「名前ちゃん、おはよう」


朝起きて歯磨きや着替えを済ませてレコーディングルームに戻ると七海がいた。数日ぶりに見る生七海に全国の私が両手を掲げて万歳三唱している。今まで在住していた環境にようやく華が添えられた。むさくるしい野郎共を筋肉質な男オンリーのサウナとすれば、七海はエベレストの頂上である。ようやく新鮮な空気を肺いっぱいに吸えそうだ。


「おはよう」


自然と微笑している私の姿を見て軟体動物はひそひそと耳打ちし始めた。


「笑った」

「笑ったな」

「オハヨウゴザイマス、名前」


肩を寄せあってもぐもぐと何かを頬張っている軟体動物の集団の中から愛島が出てきた。
出たな恋敵め。微笑が崩壊する。


「ごきげんよう泥棒猫」

「おい詐欺アイドル、顔がとんでもねーことになってんぞ」


自覚しています。そうすぐ返そうとして日向先生の手にある三角形のご飯の固まりに瞳を奪われる。
まさかあのおにぎりは。私は七海を見た。七海は恥ずかしそうに頬を緩めた。


「あのね、おにぎり作ってきたの」


七海手製のおにぎりという単語に全国の私に衝撃が走り、まるで雷にでもうたれたかのように全身を麻痺させている。
一十木と四ノ宮が両手におにぎりを持ってかつてない笑みを見せた。


「とっても美味しいよ!」

「さすがハルちゃんです!!」

「苗字」


やいやい喜んでいる一十木と四ノ宮をすり抜けて聖川がやってきて、私の腕を掴み軟体動物集団に突入する。
たくさんのおにぎりがのった皿が彼らの中心にあって、聖川の隣に座りとりあえずひとつ選んで口に運んだ。


「・・・美味しい」

「本当に!?」

「うん」


七海が笑う。七海が笑って、彼女を取り囲む周囲が薔薇色に染まる。
向かい側に座っている日向先生が意外そうに私の顔を見ていた。


「お前そんな顔出来たのか」

「ポケモンパンより美味しい」

「キャラ崩壊してんぞ」


珍しく私がにこにことしながらおにぎりを頬張っている間に七海も私の隣にちょこんと座った。なんという幸せな環境なのだろうか。やはり好きな人の作ったものは特別な魔法がかかっていて通常の三割増しで美味い。


にこにことしている私を七海もにこにことしながら見守っている。


「名前ちゃん」


でも七海の口から出てきた私の名前は少し重々しかった。


「今日、翔くんを探しに行きます」


彼女の話に耳を傾けながら私は残りのおにぎりを口に詰め込む。


「翔くんを探して見つけたら楽譜が完成して」


それまでは黙っていた愛島が口を開いた。


「歌が、現れます」


楽器の楽譜はあと一枚揃えば完成だ。所持しているのは確実に来栖だろうから奴を取っ捕まえればサタンの封印に一歩近づける。


「そう、ならあともうちょっとね。普通の生活に戻るまで」


色々あったがまあ順調に進んだものだ。まだ日数にも少し猶予がある。七海と愛島の頑張りのお陰だろう。


「渋谷も帰ってくるだろうし、私もこんな軟体・・・。」


サタンを封印して、軟体動物達も部屋に戻り、本当の夏休みがやっと始まって、愛島が国に帰り、渋谷が帰ってきてまた三人でぐたぐたな日常を過ごすのだ。買い物に行ったり、海に行ったりしようではないか。
私が笑おうとした矢先に七海は目を伏せた。


「・・・・・・。」


瓶に閉じ込めた彼女がコルクを両手で押している。それに誰よりも早く気づいていながら私は黙秘した。
私と七海が何かに気づいてしまって、黙りこんでしまった中に一ノ瀬の怒声が飛んだ。


「レン!」

「イッチーが余所見してるからだよ、うん美味い」

「貴方・・・私の昆布を・・・!!」

「わートキヤ落ち着いて!!」


挑発するように笑いっぱなしの神宮寺に一ノ瀬が迫る。一十木はその間に割り込んで必死にオレンジのタコを庇っていた。


「ふふ」


そんな神宮寺達を見て、七海は小さく笑う。
私も私で困ったように笑ったまま手をおしぼりで拭いた。


「この先のことはまだ何もわからないけど、とりあえずサタンを封じてから、色々考えたら?」

「・・・うん」


問題を先送りにして、それでも七海は立ち上がる。


大暴れしている神宮寺達をほったらかしにして、ドアまで七海と歩く。


「じゃあ行ってきます」

「気をつけて」


レコーディングルームの外に一歩出れば私を追い越して愛島が七海の隣に並んだ。
愛島は七海のことを初っぱなから魂の恋人と呼び、七海のピンチにはどんなことがあっても駆けつけこの異様な空間のなかちゃんと無事に二人で戻ってくる。
泥棒猫だし、私の嫉妬心だって彼を見る度に烈火の如く燃えているが彼は本当に七海を大切に想っている。ならば私はもう。


「・・・セシル」


セシルは豆鉄砲を喰らった鳩という言葉をまさしく顔面で表現した。初めて軟体動物を下の名前で呼んだのでそんな自分が気持ち悪くて仕方ない。ドアノブを握って今更なものをセシルに私は頼む。


「七海のこと、絶対守って」


セシルは状況に似合わない、柔らかな笑みを私に見せた。


「命に代えても」


短い返事だったがそれだけで充分だ。腹立つ泥棒猫だが信用はしている。
七海と愛島の後ろ姿が、フェードアウトするまで私はそこに立っていた。


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