白い布に針が刺し込まれ、小さな穴に通された赤い糸が線を作っていく。私のとは違う、爪先まで丁寧に整えられた聖川の指は夜ももう遅いのにまだ仕事をさせられていた。
私はただそれを隣で眺めている。


「刺繍なんかする男とか初めて見た」

「ここに来てからはよく言われるが、そんなにおかしいのか?」

「いや、珍しい。家庭科とか好きなの?」

「四ノ宮程ではないがそれなりに」


確か良家で育ったお坊っちゃまだと一十木から聞いた記憶があるのだが。今の時代、お殿様もそれなりの家事が出来るように訓練されているらしい。
聖川が空いた時間を使ってせっせと縫っているのはハンカチの刺繍である。自分のサインを刺繍しているのならああナルシストなのだなと納得も出来るが私の斜め下にて作成されているのは熊と兎のデフォルメされた姿や可愛い小花なので、妙な気分になる。
聞いてはいけないような気がしたが耐えられなかった。


「やけにファンシーなハンカチね。まさかお前が使うの?」

「妹のものだ」


聖川のものではないそうだ。本人の口からそれを聞くことが出来て、私は安心した。もし私が男であり隣で友達があんなものをポケットから取り出し手を拭いていたら友達ごと便器に突っ込んで流しかねない。
心のなかで胸を撫で下ろしている私の横で聖川は刺繍を見る目線を柔らかくした。


「今度イベントで必要になるそうでな、兄として妹の私物を愛らしく彩るのも当然の義務であろう」

「シスコン」

「一十木にも言われた」


各方面から言われる程常時妹に対する愛を垂れ流しにしているのだろう。それを想像したら少し笑えた。なかなか退屈しない人間である。
ハンカチの上で花畑を足蹴にした熊と兎が手を繋いで笑いあっている。実際ならば真白い布が鮮血に染まるであろう光景だが違う世界でならこんな奇跡も描くことが出来る。可能性は無限大だ。


「両方うさぎにすればいいのに」

「クマちゃんとウサちゃんが手を繋いでいるのが良いとマイが言っていた」


個人的に熊よりも兎が好きなので軽く意地悪を言ってみたが即却下された。さすがシスコンの名称を我が物にしているだけのことはある。
あと特に重要でもないが今の発言で聖川の妹の名前を知った。マイというそうだ。漢字は知らない。どんな漢字なのか全く予想も出来ないが。


「マイと真斗か、安易なネーミングセンスね」

「・・・・・・。」


冗談混じりで愚弄すれば聖川が固まった。


「怒った?」


怒らせてしまったのなら謝ろうとしたが聖川はぶんぶんと首を振り、一切私の目を見なかった。私など見たくないと言わんばかりにハンカチに集中しているので彼の怒りの臨界点を簡単に飛び越えてしまったのだろう。反省しつつ聖川の横顔を見る。青い髪が顔を隠し、少し露出された耳が真っ赤に染まっている。
それが何を意味するのか気づいた私を瓶に閉じこめたままの某物体が唾を吐いて罵倒している。気まずさとあの紅葉が私に移らないようにほんの少し聖川と距離を作って、テーブルの上に置いたままのサイダーを手に取った。焦っているときは手頃な物を握りしめると良い、落ち着くはずだ。


甘ったるい色をした液体は私に揺らされて幾つもの波をペットボトルのなかに作る。ゆとりがないので波がペットボトルの壁にあたる度に私の手に振動を加える。あんまり振ったりするのは後が大変なので本当はいけないのだが何もすぐに飲むわけではない。
ひたすらゆっくり、混ざらない中身を混ぜる。


「・・・お前」


兎と熊を赤い糸で結んでから、聖川はようやくこちらを向いた。


「いつか、うちに来たらどうだ?」

「は?」

「た、大して婦女子を楽しませるような面白いものがあるわけでもないが」


聖川の指が兎の頬を押し潰している。


「お前は兄妹というものの良さをよく知らないように見受けるし」


ペットボトルの蓋を弄りながら彼と目だけを合わせつつ私の瓶はぐらぐらと揺れていた。


「社会勉強の一環として・・・。」

「意味わかんないことごちゃごちゃ言わないでくれる?」


そういう戯言はもういい。私は背中を丸めた。髪の毛が私の頭と顔をしっかり隠してくれる。
ペットボトルの蓋を親指で包む。


「まあ、行ってもいいかな。マイとかいうの見てみたいし」

「あまりの愛らしさに驚愕するぞ、俺が保証する」

「ロリコンかよ」



聖川は多分、嬉しそうな顔をしているのだろう。声で表情が分かるようになってきた。末期だ。


時計の針が円の上を回る。聖川が完成したハンカチの最終確認を行い、私の親指はペットボトルの蓋をずっと握り締めている。会話もせずそれぞれが己のことに没頭しているなか、ドアが揺れた。


