整理整頓したばかりのテーブルの上、ポケモンパンに囲まれて手の中に収まるサイズの透明なペットボトルが一本君臨している。淡い桃色と薄紫を混ぜた液体が小さな泡と一緒に閉じ込められている。商品名の下に英語が綴られていて、私はそれを目で追っていた。炭酸水の癖に随分と気取った文章を付属させているものだ。
「どうしたのこれ」
レジ袋からメロンパンを取り出している聖川に聞く。聖川は炭酸水を見て、
「ああ、日向先生が持ってきてくださったんだ」
「へー」
ポケモンパンの集団にメロンパンが加えられた。たまに夢に出てくる海のような色をしている炭酸水をつかんで逆さまにしてみた。上昇する泡を気にせずに、桃色と紫は歪んだ境界線を維持したままである。完全に混ざるわけでもなく、またお互いに別の個体として分別することもない。常に傍にあるとでも言った方がいいのかもしれない。
「随分と綺麗だこと」
「お前でもそんなことを言うのだな」
「失礼な」
「気に障ったのなら」
「謝るな、めんどい」
聖川を黙らせる。最近いちいち気を使ってくるので困る。私なんかぞんざいに扱えば良いのに。逆さまの炭酸水を元の状態に戻す。
一本しかないので軟体動物共に先に渡したら喧嘩になりそうだ。
責任を持って私がまず開けて試飲してやることにした。
いつも通り蓋に手をかけて回そうとする。プラスチックと皮膚がすりあった瞬間絆創膏の下が絶叫した。いつもと違って私の手の二ヶ所はぱっくりと切れていていまだ治癒していないことをすっかり忘れていた。
予想以上の激痛で固まっている私をメロンパンを頬張りながら見守っていたらしき聖川が無言で私の手からペットボトルを奪う。
良い音がして、炭酸水は開封された。
「・・・治るまでは俺に言え。すぐに開けてやる」
「ありがとう」
ついでに紙コップに注いでくれた。普段口をつけるところから妙な色のものが流れ落ちて白い紙に沈んでいる。一口飲む。なかなか美味い。色はともかく味はさくらんぼに近い。
「なんかさ」
聖川にも勧めてやろうとしたが赤い軟体動物の一言に遮られる。ただし一ノ瀬が言葉を続けようとした一十木の口を即、右手で塞いだ。
「七海君についてどう思っているか80字以内で語ってください」
「各方面から好意寄せられてることに全く気づかない凄まじい人間タラシで生粋の音楽オタクで私の冗談とかすぐ信じる馬鹿正直なところとかとても可愛いって思ってるけど」
即答した。彼の粋な質問に無表情でつらつらと語れば軟体動物共は一斉に固まる。じっとしていたところで軟体動物は軟体動物なので全く可愛くない。
そのなかで一十木が氷を溶かすように笑った。
「七海のこと超好きなんだね」
そう言った後、彼は頬を人差し指の先でかく。
「俺始めの頃てっきり七海のこと大嫌いであんなにピリピリしてんのかなって思ってたもん」
よくある勘違いだ。好き過ぎて嫌われたくなくて距離を置く人間だっている。誰もかれもが愛の前には闘牛と化すわけではない。
私は意地の悪い目をしてみせた。
「今は?」
「ん?」
「今の私は?」
一十木はにやっと笑う。
「七海のこと好き過ぎ」
「正解」
「やったー!賞品何かないの!?」
両手をあげる一十木。簡単だったとはいえクイズに正解したのだから何かあげなくては。私のポケモンパンは死んでも渡さないとして周囲を見渡したら聖川の頭が目につく。
男の癖に手入れの行き届いているのかやけに輝いていて、さらさらとしているように見受けられる。
私は手を伸ばして彼の髪を少し手に取った。聖川が激しく目を見開いて私を見ているのは置いておいて、適当に一本選んで引っ張る。
「ッ!!」
無理矢理引っこ抜いたせいで根本が曲がっている。抜けた髪の毛を一十木に差し出した。
「聖川財閥跡取りの髪の毛一本、進呈するわ」
一十木の掌にそれをのせる前に聖川が邪魔をした。
ツタージャ、ではなくポケモンパンが一十木の手に握られている。
「それをやる」
「それは私の明日の朝食よ」
「お前が先にやったのだから全てはお前が悪い」
「男が私にごちゃごちゃ言ってんじゃねーよ」
「落ち着いてください二人共」
一ノ瀬の制止むなしく赤い軟体動物がポケモンパンを食したのでレコーディングルームは一時期日向先生が帰ってくるまで戦場と化していた。