ソファーに寝転んでいる来栖の顔面に帽子がのせられている。ここに来てしばらくは起きていたが経緯を私達に話してもらった後、彼には寝てもらった。
今回はあえてモニターの電源をつけずに七海達の帰りを私は待っていた。レコーディングルームにいた人類のほとんどがそんな私に懐疑の目を向けていたが何も言ってこなかった。


楽器の楽譜は今日、全て揃った。


やはり来栖翔が最後の楽譜を持っていた。持っていたのは良かったが来栖の心臓にサタンの呪いがかけられていて、さらに来栖の心臓は弱く激しい運動を続けるとすぐに発作を起こす、爆弾に等しいものであること。サタンの呪いの負荷もあって楽譜を出そうとすれば来栖が死んでしまうと七海達が手も足も出せないまでに追い詰められていたら日向先生が彼らの前に現れ、来栖にかけられた呪いを自分の肉体に移したそうだ。来栖は無事に楽譜を取り出すことが出来たがその代わりに発作に襲われた日向先生は倒れた。


レコーディングルームの隅にベッドを持ってきてそこで日向先生は眠っている。目が覚めるかどうかはわからない。目が覚めるかどうかもわからないのに次に発作が起きたら日向先生は死んでしまうと来栖は言っていた。
しかも楽譜は確かに集まってアグナの譜面が完成したのに、歌が現れなかった。一大事だ。ソファーの上で来栖は強がっていたが責任感と不安に押し潰されそうな目をしていたので全部話してもらってから私は彼に睡眠薬入りの紅茶を手渡した。練習は明日からでいい。時間がないとはいえこんな事が起こった直後に誰が彼に楽器を渡せるか。


寝ている来栖の隣に座る。夕食もシャワーももう済ましていて、軟体動物達はそれぞれ好きな床や椅子の上で眠っている。椅子は主に一ノ瀬が使っていて、神宮寺と一十木は床、四ノ宮も床だが彼の周囲を様々なぬいぐるみが固めている。聖川はまだ起きていて、四ノ宮がいれた紅茶を私の向かい側で飲んでいる。こんな時間に紅茶なんか飲んで大丈夫なのか、私が見つめていると聖川はカップを口から離した。
青い目が私を捕まえる。


「お前、知っていたな」


やっときたか。この話が始まるにしては遅かったぐらいだ。


「日向先生の身に起きるであろうことを」

「うん」

「何故言わなかった」

「言ったら日向先生を追いかけて意地でも引き留めるでしょう」


私が一人で帰ってきてからずっと聖川が私のことを横目で見ていたのは知っている。目は口ほどにものを言うのだ。
来栖の帽子を指先でつつく。


「日向先生は、それを望まないって私が判断したの」


彼はアイドルであり、教師だ。自分の教え子の危機を救うのは教師の使命である。何人たりとも、その信念のとおせんぼうをしてはならない。


「ならば」


薔薇の描かれたカップがテーブルに降りる。


「せめてそれだけでも言えば良かったじゃないか。何故いつもそうお前は何でもかんでも抱え込む?」


私はカップと目を合わせた。


「七海とセシルのことだってそうだ」


赤い薔薇と柔らかい深緑の蔓が白い陶器の隅々まで張り巡らされていて、見ていて飽きない。


「お前はいつもいつも辛いことは黙りこんで秘密にして一人で傷ついている」


聖川の絞り出すような声と一緒に咲き誇った薔薇が私の頭のなかを占領する。


「・・・日向先生のことについてはあんたらに教えるべきだったかも。でも七海とセシルについては関係ないでしょ」

「知っている癖に」


聖川は珍しく、七海とセシルの関係について言及した。意外にも洞察力のある神宮寺が彼らの件を軟体動物共に教えてしまったそうだ。
私や神宮寺が読み取ってしまった通り、二人は何も言わないが七海とセシルは普通の生活に戻りたくないと思っている。あの二人はお互いに惹かれあっており、これでサタンを封じてしまえばセシルはアグナパレスに帰ってしまうので結果離れ離れになる。


聖川は私が七海のことを恋愛要素をふんだんに込めた目線で見守っているのを知っているのでこんなに気を使ってくるわけで。


「お前には言った通り。私は七海のことが好きだよ、今だって変わらず。そしてこれからも」


ずっと。ずっとこのまま私は七海を尊敬し敬愛し、彼女に焦がれながらも私を通り越して七海が傷ついてしまうような展開にならぬように距離を取りながら生きていくのだ。
七海は私の人生の恩人であり愛すべき女の子である。優しくて甘くて、自分のやるべきことには手を抜かない真面目な彼女が選んだ相手なら間違いなんてない。


「七海が好きになった人なら、いいよ」


例えば彼女が好きになったのが神宮寺レンでも私は文句なんて言わない。私にはわからない、きっと彼女しか見つけられないものがあったのだ。
まあ神宮寺じゃなくてセシルで良かったとは思っている。


「実際セシルはすごいし」


密かに自分の太股を親指が引っ掻いた。


「セシルがアグナパレスってとこの皇子様っての知ってるでしょ」

「ああ」

「それにあいつ楽器何でも弾けるし歌もうまいし。リカちゃん人形の彼氏みたいな顔してるし七海に愛してるだのアイウォンチューだのアイニージューだのアイラブユーだのぽんぽん言ってさ」