軋んだ音を耳にした私はドアをじっと見る。
じっと見ている間にもドアは微かに前後に揺れていて、鍵をかけているから開くことはないが風もないのにこんなことが起きるなんて不気味だ。
ペットボトルをテーブルの上に戻す。白い泡が上部に溜まっている。
私は立って、聖川の隣から離れた。


マンボウに追いかけ回されているのか。そんな寝言を言う一ノ瀬(珍しく床で寝ていると思えば一ノ瀬所定の寝床に四ノ宮がいた。引きずり下ろされたのだろうか)を起こさないように気をつけて、ドアの鍵をあける。ちょっとだけ悩みながらも意を決しゆっくりドアノブを押してみた。


ドアの前には七海が頭を下げた状態で立ち尽くしていた。


「七海?どうしたの?」


何て遅い時間に一人でこんなところにいるのか。セシルは何をしているのか。思うところは多々あったがまずは本人に話をしなければならない。
うんともすんとも言わない七海は私を一瞥もせず踵を返して走りだす。


「七海!?」

「どうした?」

「こんな時間に七海が・・・ちょっと追いかけてくる」


聖川は何かを言っていたがその前にドアノブを手放してしまったので私には届かなかった。


「七海ー!」


電気の消えた校内を走る。七海の部屋に行くために階段を上ろうとしたら、そこで七海本人と鉢合わせした。黄色の瞳の中心にぽっかりと穴があいている。
月光に照らされた桃色の髪を揺らして、七海が私のすぐ側を掠めながら下の階に降りていく。


「待って」


私の呼び掛けに応じない七海は物凄い速さで遥か私の前方を駆け抜けていき、追う私もどんどんレコーディングルームから遠ざかっていく。


「あんまり遠くに行ったらサタンの餌食になっちゃう」


女子寮から出すのは何とか阻止せねば。見つかれば最悪どこぞのお姫様のように悪魔に拐われてしまう可能性もある。
早く捕まえなければなるまい。それにしてもセシルは一体何をしているのか。七海の様子がこんなにおかしいというのに。


やたら足の速い七海に全く追いつくことが出来ず、私と彼女の足は女子寮と男子寮の境目を容易に越えた。目的はさておきどうやらプールに向かっていたらしく、


「七海?」


生徒が使えるよう開放されたままのそこに飛び込んで行ったきり、七海は見えなくなった。躊躇なくそこに私も入り、暗い中をきょろきょろと見渡しながら七海を探す。
確かにここに逃げ込んでいったのを目撃したのだが声のひとつも返ってこない。


「まさかプール・・・。」


嫌な予感がして、私は水が張られたプールに近づき、中を覗く。水着でないので入水は出来ないがいざとなれば飛び込む決意も同時に固めた。七海のためならばどこまでもだ。穏やかに波打っている水面には空からガラスをすり抜けて三日月が映っており、覗きこむ私の顔の上に光の線を漂わせている。


どこかでこんなこと、あったなあと七海に関係のないことを考えていたら後ろから背中を押された。


「・・・えっ」


身体が前に投げ出される。私の髪も制服のスカートも全部広がって、黒い水面に落ちる。三日月が粉々になった。
完全に不注意で生ぬるい水の中に沈んでしまいかけている私は何とか目を開けて手を伸ばす。水が私の瞳を刺す。痛いなんて言っている場合じゃない、すぐ慣れなければ。落ち着けば爪先が底につくはずだ。
足を動かして、もがきながら水面に顔を出す。酸素を摂取しつつ瞼を押し上げた。左右に揺れていた視点が定まる。私を落とした人間の姿が分かった。
ぐちゃぐちゃに伸びきった髪と、汚い服。悪い目つき。


「嘘」


幼少時代の私が恐ろしい程の無表情で私を見ていた。底につくはずの足が空振る。底は、ない。もがく私を私がもう一度水中に沈めた。


肺が圧迫される。視界が奪われる。溺れる。
伸ばした手が、切れる。



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