまいそうだなと考える某アイドルを誰かの歌が率先して導いていた。



「・・・誰だか知らないけど、素敵な曲だこと」


苗字名前は、ぽつりと呟く。



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