初めて会った時のことが脳内に甦る。最悪の初対面だ。これを越す嫌な映像なんて今後現れないだろう。


「しかもこの私の目の前でディープキッ」


魂の契約を結んだ際の話をしようとしたらまた紅茶を飲んでいた聖川が吹き出した。彼の口から噴出された液体は床で眠っていた神宮寺の顔面に炸裂し、汚した。


「・・・狙ってやったの?」

「いや、奇跡だ」


悲惨な目にあっているのに神宮寺は起きない。上半身裸の男は隣に女性の代わりに一十木を設置して彼に横腹を蹴られ聖川に顔面を紅茶まみれにされてもなおすやすやと眠っている。ある意味大物だがあまりにも可哀想だったので私は彼の顔面をティッシュで拭ってやった。聖川はその間に少し汚した床を綺麗にして罪滅ぼしに神宮寺の腹にHAYATOの上着をかけてから椅子に戻る。


話の続きだ。


「何でも持ってるし何でも出来るし七海に何でもあげることが出来る」


私にないものも全部全部セシルは持っている。


「七海も七海でセシルが欲しがってるものをあげることが出来る」


そしてセシルが求めてやまない愛情ってやつも七海は溢れる程持っている。
そんな二人が両想いなのだ。運命に弄ばれて実の兄弟に心を傷つけられた勇者様を癒すのは優しいお姫様しかいない。


「邪魔なんて出来るわけないし、しようがないし、する気もない」

「黙って見守るだけ、それでお前はいいのか」

「いいよ。七海にとってそれが最善だし、彼女が幸せなら他のことなんてどうでもいいし」


世界が滅びようが宇宙が消えようが七海が笑っているのならば私は生きていける。


「それに」


七海にはたくさん貰ったから。私はもう良い。


「愛は見返りを求めませんとも神は言っている」


好きだから対象の何もかもを欲しがるのは愛でも何でもなくただのこじきである。
今後を決めるのは七海とセシルだ。私は何も言わずその結果を見守るだけ。彼らの恋路の結末は彼らで見つけていかなくては。


「あと4日か」

「うん」


聖川の一言に頷く。結界が消えて、サタンが世に放たれるまであと4日。七海とセシルの運命が決まるのもあと4日。
予想だがあの二人なら離れ離れになったとしても別に問題はなさそうだ。人間というものは強いもので強烈な想いは時に距離すら飛び越える。赤い糸はちゃんと離れた恋人の片足に結んであるのにそれを信じられない弱いやつに限ってぐちぐち会いたいなど口癖のようにほざき身を滅ぼすのだ。七海は人を心から信じることが出来る。簡単なようで難しい信頼というものを七海は使いこなせている。
私は微笑した。何だかこの予想は外れる気が全くしない。反対に、聖川は微笑している私を見て悲しそうな顔をする。


「・・・お前はもっと話すべきだ」

「口があるだろう、声だって発することが出来る」


それはそうだ。人魚姫じゃない。生身の人間だ。口も動く。歌も歌える、言葉も紡げる。


「辛いなら辛いと言え。悲しいなら悲しいと泣けばいい」


そうしてメリットはあるのか。泣いて悲しめばこの悪循環を止められるのか?七海が私のことを好きになるのか?泣いて悲しんでそれで終わりというお決まりの終着駅がどうせ私を受け入れるんだろうがと幾つもの質問を聖川に刺してやろうとしたら聖川はいつもとは違う、可哀想なものを見るような目をしていなかった。青くて深い、でも暗くない瞳の中で私が反転している。


「でもお前はきっとそれをしない。一生傷つきながら生きていく」

「だから」


向かい側、私を真っ直ぐに見つめている男は私に向けて弓を目一杯引いて、放った。


「傍にいてやる」





「一人言なら得意なのだろうお前は」


放たれた矢は私の常時不安定な前頭葉にしっかり突き刺さった。
個人的な妄想なので怪我はしていない。想像の産物であるそれを引き抜きながら私は笑う。聖川も瞳を細めて柔和に笑っている。若干照れているのか鼻が赤いような気がするが詳細は不明なので放置するとして、優しさを無差別に振りかざすのは罪だ。適温に保たれた浴槽に長時間浸かっていたら逆上せて倒れてしまう。
やっぱり聖川は甘い。彼に何もメリットなんてないのに私のような奴の傍にいるなんて。逆上せた私がどんな行動を取ろうがどこまで耐えられるのか見物だ。


こんなことを言っているが聖川の言葉はとても嬉しかった。
私の話を聞いてくれる人も聞かせたいと思う人もいなかったし七海にかっこ悪いところなんて見せられない。聖川の目から抜け出す。傍にいるという一文を何度も頭のなかでこねくりまわしながらじわじわと熱くなっていく頬に片手をついた。


「本当はね」


彼の思っている通り、私は一人言を呟くのが大の得意である。


「眩しくて仕方ないの」

「七海が私の手の届かない遠くに行っちゃいそうで」

「見てられない」


冷えきっていた指先はお湯のなかに浸したかのようにゆっくり熱くなっていく。恥ずかしいのか嬉しいのか悲しいのか正直自分がわからない。わからないからとても胸が苦しい。



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