女たらしという生き物の扱いは本当に難しい。女性の面倒な所に万全の準備をして飛び込んでくるのでこちらがどんな銃器を持っていたところで全く効果がないのだ。そこで登場し、後に活躍するのが竹槍だがこれも相手の鳩尾にしっかり刺さるように日頃から訓練しておかねばならない。女たらしはただ刺しただけでは死なない。刺されてもなお、微笑んでいるケースを私も最近確認している。


レコーディングルームに神宮寺レンがやってきた。サタンの洗脳が薄かったお陰で校内の監視カメラで一ノ瀬のあんなことや、聖川のそんなことを学んできたそうで説明が少し省けたのは良かった。水着一丁で私に近づいてきたときは胸骨をへし折ってやろうかと思ったが。こうして日毎に軟体動物が増えていく。
サンドイッチを持ってじっとしている一ノ瀬をつついて遊んでいる神宮寺レンも悲しきかな七海の大事な友達である。交遊関係が広いなんてものじゃない。さすが私の畏敬する七海だ。


七海のことを考えながらスポンジに生クリームを塗りたくる。黄色い壁が白に覆われていく。


「・・・あなたが来てから苗字君の苛々加減が凄まじいことになっていますよ」

「大丈夫、もう少し経てばレディは俺のことをダーリンと呼ぶよ。彼女少し不器用でね、あのケーキも俺のために作ってくれているのさ」

「あの壁の穴はあなたが苗字君の拳を避けて出来たものです」

「色々と丸聞こえなんだけど」


一ノ瀬が呆れた目で私を見上げている。神宮寺が平常運転の微笑を保っているなか、一十木が脚立の側へ寄ってきた。


「そのケーキどうしたの?」

「この前久しぶりに七海の部屋に行ったら七海が甘いもの食べたいって言ってたの」

「ウェディングケーキだよね?それ。セシルも喜びそう」


彼には全く悪気がない。私の視線の下で歯を輝かせて笑っている。疲れた七海に豪気な甘い物を食べさせようと意気込み、作製していく内に暴走してしまったのは自分でもよく理解している。
七海の部屋には愛島が現在居着いている。そこにこのケーキを持っていくのはとんだ負け犬からのささやかなプレゼントになるのではないか。一十木に言われるまで気づかなかった、今更白い巨大な壁に顔面を真正面からぶつけてしまったような気がする。


神宮寺が脚立に片腕を絡ませた。


「味見なら俺がしようか?レディ」

「一回でもケーキにさわったら蛸壺に詰める」

「おおこわいこわい」


気を使われたのは良く分かったので手は出さない。この男も聖川と同じで案外気使いなのだろう。神宮寺の隣でぽかんと口を開いている一十木にもう使わないクリームの入ったボウルを渡す。飾り用のさくらんぼの缶詰を取りに行こうとすれば下にて聖川がすでに待機していた。
ご丁寧にも缶は開けられている。ありがたく受け取りながら私は言った。


「手伝わなくていいのに」

「たまたま手が空いていただけだ」


確かに空き時間ではあるが、物好きなやつだ。
一十木がクリームに指を突っ込んで舐めているのを見かけた一ノ瀬が怒る。しかしその隣人である問題児も叱る一ノ瀬ににこにこしながら一十木と同様の行動を取った。問題児二人を抱えた一ノ瀬が禿げないかバッタの足程度には心配になる時もある。
ケーキの上部にさくらんぼを乗せていく私を聖川はじっと見上げていた。


「女性はそういうものを貰ったら喜ぶのだな」

「私は嬉しくないけど七海は多分喜んでくれるんじゃないかな」


可愛いやつは基本ケーキだの甘いものが好きである。そしてそれをうまそうに食す姿が、これまた愛らしいのである。弱肉強食の寸劇においても誰かを虜にするのだ。現に手先が器用でなく手間暇を好まない私も七海の喜ぶ顔が見たいからこんなことをしているわけで。
聖川にもそんな、喜ばせたい人間がいるのだろうか。さくらんぼを乗せる手を止めて彼を見下ろしてみる。聖川はぼーっとケーキを見ている。誰かにあげる算段でも立てているのだろうか。


少し、気が向いた。


「余ったらいる?」


余る余らない以前の問題だが私はそんな言葉を口から出した。聖川はきょとんとし、


「甘いものは・・・。」


しばらく経って若干嫌そうな顔で何かを言いかけたがすぐに飲み込む。
たかがケーキに彼は戦場に向かう若い兵士のような、強い瞳をした。


「いや、頂こう」


確実にこいつはケーキとか、甘いものが苦手なのだろう。何故そんなにも分かりやすいのか。


「甘いもの嫌いならやめとけば?」

「男たるもの好き嫌いはいけない」

「余ったらって言ってんのに、まあいいや」


全部七海に持っていこうとすれば、階段の途中でへし折れるに違いない。あの部屋には愛島もいるのだから四分の一あれば大丈夫だろう。そうしたら確実に余る。
余程のことがない限り、食物を残すのは磔刑に値する。これだけ軟体動物が揃っているのだからその辺は安心だ。
私はおとなしくさくらんぼを乗せる作業に戻った。


「おや、すっかり聖川になついているね」

「マサ優しいから」

「俺も優しいよ」

「対抗心燃やさなくても」

「聖川真斗以外の人間にレディを拐われるのなら何にも思わないんだけどね」


脚立に力がかかる。人災が起きない程度に揺れた。


「レン駄目だよ!マサは」

「音也!!」


会話が丸聞こえなのを本当にどうにかしてほしいがそんな我儘を言える環境ではない。あんまりごちゃごちゃ言うようであればオレンジのタコの口内に余ったさくらんぼをこれ以上春など体感したくもないと泣くまで詰め込んでやろうと思ったが、私が下界に目を向けた頃、一ノ瀬が一十木の頭にアルトリコーダーを投げつけていてそれはもちろん一ノ瀬の手腕で確かにクリーンヒットしていたがダメージが深刻で一十木はよりにもよってケーキを支えている台によろけてぶつかった。微弱の震動は高く積み上げていたケーキには脅威のもので、背後で大切なものが倒れる音と私の後ろを目を見開いて見届けている聖川がいて、最後に私が背後を振り返った時に私を待っていたのは迫り来る白い壁だった。一部のケーキと一緒に脚立から落ちる。見事なまでに背中から落ちて地面で少し跳ねて、崩れたケーキで顔面を浸したまま微動だにしない。


「・・・・・・。」


身を起こして、意外なことにそんなに汚れていない地面と悲惨な台の上と己の体を確認してから、恐らく私を抱き止めようとした体制の聖川(見事なまでに外しているが)、そしてさすがに笑顔が強ばっている神宮寺、ヒーローショーにて怪物役に生け贄認定されたクソガキの顔を再現している一十木と一ノ瀬を真っ直ぐ見た私は確実に修羅であった。



僅かだが無事だったスポンジとぎりぎり足りた生クリーム、微量の莓とさくらんぼで完成したケーキを持って七海の部屋に向かっている。我が身体の一部に前作の残骸がこびりついている件については仕方ない。シャワーを浴びる時間がなかった。今日は七海の部屋に入るつもりはないから許してほしい。
静かすぎる廊下を苛々しながら歩いて、七海の部屋に繋がる橙色の階段に差し掛かったところで黄色い物体が視界の上部を掠めた。


「ん?」


もう落ちかけている太陽の残光が彼の金髪を包んでいる。私の存在に気づいた男は階段をのぼる足を止めてこちらを見た。
眼鏡の奥の瞳が穏やかに細められる。


「名前ちゃん」

「何してんのお前」

「今ハルちゃん達と鬼ごっこしてまして」

「はあ」

「名前ちゃんも入りませんか?」


四ノ宮那月は無邪気に笑っている。まるで終わらない夏の夕暮れを謳歌しているかのように。久々に見たがやはりあの男は読めない。何でこんな時に鬼ごっこなんかしているのか。四ノ宮だからわからない。
この階段をのぼって右に曲がれば七海の部屋がある。楽譜集めをする際は是非レコーディングルームに寄ってからにしてほしいと言っていたのだが、七海にも七海の都合がある。四ノ宮を睨む。確かサタンの呪いはこの女子寮に及ばないと日向先生が言っていたが四ノ宮はここにいる。もしかしたら本当に鬼ごっこでもしているのか。


四ノ宮は意味のわからない人間であり、何を考えているのか見当もつかない。聖川や神宮寺みたいに少しは理解出来るところがあればいいが意志疎通をはかるには相当の訓練が必須だ。


ただ、わからないことだらけなのはもう慣れっこだ。この行事が始まってからはあまり固執して考えないように努めている。
どうせ今までの流れから考察して四ノ宮も楽譜を持っているのだろう。大変機嫌が悪いのにもっとねじきれそうになりつつ私は彼の誘いを断った。


「嫌」

「楽しいのに」

「とりあえず早く捕まってね」


ケーキを抱え直す。これを持っていくのは七海の使命が終わってからにしよう。四ノ宮の足元に広がっていた橙の線に藍色が混じり出す。そろそろ夕陽の時間も終わりそうだ。


「七海を疲れるまで走らせたりしたらお前の眼鏡徹底的に割るから」


愛島はともかく、あんなか弱い女の子を走り回すのは酷だ。四ノ宮の常識は一般人から見て著しく斜め上な価値観で編成されたものだから、こいつの言う鬼ごっことやらもお遊びで済まない代物なのだろう。とにかくそれだけ告げてケーキと共に一先ずはレコーディングルームに戻ろうとする。聖川事件の繰り返しなどしてたまるか。束縛魔法はもうこりごりだ。


四ノ宮に背中を向けた瞬間に空気が変わった。
橙が藍に汚染される。


「・・・お前」


振り返って見た四ノ宮の、眼鏡の奥の瞳が鋭い。にたっと口角をあげてこちらを見ている。


「可哀想なヤツ」


そんなこと微塵も思ってない表情で、四ノ宮は続けた。


「守りたいやつの力にも、支えにもなれないってのよく分かってんな」


息を飲んで黙りこんで、何も答えない。糖分にまみれたまま両手でしっかり持っているケーキを見下ろす。


「物分かりがいいところは評価出来るが、いつか破綻するぜお前」


完成した時は我が子のように愛らしかったのに今は単純に白くてどろどろとしている下手が作った中途半端な物質にしか見えない。棚にしまいこんだ陶器並に動かない私を似非四ノ宮がなじる。


忠告ありがとうなんて言えるわけがない。


にやにやしながら似非四ノ宮は階段をのぼっていく。いつまでもそこに留まっておくわけにもいかず、私は重い背中を引き摺って戻った。


「・・・変なのに会った」


レコーディングルーム内に入れば絶賛ケーキ処理中の軟体動物達は揃ってフォークを持つ手を止める。


「黄色い軟体動物だったんだけど黄色い軟体動物じゃなかった」


渡さなかったケーキをテーブルに置いて横にあるナイフをしっかり片手に握りしめた。


「腹立つ」


そして真ん中に突き刺す。真っ直ぐ刺さったナイフは必死で泡立てたクリームに穴をあけている。もうこのケーキは七海にあげない。冷静に考えたら手作りのものなんて凶器だ。私が作るものより購買で買ったものの方がうまい。


眼鏡が外れたら攻撃的な人格が出てくるのは知っていたがあんな心を直にえぐる芸当を身に付けたなんて知らなかった。七海のじゃないのと聞かれる。私が食べるから大丈夫だと答えた。



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